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1. その声で世界だって越えてみせる


―どう、しよう…


そう胸の内でこぼした楪はパーカーのフードで目線を隠しながら、斜め前左の席に座る男子生徒を見た
好きとかそういう甘い感情はなく、楪が気になっているのは――その男子生徒の背後に憑いている幽霊にあって。前髪の長い女性という何ともオーソドックスな形である
霊がいる場所は気温が低いなどと聞いた事があるが、ただの噂と思っていた。霊感があったり、憑かれている本人は冷たさを感じているのが楪と男子生徒を見たら分かる
しきりに腕を摩る彼を囲う友人達が流石にその頻度が多い事に気付き、案ずる声が聞こえる。確か、彼らは面白半分で心霊スポットに行くと前日言っていたので、その時に持って帰ったのだろう


―あ…


「オ、オイ?!」

「どうしたんだよ!」

「わ、私、先生、呼んで来る!」



血の気が引いた青白い顔で倒れ込む男子生徒を中心に騒然となる教室。何故彼が倒れたか分からないクラスメート達の中で楪は見てしまった、彼が持ち帰った霊の悪行を
不意に呆然と見つめる楪と長い前髪の隙間から霊の視線が交わる、交わってしまったというべきか。どっと吹き出す冷や汗に濡れながら、楪はかつて言われた事を思い出した



―…あるじ、この世に未練を遺し、彷徨う”彼ら”と決して関わろうとしない方がいい



にたり、と次のターゲットを見つけた霊の口元が嬉しそうに歪んだ



―あるじは優しいから、きっと付け込まれてしまう



「……!」

「こーん」

「え…?!」


男子生徒から粗方、力を吸い取ったらしい霊が次のターゲットとして選んだ楪の耳にそれが聞こえたのは、霊が彼女の頬に触れようとした瞬間だった
身動きが取れない中で視線だけを動かす、騒然とする教室の入り口――霊を誘導する様にお供の狐が外へと走り出す
誘われる形で楪から狐を追いかける霊、狐からしてみると目標は達成されただろう。だから、まさか楪までもが屋上へと飛び込んでくるのは予想外だった
弾む肩、震える膝を必死に押さえつけ、霊が狐に危害を加えようとしている間に割り込み、楪は小さな狐を両腕に抱え込んで横へ滑り込んだ



「あるじどの?!早く逃げてくださいませ!
わたくしがこれを学校の外まで誘導しますゆえ!早く…」

「できないよ!狐さんに何かあったら、絶対いや!」

「あるじどの、後ろ!」

「!」



男子生徒に憑いていた間は彼から離れる事は出来なかったが、憑いていた相手の力を吸い取った事で行動範囲とスピードが速くなっている様に思える
必死に自分、そしてお供の狐を守る為に足を動かし続ける楪だったが、とうとう屋上を囲うフェンスの隅まで追いやられてしまう。後はもう、ここから飛び降りるしか――
せめて、狐だけでも逃がす事は出来ないものか…そう両腕に抱える狐を見下ろす様に視線を落とした時、右手首に巻かれた組紐のブレスレットが目についた


―あるじ、何かあれば呼んで


「あるじどの!!」


―ただ一言だけでいい


「――鳴狐!!」



――桜の花びらが目の前で舞った。斬り下ろされた刀の軌跡を残し、その傷跡から桜の花びらが吹雪となって溢れる
満開の桜の下にいる様な桜吹雪の中でこちらに向けていた背中を振り返り、見慣れた顔が楪を気遣う様に頬に手を沿えてくれる事が嬉しくて――安堵してしまったのだ



「……?」



ゆらゆら、と穏やかな波の上を浮き輪で漂っている様な感覚と時折、体を持ち上げる軽い衝撃には起こさない様にする配慮が感じられる



「わた、し……」

「…こちらに来る時、あるじの力を大量に使ってしまった」

「でも、鳴狐が来てくれたから助かったんだよ」

「……」

「あったかい、ね」



自分を背負う背中の広さと温もりに頬を寄せる、それは決して現代の服の肌触りがいいからという理由などではなくて
幼い頃、まだ幸せだった日々で父に背負われた時の事を思い出して、泣きそうになる。でも、泣いてたまるかという強情さが楪を泣かさずにいた


「鳴狐、狐さんは…?」

「…先に戻ってる」

「そっか、無事だったんだね…」

「…帰ったら、沢山あるじを怒ると言っていた」

「え、それは嫌だなぁ…」



ああ、でも――怒ってくれる存在がいるのは大切にしなければいけないこと
ここは甘んじて本丸でお説教の準備をしているであろう狐に甘えようと、楪と鳴狐は夕焼けの中へ消えていった



「ねえねえ、日向さん!あの黒いマスクをしてた男の人、誰?!」

「日向さんの彼氏?!」

「え、えっとぉ…」



後日、あの男子生徒が無事に復活して、ほっとしていたのもつかの間。鳴狐の存在が知れ渡った女子生徒の間で質問攻めに合う楪がいた