茜色に滲む | ナノ
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「初音先輩、まだかな」


風の噂で初音の退院を聞いた遊矢は密かに彼女の通うLDSにやって来ていた。入口付近は今日のカリキュラムを終えた塾生達で賑わい、談笑などで盛り上がっている
あの事故後、どうにも初音と会い難くなってしまってから、数週間が経過していた。勿論そうなった原因は自分にあって、初音はきっとあの時の事を気にも留めていないだろう
ただ、自分が顔を見せない事に彼女が何か思う所があればいいと望みながら、遊矢は数週間ぶりの再会に妙に緊張していた。この緊張感は初音と二度目の再会を果たし、彼女からの頼みを聞いた時のものに良く似ていた



「あれって榊遊矢じゃないか?」

「…!」



声が聞こえた方へと振り向いてみるも、そこには帰路につく塾生達が遊矢の存在を気にも留めず変わらずに談笑する光景があるだけ。今となってはあの声が誰のものかなんて判別する事は出来なかった
名もない声を聞いてからだった、傍を過ぎていく塾生達の視線が自分に集中している様に感じたのは。それが錯覚だという事は遊矢自身も分かっていた、けれどその錯覚は意識すればする程に現実味を帯びていく
上手く呼吸が出来ない、それは父が失踪した後に残された自分や母に注がれた突き刺す様な人々の視線に畏怖した頃の自分と重なって。心臓が嫌な音を立てる。いっその事、ここから逃げ出してしまおうか――そう至った時



「…榊くん?」

「あ…初音…先、輩」



どんなにその人の声を聞きたかった事だろう、どんなにその存在を待ち焦がれた事だろうー今にも泣き出してしまいそうに胸の中で立ち込める暗雲の下、彼は一筋の光という存在の尊さを知った
今の自分は一体、どんな顔をしてその人に向けているのだろう。そう思うも遊矢にはそれを知る術はない、けれど目の前の少女が自分の名前を呼んだ続きを悩む程には今の自分は気楽に声をかけていいものではないらしい



「…行こう?」



そっと何かが触れた肩、それが初音の手だという事に遊矢が気付いたのは出入り口を抜けた後だった。暫くの間、無言で歩く。どこに行くかは分からない、だが初音には遊矢を連れて行きたい場所がある様に感じられたのでそれに応じる
基本的に初音は聞き役だ。だから会えなかった分、たくさん話をしようと、聞いて貰おうと話題を集めて来ていたのにこれでは何の意味もない。折角会えたのに自分の事で気を使わせてしまっている、この状態が遊矢をまた追い詰めていた



「…大丈夫?榊くん」

「俺、情けないですよね…最近はこういう事がなかったから、いつもより気にしちゃって、先輩に助けられて…」



自虐的に微笑む姿を燃える様な夕暮れが見ていた。初音が彼の話を聞こうと決めた場所は街に多々あるデュエルコートの一つ、その傍にある海辺。そう、ここは二人が初めて出会ったあの場所だ
じっとこちらを見つめる瞳はこの街を包む青い海の様でいつも自分の成長を見守ってくれた、そんな瞳を持つ彼女には自分がどれだけ弱い人間なのかを知っておいて欲しかった。そして否定して欲しかった、そんな事はないと
未だに自分がどんな顔をしているかは分からないが、先程よりは冷静になった頭で考えるにきっと情けない顔をしているに違いない。そんな顔を見られるのが嫌でゴーグルをつけようとした手、その手が掴まれた場所から自分のものとは違う熱が侵していく
遊矢は困惑した、何故こんな弱い自分を隠させてくれないのかと。けれど初音は戸惑うばかりの遊矢の姿を彼が海の様だと称した瞳で直視した、じっと見ている内にこちらが吸い込まれそうな程に深い青が遊矢の弱さを飲み込んでいくかの様だ


「初音先輩…?」

「君はペンデュラム召喚の始祖、これからも沢山の人が君に注目すると思う。その中には尊敬の念や嫉妬の念が含まれる事もあるんじゃないかな
…酷な事かもしれないけれど、そんなものや今日向けられた感情に慣れていかないといけないと思う。一つ一つのものにつまづいていたら、きりがないよ」

「っ…」

「…でもね、そんなもの達に君がつまづいて転びそうになったら…
君が周りの感情に埋もれそうになったら私は迷わず、君の手を取って助けるよ」



その言葉に嘘はないのだろう。だって初音は確かに雑踏の一つに過ぎない声に怯える自分の手を取り、ここまで導いてくれた。あの日の様に助けを求める人に手を差し伸べる事を彼女は特別だとは思わない人なのだ
ふわり、と風に乗って揺れる髪が真っ赤というにはまだ淡い橙色に輝き、眩しい。この光景に目を細める遊矢は既視感を覚えた。幼き日にペンデュラムをなくし、涙を流す自分に手を差し伸べてくれたあの少女が目の前にいる様な―



「え…?」



授業中の居眠りで見たものよりも鮮明で、逆光や邪魔するものがない記憶。その中で幼い自分が笑いかけた少女の長い髪は白いワンピースと共に稲穂の様に風に揺れ、深い慈悲に満ちた青色の瞳はこちらを見つめている
ああ、なんて事だろう――初音はこの事を知っていたのだろうか、彼女が知っているのに自分だけが覚えてなかったなんてそんな事、許されてもいいのだろうか


これを運命と呼ばずに何と呼ぶか、遊矢は知らない


色に滲む


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