▼ こんな所で‐02
「知ってる」
「あのドアから地下に行けるようになってまして。その地下室で僕はお薬を研究したり新しく作ったりしているんです」
「……一人でっ?」
「はい。一人でコツコツと。たまたまできた媚薬がそっち系の人たちにすごい好評で、それからそういう怪しい薬を作るのが専門になりました」
そっち系の人たちって何。ということは深く突っ込まないことにして、光はなるほどねと納得しながらラーメンをすすった。
「キモくてド変態なあんたにふさわしい仕事ね」
「ありがとう御座います。他に知りたいことはありますか?」
悪態を柔らかく切り返され、光は視線をギロリと楓に向ける。
ボサボサの頭に、湯気で曇った分厚い眼鏡。
貧弱そうな身体をさらに際立たせる猫背。
美味しそうにラーメンを食べる楓は初めて会った時と変わらず、男らしさをまるで感じない冴えない雰囲気をかもし出している。
……けれど、昨日だけは違った。
今の楓になら余裕で罵りながら暴力を振るうことができる。
なのに白衣を着ていたときの楓は、豪胆さに満ち溢れ、光ほどの強情な人間すらも制圧させてしまうような妙なすごみを放っていた。
「昨日のあんたはなんだったの?」
まるで別人のような変貌の謎をつきとめるべく光は質問を投げかける。
「なんだったとは?」
「今と全然性格が違うじゃんっ!」
「……そうですか?」
顔を上げた楓はとぼけているわけでもなく素でキョトンとしているようだった。
「何言ってんのっ? めちゃくちゃ変わってたじゃん!」
「んー……。もしかして白衣のせいじゃないですか? 人って着る服によってガラッと印象変わるじゃないですか」
「そういうレベルじゃないから!」
「それにあれを着るといつもよりは気が引き締まる感じがしますしね」
「………」
そういうレベルでもない。
そう言い返すよりも先に“この男にはもう常識は通用しない”という諦めに行きつき、光は何も言わないままラーメンを食べることに専念することにした。
「……っふはー! ごちそうさまでした!」
光よりも先に鍋を空にした楓は満足げなため息を吐き、背伸びをしながら立ち上がる。
「さて、支度が終わったらぼちぼち出かけますか?」
「出かけますか……って、何? 私を誘ってんの?」
「そうですよ」
「はぁっ!? なんであんたと一緒に行動しなきゃなんないのよ!」
「ひか、……あなたが使う生活用品とかを買いに行かないと」
「生活用品!? ちょっと、私がここに住むって勝手に決めつけないでよ!」
「おうふっ。まだそんなことを言うんですか。あなたが僕のお手伝いさんになってこの家で暮らすということはもう定められた運命なのですよ?」
「なにが運命だっ! お前と一緒に暮らすなんて絶対に嫌っ!!」
「そんなこと言ったってあなたはもう僕なしじゃ生きていけないわけですし。……それに、他に行くあてはあるんですか?」
「……っいくらでもあるわよ!」
「またそんな強がり言っちゃって。ここから出て行ったって、公園にいたときのようになるだけでしょう?」
「……っ」
「家事をちょこちょこっとやるだけで衣食住にさらに僕の精液までついてくるなんて、これ以上の待遇はないですよ?」
「………」
楓の言う通り、他に自分を住まわしてくれる知人もお金も光には何一つなかった。
ここで楓の言いなりとなって暮らすしか生きる手段は残されていない。
しかし光は、いいように操られ何もかも楓の思い通りに運んでいるということが忌々しくて簡単に受け入れることはできなかった。
返す言葉も術もなく、子供のようにふて腐れて黙り込む光。
そんな強情な光に最後の一押しをするべく、楓は寝室から自身の財布を持ち出して、中に入れていた万札を光に突きつけた。
「ほらっ、これを見よ!」
「……!!」
ざっと10枚以上はあるだろう。
その神々しいほどの札の束を前にして光はとたんに目の色を変えた。
「これ全部、生活用品にあてていいですよ」
「ぜ、全部っ……!」
「お買い物、行きますか?」
「行く!!」
さっきまでの無駄な意地をなぎ払って光は意気揚々に立ち上がる。
「あ、でもその前にお鍋片づけて下さい」
「はっ……!?」
なんでそんなことまでしなきゃならないの、と噛み付きかけたが、欲しいものを手に入れられるなら鍋の2つ洗うくらい我慢しなきゃと悪態を呑み込み台所に立った。
「……ていうか、そのお金どっからでてきたの?」
「地下にある金庫からです」
「金庫っ!?」
衝撃的な言葉を聞き、光は思わず手にしていた鍋を流しに落してしまう。
「こう見えてお金のことはきちんとやってるんですよー」
「ありえない……」
こいつ、こんな貧乏臭い身なりしといて金庫なんて持ってんのっ……!?
