茜色に滲む | ナノ
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休日の昼前ーいつもの制服を脱いだ初音は水色と白色のジャージを着て、日課のジョギングを終えた帰り道、最寄りのスーパーで買い物をしていた
アクションデュエルに不可欠な体力作りの為に始めたものの、今や日課となってしまった。そんな日課の後は当然お腹が空くもので、今日は何にしようかと店内を散策しているとパンケーキミックスが目に入った
丁度良い、今日のお昼はパンケーキにしようとそれに手を伸ばす。自分一人がパンケーキミックスを狙っていたと思い込み、集中力が散漫していた所に横から伸びて来た手と初音の手がぶつかった


「…あ、ごめんなさい」

「あら、こっちもごめんね。…ん?アンタ、もしかして…」

「…?」


自分を見つめて来る女性の視線に初音は軽く首を傾げる、どこかでこの女性と自分は出会った事があっただろうか、もしくは女性が自分を知ってくれているのか
ウェーブがかった金髪を一纏めにした、気風の良さそうな女性だ。その体格や皺一つない顔立ちから実年齢よりも若々しく初音は見えた、ここまで観察したものの、やはり初音には女性の見覚えがなかった


「母さん!パンケーキミックスあった…って初音先輩?!」

「榊くん?じゃあ、こちらは…」



暫く女性と見つめ合うという不思議な空間に、女性の背後から女性を捜していたものと思われる姿が駆け寄って来る。初音が思わずその声に反応して呟いた名前通り、遊矢がこちらを見て目を丸くさせている
遊矢の様子と同じ様に初音も微かに息を飲み、驚いた様子を見せるもやはり慣れ親しんだ人でなければ、分からない小さな反応だった
そんな遊矢が口にした"母さん"という言葉を信じるなら、この女性が彼の母親という事になるが、前述で触れた様に瑞々しい若さを維持しているこの女性が遊矢の母親だという事は中々に信じられない事に思えた


「やっぱりね。遊矢、この子だろ?アンタが良く口にしてる"初音先輩"って」

「わーわー!止めろって、母さん!!」

「はいはい。それでその先輩ちゃんはこんな所でどうしたんだい?あたし達と同じで買い物?」

「…あ、はい。運動の後でお腹が空いたので…」

「うちもお昼まだなんだよ、良かったらうちで食べていかない?」

「か、母さん?!」


今日、初めて洋子は初音と顔を合わせたにも関わらず、昼食を一緒にと申し出て来た。その突然さと親しみ易さに虚を衝かれた初音も思わず遊矢と同じ様に瞳を瞬かせ、言葉を失ってしまった
純粋に自分の事を知る為に、そして遊矢と話す時間を作ってくれようとしている。洋子の優しさにどう返答すべきかを初音が迷っている時間を迷惑と感じていると取ったのか、そうさせてしまった母へ遊矢が抗議を始めた


「何言ってるんだよ、母さん!先輩にだって、用事があるだろ」

「おや、遊矢。先輩ちゃんとご飯食べるのは嫌?」

「い、嫌ってわけじゃ…俺はただ…」



先輩が困ってるんじゃないかと思って、と洋子からの追求にか細い声しか出ない遊矢。彼も本当は洋子の提案が出た時に喜びたい所ではあった、けれど初音が迷惑に感じていると思うとその感情を表に出す訳にはいかなかったのだ
だが逆に初音の意志は遊矢の今の一言で決まった。彼自身が抱く感情に逆らい、自分を助けようとしてくれている彼を助けたいと思った事が始まりだが、それを切っ掛けに興味が沸いたのだ。この優しく、暖かい人達に



「…榊くんの迷惑じゃなかったら、お昼一緒していい?」

「えっ」

「うんうん、遠慮はなしだよ!うちにおいで」

「じゃあ…」



お邪魔します、といつぞやの時に遊勝塾でした様に程々に初音は洋子に向かって頭を下げる。昼食をご馳走になる事に対する礼儀だけでなく、それはこんな自分に暖かく声をかけてくれた事へのお礼も含まれていた
ちらり、と自分を助けてくれようと矢面に立ってくれていた遊矢を見ると弾けんばかりの笑顔を浮かべている。勘違いでなければ、初音の言葉と彼女が家にやって来る事を歓迎してくれている様だ。それにまた良かった、と初音は心で呟いた


「へぇ、中々手際がいいんだね。先輩ちゃん」

「良く…家で作ってるので」

「…母さんめ、自分ばっかり初音先輩と…」



いつもなら自室で片付ける筈の課題を今日に限って、リビングで片付けている遊矢が恨めしげに見つめている視線の先では、お菓子作りをする初音の手際の良さを感心する自分の母ー洋子が談笑している
まあ、談笑といっても洋子が一方的に喋り、初音がそれに反応しているだけかもしれないが。それにしては近い、それに洋子よりも先に出会った自分よりも仲良くなっている気がする。あの中に入りたいものの課題が邪魔をして、許してくれない


「うーん…」

「…学校の宿題?」

「わぁ?!せ、先輩?」

「分からない所があるの?」

「あ、はい…ここなんですけど」


そう言って、課題の文章を指差す遊矢の指先を初音が覗き込むもので二人の距離がぐっと縮まる、初音が呼吸する息遣いまで感じ取れる距離をお年頃な遊矢に堪えきれる筈がなく、心臓がいつになく忙しない
ふわり、と香って来るのは今、流行りの汗に反応して香りを放つ柔軟剤の香りだろうか、嫌味のない清潔な香りだ。その一方で初音は遊矢に出された課題を見つめ、今日なかった授業の代わりに頭の回転をしている様だった


