右肩にかけたバッグがずっしりと重い。バイトを終えた帰宅途中、最寄りのスーパーで半額になったコロッケとインスタントのスープだけ買った。一人暮らしをはじめたときはがんばって自炊する宣言をしていたのに、一式そろえてもらった調理器具はここのところ電気ケトルだけが活躍している。家と大学とバイト先を行ったり来たりの生活のなかで、第一に睡眠。食事はどんどん適当になってしまっている。

「なまえちゃん」

家の鍵を取り出すべくバッグに手をかけようとしたとき、わたしの名前を呼ぶ声。いるはずないのに、と思いながらも顔を上げると、そこにいたのはやっぱり彼だった。大好きな声を、聞き間違うはずがないのだ。

「…何やってんの?」
「何って、会いに」
「連絡してくれたらいいのに」
「だって連絡したらバイトで会えないって言うでしょ」
「だってバイトなんだもん」
「知ってるよ。だから来たんだから」

それ、理由になってないんだけどなぁ。大学に入ってからの毎日は思っていた以上に忙しくて、連絡をとらない日が増えた。徹は徹で相変わらず部活をがんばっているみたいだし、お互いに。いつかこのまま連絡を取らなくなって、どんどん会わなくなっていって、そのうち自然消滅するのかもしれない。そう思うことが増えた矢先。

「なまえちゃん、ごはん食べた?」
「ううん。さっきスーパーで買ってきた」
「やっぱりね。だから今日は、俺が作ります」

じゃーん!ありふれた効果音をつけて、徹は左手にぶら下げたスーパーのレジ袋を顔のあたりまで持ち上げた。

「え?どういうこと?」
「そのまんまだけど」
「いや、っていうかもうすぐ終電なくなるでしょ」
「泊まるって言ってるから大丈夫。明日は直接部活行くし」
「部屋片付けてないんだけど」
「俺そういうの気にしないから平気」

帰る気はないらしい。というより、男の子といえどこの時間に高校生を一人で帰らせる方がよっぽど危ないか。本当に汚いからねと何度も念押ししながら、徹を部屋に上げた。玄関には未だに冬のロングブーツが出しっぱなしで、そのかたわら、先週履いたサンダルが転がっている。それを足でザッと片側に寄せて、無理矢理足の踏み場を作った。

「徹、ごはんって何作るの?」
「まだ秘密。あ、ごはんだけ炊いて」
「えー?この時間にごはん食べたら太るし」
「なまえちゃんはちょっとくらい太ったって大丈夫」
「徹がよくてもわたしがよくないの」
「ほら、おっぱい大きくなるかもよ?」
「余計なお世話ですー」

バッグを適当に床に置き、そのままベッドに腰を下ろすわたしとは対照的に、徹は買ってきたものをせっせと冷蔵庫に詰めたり、すぐ使うであろうものをその場に置いたりと忙しそうな様子。手にしたものから、何を作ろうとしているのか分かったような気がした。

「手伝おうか?」
「大丈夫。なまえちゃんは休んでて。あ、先にシャワー浴びてきてもいいよ」
「一緒に入るんじゃないの?」
「…あ。じゃあやっぱだめ、寝てて。出来たら起こすから」
「んー」

ごろんとベッドの上に寝転がった。ワンルームの小さなキッチン(と呼ぶにはあまりにもお粗末なもの)に徹が立っていることが、なんだか不釣り合いで笑える。あ、そうだ、ごはん。お米を洗うために重たい身体を起こした。

「どうしたの、今日。突然」
「んー?なまえちゃんがそろそろ俺に会いたいんじゃないかと思って」
「自意識過剰だね、やばいね」
「え〜?会いたかったのは俺だけ?」
「あはは。ううん、会いたかった」

後ろから抱きしめようとすると、今汗臭いから、と拒まれてしまった。おとなしくお米を洗って、炊飯器にセットする。炊き上がるまではこれから1時間弱だろうか。

「ねえ、本当に大丈夫?」
「大丈夫だから座っててって」

言われた通り、またベッドに腰を下ろして徹を見た。時折、うわ、とか、あ、とか不安をあおる声がこぼれるたびに心配になったけれど、何も言わないことにした。徹が来ることが分かっていたら、コロッケ二つ買って来たのになぁ。バッグのなかからレジ袋を取り出して、部屋の真ん中にあるテーブルの上に置いた。いっしょに買ったスープは明日でも明後日でも、いつでもいいか。



「出来たよ」

…徹の声に起こされる。いつの間にやら眠ってしまっていたようで、目を開けた瞬間に待ちかまえていた彼にキスされた。

「なまえちゃん、おはよう」
「おはよ…ごめん、寝てた」
「いいよ。ごはんもうすぐ炊け…あ、炊けた」

電子音が鳴り、ごはんが炊けたことを知らせる。しゃもじの入っている棚を教えてあげると、徹は鼻歌をうたいながらそこを開けた。茶碗もお椀もお箸も、一応、二人分はある。彼のためじゃなくて、友人や母が泊まって行くこともあるからだけど。

「ハーイ、食べますよー」
「なんか徹、お母さんみたい」
「えー?どうせならパパがいい」
「何のこだわりなの」
「いいから、いいから」

床に転がった薄っぺらのクッションに、90度に座る。テーブルの上には炊きたてのごはんと、徹が作ってくれた味噌汁がほこほこと湯気を立てている。何で味噌汁なの。

「昨日の調理実習で作ったんだけどさ〜、結構うまく出来たからなまえちゃんにも食べてほしいと思って」
「調理実習かぁ。懐かしいね」
「食べよ、食べよ」

両手をあわせ、二人でいただきますをしてお椀を手に取る。せまい部屋を満たすだしと味噌の香りに、さっきからおなかがぐるぐると鳴っていた。お箸で軽くかき混ぜると、不格好な豆腐や玉ねぎがぷかりと浮かんできて少しだけ笑ってしまいそうになった。お椀に口をつけて、ひとくち。

「あ、おいしい」
「でしょ?さすが俺」
「うん、普通においしい。お母さんの味噌汁とちょっと似てるかも」
「マジ?」
「実家で使ってる味噌、徹が買ってきたのと同じだった気がする」
「あ、じゃあ俺んちのと同じだ。家の冷蔵庫にあったやつちゃんと調べてさ〜」
「そうなんだ」
「ってことは、将来俺たち大丈夫そうだね」

どういう意味?手を止めて徹を見ると、にこにこしたままごはんを口に運んだ。まあいいか。買ってきたコロッケは半分ずつ。男の子には物足りないんじゃないかと思ったけど、おなかが空いたら後でコンビニでも行けばいいか。

「徹」
「なにー?」
「ありがとね、今日」
「俺が会いたかったから来ただけだよ」
「うん。でもわたしも会いたいなって思ってたから」
「じゃあさ、一つだけお願いがあるんだけど」
「なに?」

徹は持っていた茶碗とお箸をテーブルに置き、ゴホン、とわざとらしい咳払いをする。わたし以外に誰もいないのに、わざわざ耳元で呟くなんてずるい人だ。そういうところも好きなんだけど。

「ちょっとだけ抱かせて」

ちょっとじゃ済まないくせにね。
明日の朝は徹より先に起きて、味噌汁と、あと、目玉焼きでも焼いてあげよう。そんなことを考えながら、お椀を傾けて頷いた。
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