まあ媚薬とかそういう怪しい系の薬って結構儲かりそうだもんね……。
あんな大金ポンと出せるくらいなら、まだまだお金は有り余ってるってことよね?
一体月にどんだけ稼いでんのかしら……。
そうして頭の中をよこしまな考えでいっぱいにしながら、光は生まれて初めての洗い物を雑にこなしていった。
・ ・ ・ ・ ・
「バスぅっ!?」
青い秋晴れの空に光の怒りのこもった声が響き渡る。
「バスですよ?」
バス停の時刻表を確認しながら楓は平然とそう答えた。
「なんっでわざわざバスなのよ!? タクシーでいいでしょうが!」
「タクシーなんてそんな高級なもの乗れません」
「お金たくさん持ってるだろうが!!」
「老後の生活も考えてコツコツ節約して貯金してかなきゃダメですよ!」
「キモいっ!あんたがまともなこと言うとすっごいキモい!」
「とにかく無駄遣いはいけません! あ、もうバス来ましたよ!」
タイミングがいいのか悪いのか、曲がり角からのそりと現れたバスが大きな音を立てて2人の前に停車した。
……何このおんぼろバス……最っ悪。
塗装に年期の入ったバスを睨み上げてげんなりとため息を吐く光。
そんな光に構わず楓はバスに乗り込み、慣れた手つきで整理券を取る。
ここまできてダダをこねてももうどうしようもない。
光はもう一度わざとらしく息を吐き出しながら重い足取りでバスに乗り込んだ。
「あ、整理券取らなきゃだめですよ」
「せっ、せいりけんっ?」
「これこれ。おっちょこちょいなところも可愛いですにゃー」
「黙れ! しょうがないでしょ、初めて乗るんだからっ!」
楓の頭を叩きながら整理券を受け取り、光はバスの中をぐるりと見渡して一番広々とした最後列の座席へと向かった。
「……ちょっと、なんでついてくんのよ」
「え? そりゃあ、お隣に座るためですよ」
「当たり前のように言うな! 別のとこ座んなさいよ気色悪いっ!」
「んもう。照れ屋さんなんだから」
「眼鏡割って眼球破壊するぞ」
そんな悪態を笑って受け流し、楓は光の前の座席に腰を下ろす。
「車酔いとか平気ですか? 具合悪くなったら言ってね。僕が吐瀉物を全身で受け止めてあげますので」
「お前のその顔と発言に吐き気がするわ。こっち向くな。キモい。死ね」
そうこう言い合ってる間にドアが閉まり、大きな揺れと共にバスが発進した。
初めてのバスに気が落ち着かず、光はソワソワと車内のあちこちを観察する。
「お降りの方はお知らせください」というアナウンスの後に窓に手を伸ばしてピコンとボタンを押す老人。
それを見て、光は自分のすぐそばにあるボタンを見上げた。
……なるほど、目的地に着いたときはこれを押すのね。
ボタンがあると押したくなるのが人間の性。
赤く光るそのボタンを眺めながら光はムズムズと心を疼かせる。
「……押したい?」
「っ!!」
不意に声をかけられ、慌てて視線を移す。
そんな光を、楓はニヤニヤと楽しそうに含み笑いをしながら見守っていた。
「こっ、こっち向くなつってんだろクソ眼鏡が!!」
「ぎゃふぅッ!」
完全に童心に返っていた自分を見られたという羞恥はたちまち怒りに変わり。
当然楓は、容赦ない右ストレートを頬に食らわされたのであった。
・ ・ ・ ・ ・
「ほんとに押さなくていいんですか?」
「いいってば! さっさと押しなさいよ!」
「でも押したいんでしょう?」
「勝手に決めつけないでよ! 私は別にっ……」
ピコーン
「あ」
響き渡る電子音と共に一斉に赤く光るボタン。
どうやら他の乗客が先に押してしまったらしい。
……なっ……、誰だ!? 誰が押しやがったんだこの野郎!!
しかし犯人を見つけ出しても「私が押したかったのになんで押すんだよ」なんて言い寄れるわけもなく。
このときばかりは光は自分の意地っ張りな性格を呪うしかなかった。
「さてっ、まずはどこに行きっ痛ぁい! なんで蹴るですか!?」
というわけで仕方がないので行き場のない憤りは全て楓にぶつけることに。
「ボタン押せなかったこと拗ねてるんですかっ?」
「何言ってんの。馬鹿じゃないの」
「いや、絶対拗ねてますよね!」
「うるさい。拗ねてない」
「あっ、待って! 先に行かないで! 太もも痛くてうまく歩けないからちょっと待ってぇっ!!」
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