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5. 約束は叶える為にあるのだから


託された本丸からほぼ飛び出してからずっと走りっぱなしであった楪は長い階段を上り切り、呼吸を整えると目の前に構える巨大な門の栓抜きを外した
あの時の襲撃事件の時には意味を為さなかった門のあちこちには刀傷が走り、長らく招き入れなかった口からは大きな欠伸にも似た音が響いた



「…ただ…いま」



普段は鳴狐が管理してくれている、日向の旧家の鍵があの本丸のどこにあるかは楪は知っていた
鍵を回して開かれた引き戸の先からは今にも元気な短刀達が「おかえりなさい」と出迎えてくれそうで、そう思ったのはきっと頭の奥に染み付いた記憶が溢れてきているからなのだろう



「懐かしいなぁ、これって私が壁にらくがきして怒られたやつだ…」



そっと今の自分の背よりも低い位置にクレヨンで描かれたらくがきはチューリップやひまわり、花の絵ばかり
綺麗好きな母に壁ではなく画用紙に絵は描くものだと怒られた時には脇差の刀剣男士達が頬を膨らませ、いじける自分を肩車して屋敷銃を走り回ってくれた


「…皆と、ここで…」


あんなに賑やかであった筈の屋敷、ずっと続くであろうと思っていた穏やかな時間は──片手で数える程の歴史遡行軍の襲撃で火の海に消えた
あの日々がまるで嘘である様に今は身が凍り付く様に静かで、夜の到来と共にひんやりとした冷気が楪を飲み込み、増々彼女が独りなのだと自覚するには十分だった
父と母と良くお茶やお菓子を食べていた縁側に座り、楪は注文する際にサイズを間違えてしまったジャージを深く着込む
鳴狐はもう帰って来ただろうか、彼が修行に旅立って今日で三日目。主として出迎えなければいけない身なのにいつの間にかこんな遠い所まで来てしまった



「ゆず」

「ここにいらしていたのですね、あるじどの!」

「鳴狐…?鳴狐、なの?」



ぼうと狐火が青く燃え上がり、縁側で膝を抱えて座る楪の後ろからやって来た人影を映し出す
深い森の奥までかくれんぼの鬼に見つからない様に隠れたものの、誰も見つけてくれなくて、捨てられたんじゃあと思った時も鳴狐は見つけてくれた



「あるじ、鳴狐は強くなったぞ。どうだ」

「……」

「あるじどの?」

「ううん!あの、見違えて…見惚れてた、の」



修行に旅立った事で己が過去と見向かってきた鳴狐が自分を主と定め、帰還してくれた事は楪はとても嬉しく思っている
だがそれ故に鳴狐と自分を楪は比べて卑屈になってしまうのだ、鳴狐はこんなにも前を見据えているのに自分は前を見ているフリをして、後ろばかりを気にしている


「鳴狐は成長していくのに、私はだめだね…全然足があの日から動かないの」

「あるじどの…」

「貴方に見合う主になりたい、鳴狐は忘れただろうけどあの約束をした時からずっと…そう思ってたんだよ
それなのに…前に進む事でお父さん達を忘れるのが怖いんだ。私がお父さん達を忘れちゃったら、今度こそお父さん達は本当の意味で消えて、死んじゃう。それは嫌なの…!」

「……」

「ごめん、ごめんね、鳴狐
あれからもう何年も経ってるのに、私は…」



視界の片隅で一際大きく狐火が燃え上がった、その瞬間に冷えた体を伝っていく熱
鳴狐の腕に包み込まれていると気付き、楪は驚いて声も出なかった。彼は襲撃事件から自分と楪の間に主と刀と線引きをし、溝を作っていたのに


「──忘れていない」

「…!」

「全て覚えている、ゆずが鳴狐の嫁になると指切りでした約束」

「う、そ…」

「嘘を鳴狐は言わない、他ならぬゆずには絶対に」



きっと鳴狐は襲撃事件の事を忘れる為に過去を捨て去ったのだと楪は思っていた
だから自分との間に線を引いたのだと、主と刀という主従関係でそれ以上ではないと鳴狐が決めたのならこの約束は自分の胸に秘めたままにしようと諦めた



「…まだゆずが鳴狐に嫁入り出来る歳になるまで時間はある
だからいい、あの方達の思い出の整理が着くまで鳴狐は待つ。他が何を言おうとゆずを待つから急がなくて、いい」

「鳴狐…」

「決着が着いたその日には、鳴狐だけを見て欲しい」



本当に──この刀は、否、この優しすぎる神様は自分がどれだけの想いを向けているのか分かっていないらしい
そんな事を告げられる前から楪はどんなに学校で憧れのスポーツ部の先輩がいたとしても、テレビで持て囃される流行りの俳優を見てもずっと鳴狐しか眼中になかったというのに



「鳴狐、もう一度だけ約束
──私を、貴方のお嫁さんにしてください」

「元からそのつもりだった」



久方に流した涙は、鳴狐の唇に拭い取られて消えた