茜色に滲む | ナノ
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背中越しでも感じられる会場中を満たす熱気、最高潮に達した歓声。それに見向きもせずに本来、喝采を受けるべき少女は控え室へ歩を進める。一歩、また一歩と進む少女の柔らかく棚引く髪の流れが風にそよぐ小麦畑を連想させる
群青色をメインに置く制服は舞網市内で有名所として名を知らしめる、私立 舞之海原高等学校のもの。れっきとした名門校の制服を纏っているだけでも目を引くと言うのに、彼女はもう一つ注目されるべき肩書きを持っていた




戦乙女の原石




その響きはアクションデュエルで賑わう舞網市で開催される、幾つもの大会に参加し、優勝を手にして来た彼女の輝かしい功績の表れでもあった
今の立場と状況に甘んじる訳でなく、日々その能力という原石を磨き続け、眩いばかりの輝きを放つ存在、それが戦乙女の原石という通り名の由来とされる。誰もがその二つ名を聞けば、異論なく頷いてきた。その羅列は彼女という決闘者にこそ、相応しいと
彼女こそがレオ・コーポレーションに数々の技術を提供し、アクションデュエルの発展にも貢献して来た小鳥遊家の令嬢であり、一人の決闘者でもある小鳥遊初音



【勝ったよ】



自分に宛てがわれた控え室に戻った初音は短絡的な文面で、ある人物にそうメールを送信した。送信相手の性格を考えれば、帰宅準備をしている間に返事が返ってくる筈だろう
その目論み通り、数分もしない間に先程のメールへの返信が届く。どうやら丁度、休憩中か時間がある時に送れたらしい。中身を開くと同じ様な短絡的な文面が目を引いた、幼馴染みといってもここまで似なくてもいいのにと普通の人間ならば、苦笑の一つでも零している所だ



【今回の出場者のデータでは当たり前だと分かり切っていた、君が負ける筈がないと
今から中島をそちらに寄越すので、彼とこちらへ顔を出す様に】



不器用ながら、勝者に対して伺える気遣いに振り幅が見られない自分の感情に、初音は微かな温もりが灯るのを感じた。そう感じても、彼女の表情筋は固く動きを見せない。能面、それが初音を現すに相応しい表現方だった



「…ここで何をしているの?」

「え…」



メールの指示に従い、彼直属の部下の迎えを待とうと外に移動した初音は海辺に一人の少年の姿を見つけた。舞網中学校の制服を肩にかけている所を見ると自分より年下なのだろう
誰かに話しかけられるとは思っていなかった、と想定外の事態に狼狽える少年はゴーグルで瞳を隠していた。夕焼けに目を焼かれない様に…という処置ではないらしい事は彼のゴーグルの中に広がる水面が物語っていた、まるでこの舞網市一体を囲む海原の様だ



「今日の海は誰が見ても綺麗、泣いてしまいそうな程に…
だから、君が泣いても誰もそれを咎めたりしないと思うよ」

「……」



それを聞いていた少年の呼吸が一瞬、止まった。泣きたい時は笑え、と教えられて来た彼にとって衝撃的だった。泣きたい時に泣けばいい、と促された事はこれまでの人生を振り返って、あるかないか…どっちにしろ聞き馴染みのない言葉に違いない
不思議な魅力を持った人だな、と少年は海を見つめる青い瞳を見上げる。女性と見間違える様な、大人びた人なのに自分の泣いていた理由が目の前の海に感動したからと純粋に本気で思っている、何て単純で純粋なんだろう
そして何より、見ず知らずの自分の涙を受け入れてくれた優しさが心地良かった。その優しさと感じた魅力は少年にもっと話してみたいという興味をふつふつと沸かせるが、タイムリミットが無情にその熱を急激に奪っていく



「もう行くね」

「え?あ、あの…!」



ゴーグルを慌てて外そうとする動作の間に、初音は少年に背を向けて行ってしまう。今や彼女の視線は会場前に止まった車に目を向けられていて、もう少年に振り返る事はなかった。自分の背に伸ばされた腕にも気付く事なく
名前が知りたかった、もっとその暖かな人柄に触れたかったと悔やんでも時間が戻る訳でもなく。その場に少年を残し、高級車から出て来た男性のエスコートを受けて乗り込んだ初音を乗せた車はそのまま発進してしまった

また会えるかも分からない、今日一度だけの交流だったらもっと話していれば良かったという心残りと共に彼の心にはもう一つ色濃く残ったものがあった。それは初音の一貫した無表情
泣いているのを見られ、指差して笑われるのはたまったものではないがあそこまで感情を露にしない人を今まで見た事がなかった。だからこそ、あの人の笑った顔というものに惹かれた
もしも、この場に自分の父親がいたとしたら、あの人の感情を動かす事も出来たのだろうか。けれど今いない人を頼っても仕方がない、あの人の笑顔を見たいなら自分自身で何とかするしかないのだ
出来るかは分からない、けれど見ず知らずの自分に優しさを分けてくれたあの人の様に自分も自分の笑顔をデュエルで届けたい――そう榊遊矢は初音に淡く思い馳せた


砂時計の鼓動はを帯びていく

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