「…教えてあげられる、かも」

「え?ほ、本当ですか?助かります!」

「先輩ちゃん!お菓子が焼き上がったみたいだよ」

「ちょっと待っててね」

「は、はい」



折角、嫌な課題を切っ掛けに初音と話せると思ったのにタイミング悪く、レンジが焼き上がりを知らせて来たもので会話は遠のいてしまう。しかも彼女が作っていたお菓子はどうやら仕上げに時間を要する様だ
再び台所に篭る事になるであろう姿に溜息をつく遊矢。そんな時だった、玄関から何やら物音がしたのは。こんな無遠慮に、且つ堂々と我が家に入ってくる人間は最近の所、一人しか該当しない。その姿がそれに該当した遊矢の顔は一気に歪んだ


「お邪魔しまーす!…あれ、何かいい匂いがする〜」

「素良…もうパンケーキはないからな」

「ふふ、甘い匂いに釣られてやって来たね?素良」

「あ、お姉さん!何かお菓子作ってるの?」

「あたしじゃなくて、先輩ちゃんがね」



先輩ちゃん?とすんすん、と部屋に充満する甘い匂いを堪能していた素良は洋子の言葉に思い当たる人間がいないのか、小首を傾げる。そんな彼の前に初音が台所から姿を現したのはほぼ同時だった



「…紫雲院くん?」

「あ、初音!そっか、先輩ちゃんって初音の事だったんだ〜」

「素良!お前、柚子の時みたいに先輩の事を呼び捨てに…!」

「…私は気にしないよ、榊くん」



思いがけず、渦中の中心となった初音的には名前を呼び捨てにしてもらうのはある意味で仲良くなった証と考えられるが、遊矢的にはそれは先輩である初音に対して失礼に当たる行為だと考えるらしい
初音本人からも名前呼びのお許しを得た素良は甘い物が好物だ。そんな彼がこの部屋に充満する匂いの元、つまりは初音の手元に気付かない筈がなく。それに気付いた素良の目はきらきらと輝き出す


「ねえ初音、それってシュークリーム?!」

「うん、中身は普通のカスタード、チョコ、アイスで三種類作ってみたの」

「へえ…初音ってお菓子作り得意だったんだ。ねえねえ、それって僕も食べていい?」

「はあ?!」



何を言っているんだと問い詰めたい気分だったが初音がいる手前、そうはいかない。何だかんだ言って初音のお菓子は自分だって楽しみにしていたのだ、それを横取りされるのは気分が良くない
そもそも、日頃から自分の家に上がりこんでは勝手にパンケーキを食べたりと好き放題されているのだ、こういう時くらいは遠慮しろと言う遊矢が初音がシュークリームを素良に渡している事に気付いた時には遅かった


「はい、どうぞ」

「初音先輩?!」

「わあ、おいしい!これおいしいよ、初音!僕好みの味!」

「大丈夫、榊くんの分もちゃんとあるよ」

「いや、そういうわけじゃ…」



――楽しい時間はあっという間と聞いた事がある、今日過ごした時間は本当にいつもよりも時間の経過が早く感じられた、と初音はすっかり夕暮れに染まった空を見上げて、感慨深く感じていた
自分が所属する塾のカリキュラムに学校の授業もない、何もない日。洋子の誘いを受けなければ、ただ無意味に時間を潰していたかもしれない。そう思うと洋子には感謝しても感謝し切れない恩というものを抱いた


「先輩、シュークリーム、おいしかったです!
中でも俺はアイスが入ったシュークリーム!あれがお気に入り!」

「よかった、君に喜んで貰えて」

「あの、あまり話に聞かないんですけど…初音先輩のお母さん達ってどうしてるんですか?仕事とか?」

「いないよ」

「え?」

「小さい頃にどこか行ったの、だから家の中では私一人」



それは初音にとって、特別な事でも悲しい事でもなかった。両親がいないという事は物心がついた頃には浸透していた"当たり前"だ、今更それに付いて何か思う事はない
何てことなさそうに整地された道を歩く初音の後ろで気配が一つ立ち止まるのを感じ、初音もそこで初めて足を止めた。振り向いてみるとそこには悲しそうに表情を歪める遊矢が痛ましそうに自分を見ていた
感受性が元々高いのか、それとも失踪した父親の事を思い出してのその顔なのか――どちらにしても自分の話を聞いて、そんな顔をしてくれる人間は初めてだ。大抵の人は口を揃えて上辺だけの同情を浴びせるだけなのに


「…君がそんな顔をする必要ないのに、榊くんは優しいね」

「だって、俺…何も知らなかったとはいえ…!」

「ううん。話を聞いてくれてありがとう、榊くん」

「初音先輩…」

「また洋子さんや君に会いに、おうちに遊びに伺ってもいい?」

「っ…はい、勿論です!」



初音が"当たり前"に思う、両親がいないという事実がどれだけ悲しい事かを遊矢は知っていた。知っていたからこそ、初音がその事に対して全く感傷しない姿を痛ましくも思った
感情を表に出せない事はきっと両親がいない事実と繋がっているのだろう、だからこそ、初音の申し出を遊矢は受け入れた。少しでも自分達 親子に触れる事が初音の心を救う一つの方法だと信じて


紅茶にける砂糖のように

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