フライパンから立つ細い湯気が、ごうごうと回る換気扇に巻き取られていくのをカンサツ、する。福永の手がフライパンを離さず、私の体がワインでほんのりあたたかくなっている今、他にする事なんかない。
およぐ白に、意味もなく規則性を見出そうとしているうち、じゅわっという良い音と、良い香りが散らばった。湯船に浸かった瞬間のような、あ〜、というため息に近い声が漏れる。鼻に至福。オリーブオイルは偉大である。



「まだ?」
「マダ」


あ、そう。肺は満たされたのに胃は満たされないなんて、なかなかの生殺しなんだけれど。なんにもしていない私はなんの文句も言えないので、またワイングラスだけ傾けた。そもそもこの美味しいワインだって、福永が何処からか持ってきたものだ。


私の父方の実家から送られてきたが到底食べきれない、という訳で2人で住むアパートにまでありがた迷惑なお裾分けをされたホタルイカに、私は眉を寄せて福永は目を輝かせた。ぱっちり開いて光る目を見て、そうだこの人は魚介が、特にイカが好物なのだったと、思い出した。

普通のイカならまだ、百歩譲ろう。しかしこのホタルイカ、切り分けなくとも一口サイズであるというところが世間一般の利点であり、私にとっての欠点だったのだ。エンペラに胴、ゲソまで、半透明な体の形がそのまんま、というのが、調理するにはどうもグロテスクで。その旨を説明したところ、なんだそんな事かとでも言いたげなしれっとした顔で「任して」と言ったので、遠慮なく彼に丸投げさせていただいた。料理ができる彼で有難かった。


「ていうか、本当にどこから持ってきたの?これ」
「んん?」
「ワイン。なんか、いいヤツっぽい」


グラスを鼻先でフラフラと揺らすと、なんかこう......ホウジュンで.....鼻腔をくすぐる.....フルーティな.......だめだ痒いい。とにかくいい香りで、もちろん飲みやすくてすっごく美味しいこのワインの出処はどこなんだろう。投げかけた質問をスルーしながら、彼は箸の先ですっかりいい色になった一匹をふーふーしている。普段は私と一緒にあたりめ片手にプレモルばっかり開けてる彼が、改めてこんなお酒を手に入れるに至った経緯が気になったものだから「ねえってば」と二重に問いかけた訳だけど、次の瞬間には、私の口は巧みに塞がれた。

イカで。


「ん、うま!」


反射的にひと噛みしたイカの良い弾力と、思わず綻びそうになるオリーブオイルの風味は、アルコールの染みた口にマッチして、それはそれは堪らなくて。


「すごい好き」


吐いた息と一緒に感動を伝えると、でしょ?とでも言いたげな笑みを浮かべられた。
味覚までこんなに把握されているなんて、彼はきっと私より、私をよく知っているんじゃないだろうか。


うん、たぶん、そうなんだろう。


若干の照れと反抗意識を混ぜこぜにしながら、そばにあったフォークを取ってよく焼き目のついた一匹を刺す。それからカウンター上にある小瓶の群れからビネガーを選び、二滴垂らした。その時点で、もうそれが自分のものだと知っていた福永が、あー、と開けて待っている。宛ら餌付けで、面白い。阿呆っぽさに笑っている間に飲み込まれていった。


「ん、さすが」
「でしょ?」


彼が私よりも私を知っているのなら、私もたぶん、彼よりも彼を知っているのだ。


静かなキッチンに漂う、どこへも行けない心地よさに腰を落ち着ける。いつからこんな風になれたのか分かりっこないくらいに、とっくの昔から浸ってしまっている。あーあ。
それに呆れながら、ちょっとだけ笑みながら、またワインを一口飲んだ。

うん、美味しい。
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