みじかい | ナノ



 何故だと訊かれたらこうだからとは言えないけれど、わたしは心の底から奴が嫌いだ。受け付けないと言っていい。どこぞのドMでないかぎり人類は苦しみを好かないのと一緒で、わたしは奴が生理的に無理なのである。この世に生を受けたその日から、きっとわたしは当時見も知らないあいつを毛嫌いしていたのだ。


 だから今、とてつもなく、吐きたい。


「ねえ、なんで無視?それツンデレ気取ってる?かーわいい」

「黙れうざいキモい消えろプリンで頭打って死ね」

「酷いなあ、俺はこんなにも愛してるのに」

「よしわかったドアノブ触って静電気で感電して死ね、そして誰にも弔われることなく土に還れ」


 黒がとてもお似合いでらっしゃるこのストーカーは既にかれこれ10分程後ろにくっついてきている。ただでさえこちとら8時間勤務の後むかつく上司の残した仕事をサービス残業で4時間もしてきたというのにこれではストレスが溜まる一方だ。
 特に今は尋常じゃない。周りに人がいなければ、わたしはきっとこの場所でもかまわず大声で叫んでいたことだろう。


「ねえなんでついて来るの!あんたの家反対でしょう、いい加減にしてよ!」

「もーなんで怒るのかなあ、ただ向かってる先が同じ方向なだけじゃないか」

「じゃあさっさと前を行け、行ってしまえ話しかけるな」

「つれないなあ」

「つれてたまるか!」


 前を向いたままの威嚇。全く意味がないけれど、どうしても後ろを、この男を見たくなかった。
 かつかつ、ヒールの音だけが響く。相も変わらず前を歩こうとする気配はなくて、本当に嫌になる。そうだよ無視しよう無視無視無視無視。あー何も聞こえない。よし。


 15分後。わたしの住んでるマンションの入口に着いたときだ。あの男はまるで何かを思い出したようにぽんと一回手を叩く。
 無視するって決めたんだ、気にしない気にしな、


「事務所に携帯忘れて来ちゃった」

「‥‥‥は?」

「じゃあねー俺戻らないと」


 そう言ってたった今通って来た道を踵を返して戻っていく黒。呆気にとられて気付いたときにはもう奴は見えなかった。


「‥‥ばっかじゃないの」


 ついて来る前、そう逢ったとき。どなたかと電話していたあの小さな機械は、一体なんだったというの。


「あっは、何よ。送ってくれたとでも?」


 白い息が空にのぼる。朝コートに仕込んだカイロはもうかちかちに固まって役をなしていなかった。震える指に息を吹きかけ、あの憎たらしい男が消えた道を一瞥した。



 ああ、こんな優しさ、反吐がでそうだわ!




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