茜色に滲む | ナノ
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▼ 2-2

「お父さん、ちょっと来てー!」

「お?帰ってきたか、柚子!じゃあ、早速今日の授業を…ってどちらさま?」

「はじめまして、柊塾長。今日は突然の訪問で驚かせてしまって、申し訳ありません」

「い、いや…それはいいんだが…先ずは名前を聞いてもいいか?」

「小鳥遊初音といいます」


小鳥遊初音、と遊矢は二度目の接触で漸く知る事になったその人の名前を口の中で紡ぐ、もう二度と忘れる事のない様に心に深く刻み付ける様に
深々とお辞儀をするのは逆に失礼と知っている為にか、それを踏まえて適正な位置まで頭を下げた初音の礼儀正しさからは気品というものが感じられ、彼女の元々の育ちの良さが非常に出ている。名乗った初音の名前に遊勝塾 塾長の修造が聞き覚えがあるらしく、引っかかった様子を見せた


「小鳥遊…?どこかで聞いた事あるような…小鳥遊、小鳥遊……ああー?!」

「うわ!どうしたんだよ、塾長!そんな大きな声を出して…」

「思い出した、思い出したぞ!レオ・コーポレーションに技術提供を続ける、今も昔もDM研究の第一線で活躍する小鳥遊グループ!アクションデュエルの発展にも関わったという…
遊矢達も聞いた事あるだろう、大会で何度も優勝を飾った凄腕の決闘者が小鳥遊グループの令嬢だと!確か…その令嬢につけられたのが《戦乙女の原石》って名前だったか」

「《戦乙女の原石》…先輩が…」

「初音おねえちゃんってすごい人だったんだ…」

「そんな人が一体、遊矢に何の用事があって…」


これが初音との初対面である柚子達には確かに意味が分からないだろう、レオ・コーポレーションと協力関係にあるグループの令嬢が星の数程いる決闘者の中から遊矢に会いに来た意味が。グループの詳細から考えるに、ストロング石島との大会後に集まった人達と同じ様にペンデュラム召喚が目当てなのだろうか、と警戒心すらも生まれる
ただ遊矢だけが警戒心や肩の力を抜いた状態で初音の次の言葉を待っていた、一度か二度の些細な数だが一度会って分かっているのだ。初音がペンデュラム召喚目当てに擦り寄ってくる人間だけではないという事を、この中では遊矢が一人分かっていた
現に彼女は自分が小鳥遊グループの令嬢である事や凄腕の決闘者である事を修造が言わなければ分からぬ様にしていた、自分の用事に必要ないと初音が判断して。それが導く意図はこの話に小鳥遊グループは関係ないということ


「…私には訳あって感情がありません。普通の人にある笑顔や泣く、怒るといった事を現す事が私には出来ない…
その件を踏まえて、榊くんにある頼み事をしに今日、出向いた次第です」

「俺に、頼み……その為にわざわざ中学校まで…?」

「それもあるけど、あの後にもう泣いてないかと気になってたから…」



今まで塾長である修造に向けられていた視線を自分に移され、遊矢の心臓が一度跳ねる。確かに初音が言う様にその顔には表情というものがなく、あるのは目、鼻、口のパーツが存在しているだけの印象が見受けられる。こうして話していても彼女はあまりに人間らしくなく、人形と話している様な錯覚さえも引き起こされる
けれど今日は泣いてないんだね、と寧ろそちらの方が本題かの様な口ぶりで初音は遊矢を伺う。泣いていないかを確かめに来た、初めて会った時に海に感動して泣いていたと勘違いした彼女には本当に有り得そうな話であった


「頼みというのは、榊くんでさえ嫌じゃなかったら…私と友達になってほしいの」

「え?」

「先日の君とストロング石島さんのデュエルを拝見したの。君は凄く楽しそうにデュエルをして、その渦中へ観客の人達を取り込んでいた
感情のない私はデュエルに唯一心を動かされるけど、榊くんみたいに楽しんでいるという様子を表現出来ない…だから君と友達になって、少しでも人の感情、笑顔を学びたいの」


すっと伸ばされた初音の右手は遊矢と握手をする為に出されたものなのだろう、その右手を食い入る様に見つめ、遊矢はどう応えたものかと悩んだ。ただの通りすがりから、それよりも少しはマシな友達になりたかった身としては初音の頼みというのは嬉しい申し出だった
ストロング石島戦を見ての言葉だって今までに受けた、どんな賞賛よりも光栄に思える程に特別なものとして受けとれた。けれど些か初音は榊遊矢という人間を過大評価し過ぎだと、その言葉を最初から最後まで聞いている間に遊矢は思ったのだ。今回のデュエルが偶然、初音の心に響いただけで今後もそんなデュエルが出来るという確証は…


「俺は父さんみたいにデュエルを見てくれた人達全員を笑顔にする力は、まだ持ってない
ずっと卑怯者の息子だって言われて来ました、そんな俺が先輩に笑顔なんて…」

「…君の行うエンタメデュエルには誰かを笑顔にする力を秘めているよ、自信を持って
遊勝さんも確かに素晴らしい決闘者だと思うけれど、私に笑顔を教えてくれるのは榊くん、君がいい」

「どうして、そこまで…」

「…きっと君のデュエルに一目惚れしたから、かな?」

「ひ、一目惚…!」

「うん、皆を魅了する君のデュエルに私も一目惚れしたみたい。…これじゃあ、理由にならないかな」


未だかつていただろうか、と記憶を引っ張り起こそうとする程に初音の言葉は、視線は遊矢自身を見ていた。ここにいる柚子達を除けば、遊矢を見る世間の目というのはあの榊遊勝の息子というだけで注目され、今回はペンデュラム召喚という未知の召喚方に勝手に期待され、出来なければ見捨てられて来た
失踪しても尚、語り継がれる父のデュエルよりも自分のデュエル、榊遊矢がいいと言ってくれた。まだ誰かの信用を預けられるのは怖い、裏切られてまだ罵られでもしたら…きっと今度は立ち直れない。けれど初音の申し出はそんな自分を変える良い切っ掛けになるのではないだろうか、同時に初音の力になれるのなら…ストロング石島に挑む事を決めた日の様に、遊矢はまた一歩進む事を選んだ


「…絶対に先輩を笑顔にできるって断言はできない。出来なかったら申し訳ないから」

「うん、その時はその時。また違う方法を考えるよ、榊くんのせいにはしない」

「俺…本当は小鳥遊先輩の笑顔を見てみたい、笑って欲しいってあの時、思ったんです
そして先輩の話を聞いて、決めました。俺、先輩の力になりたい!先輩が笑顔になれる様に手伝わせてください!」

「…ありがとう、榊くん。とってもうれしい」


こういう時は人は笑ったりして、嬉しさを現すものだが初音にはそれは出来ない。初音の今の様子を例えるなら…花、初音が放つ雰囲気は彼女の様に表情を持たない花に良く似ていた。花開いた時の様に華やいだ彼女の雰囲気というのは人の心を和ませる力を持っている、きっとそれが自分の感じた初音の優しさなのだと遊矢はこの時間で少女の性質というものを理解し始めた
確かに初音には表情や感情の類いはない、けれどその代わりに惜しむ事なく、何かにつまづき転んだ人に手を差し伸べる彼女の優しさというものをあの日、出会った時に感じた。初音が遊矢の笑顔に憧れを抱いたのと同じ様に、遊矢も誰かに優しくなれる様にと感化されていたのだ


「じゃあ、早速この入塾申込書に記入を…」

「お父さん、二人の大事な話にそんなもの持って来ないで!」

「わ、我が娘ながら手厳しい…!」

「…ごめんなさい、柊塾長。すでに他の塾に入っているのでこちらには入塾できないんです
ただ、こちらのカリキュラムには興味があるので榊くん達に会う傍ら、見学に来てもよろしいでしょうか」

「ん?ああ、勿論いいとも!遊矢達の友達だ、いつでも来ていいからな!塾長の俺が許可する!」

「じゃあ、また初音おねえちゃんに会えるの?」


やったー!と今まで黙り込んでいたアユ達がまるで自分の事の様にはしゃぎ出すのを皮切りに、先程までの静寂に包まれていた室内が嘘の様に色めき立つ。初音と遊矢が握手を交わしているのを書類を槍に横槍を突いて来た父にハリセンツッコミを放つ柚子、そしてアユ達
家でも一人でいる時間が多く、静かな空間に慣れている初音にとって遊勝塾という場所は遊園地みたいなものになりそうだ。たまに会う幼なじみも性格としては静かなので、ここまでにはない。寧ろ彼がこんな風になったら別の意味で怖くもある


「あの、小鳥遊先輩」

「なぁに?榊くん」

「先輩の事…名字じゃなくて、初音先輩って呼んでいいですか?」

「…うん、そっちの方が嬉しいな。親しみがあって…どうせなら先輩呼びもなしにして、いいよ?」

「いや、それはっ!その、恥ずかしいというか…あ、決して名前で呼ぶのが嫌とかそういうわけじゃなくて…!」


うん大丈夫、分かってるよと言う初音の顔に表情はない。その一貫として動かない顔は能面の様でいて、何者にも汚されず、一つの足跡もない真っ白な雪原を彷彿とさせた
まだ遠い日の事だろうが考えてみる、笑った顔を浮かべる初音を。満面の笑顔というのはどこか大人びた初音には似合わないから、微笑レベルのものだろうか浮かべるとしたら。今でも充分に整った顔立ちをした彼女が微笑む時が来たら…今度こそ、こんな風にあたふたするだけでは済まないだろうなと遊矢は初音の笑顔を見る自分を思い浮かべた


色づく季節は過ぎて

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