『え、もしかして、聞いてなかった?』

電話の向こうの友人の声に、焦りの色が混じったのが分かった。聞いてないけど、と自分の声にも不機嫌な気持ちが表れる。みるみるうちに胸の中に広がっていった黒いもやもやは、すぐにさして大きくもない胸の中を埋め尽くして居座ってしまった。
トーンの下がった私の声に、友人は更に焦りの色を濃くしていく。へえ、ああそう、と相槌を打ちながら話を聞いて、でもこの人は何も悪くないんだからと最後はどうでもいい話をして電話を切った。

彼は今日、合コンだそうだ。

「なにも聞いてないけど」
『えっ…あ…じゃあこれ、聞かなかったことにして…』
「無理。合コンって何の話」

エプロンを外してソファの上に放り投げた。料理なんてする気もなくなって、ベッドの上に横になって目を閉じながら先程の電話を思い出す。
せめて何か一言くれていたならまだ許したのに、そう思って携帯を覗いたところで、彼からはなんの連絡も入っていない。最後にした会話は16時3分、『今日おまえんち行く』『わかった、ごはん作って待ってるね』『腹空かしてくわ』だ。
なーにが腹空かしてくわ、だ。合コン行って可愛い女の子といちゃいちゃしてるくせに。

分かってはいた。分かってはいたけれど。虚しい気持ちのまま、画像フォルダを開いてスクロールする。出会った頃の写真には、私以外にもたくさんの女の子たちが映っていた。
彼とは大学のサークルで出会った。いつも隣には女の子がいて、彼女も割とすぐに変わって、だけどモテるだけあって気の利く人だった。例えば講義休んだからレジュメコピーさせて、と連続で頼まれても、ふざけんなよとそのレジュメの束で頭を一度叩けばあとはもう笑い飛ばしてしまえるような、そう、嫌味っぽさがどこにもなくて暖かな人だった。それにそんなことをしていても根は真面目だそうで、だからいつも周りに人がいるんだろうなぁと思っていた。
そんな興味はいつしか憧れに変わり、恋心に変わった。サークルでの写真も、時間が経つにつれて距離が近くなっているのがわかる。でも彼は女の子好きだしなぁと半ば諦め半分だったのに、彼に暫く彼女がいない期間が出来たあと彼の方から告白された。まさが自分が彼女になれるなんて。想像もしていなかったその展開は、どういうわけかもうすぐで一年が経とうとしている。
半ば私の部屋に住み着いている彼がこの前、「俺こんなに人んち住み着くことないよ」と言っていたのは、嘘だったのだろうか。
確かにいつも周りに人がいるくせに、一人の時間もきちんと大事にしている人だ。そんな彼がほとんどの時間を私に割いてくれているなんてと嬉しく思ったのに、ああ、彼はきっとそろそろ私に飽きてきてしまったんだ。次は今日出会うであろう年下の可愛い女の子とでも残りの大学生活を過ごすんだ。

悲しくなってきてこのままふて寝してやろうと思ったのに、ぐう、とお腹が鳴ってしまった。仕方なく体を起こして投げ捨てたエプロンをもう一度つける。今日はねぇ、秋紀の好きな竜田揚げを作ろうと思ってたんだよ。秋紀と付き合わなかったら唐揚げと竜田揚げの違いなんてきっとわからないままだった。なにが違うのと聞けば味と答えられて、私には同じに思えるんだけどなぁとテーブルの下で彼の足を軽く蹴飛ばしたのもいい思い出。くそ、むかつくから竜田揚げやめて唐揚げ作ってやろ。冷蔵庫から鳥肉を取り出して、まな板の上に広げた。



じゅうじゅうと音を立てながら色を変えていくそれに夢中になっていて、テーブルの上に置いていた携帯が震えていることなんて全く知らなかった。だから突然開いた扉に心底驚いた、ここをチャイムなしで開けられる人なんてひとりしかいないと分かっていても、そのひとりだってこの時間に帰ってくるわけないと思っていたから。

「ただいま。…なんで電話出てくんないの」
「…え…なんで…合コンは…?」
「えっなんで知ってんの」

秋紀がジャケットを脱ぎながら部屋に向かう。テーブルの上に置きっ放しの私の携帯を見て、あーこりゃ気付かねーか、と独り言を零した。

「合コン行ってねーよ。今日はおまえんち帰るって言ってたじゃん」
「…こないかと思った…」
「えっ。俺本気で腹空かしてきたよ。竜田揚げ?一人前しかない?」
「一応二人分だけど…これ唐揚げだよ」
「は!?なんで!?」

どうにも会話が噛み合っていない。秋紀のほうを見ながら納得いかないと言いたげな顔をしていたであろう私の手に油が跳ねて、そこで揚げ物を放ったらかしにしていたことを思い出した。慌ててキッチンペーパーの上に唐揚げを乗せれば、みるみるうちに油が染み込んでいく。
一人暮らしで揚げ物だって、きっとこの人と付き合わなければやることなんてなかったんだと思う。私の心情なんて知らない秋紀が少し残念そうに私の後ろにやってきてくっつき、お腹空いたと口を開ける。

「ちょっと、あぶない。もう少しで出来るから待ってて」
「味見させてよ」
「揚げたてだから火傷するよ」
「ん〜…」
「テーブル拭いて準備して」

言われた通りに動き出す秋紀がなんだか面白かった。テーブルの上に置きっ放しだった私の携帯はベッドの上に放り投げられて、代わりにそこに唐揚げが乗る。行儀良く手を合わせていただきます、と言うと、早々に秋紀の箸が唐揚げに伸びた。

「…なんで今日は唐揚げ?」
「…合コン行ったと思ったから…」
「行ってねーって。誘われはしたけど人数合わせってわけでもなかったから…うめえ」
「あ、ほんと?良かった」
「うん。で、お前嫌がるでしょ合コン行ったら」
「…嫌がんないもん」
「嘘つけよ唐揚げにしたくせに」

秋紀と付き合うようになってから、竜田揚げしか作らなくなった。揚げ物と言えば竜田揚げ、という考えが彼にも、そして私にも染み付いてしまっていることが悔しくて仕方ない。
こわくて、…怖くて聞くことができていないけれど、きっと私は彼に大事にされている。彼女がころころ変わる秋紀ともうすぐ一年を迎えることとか彼が私の家に住み着いていることとか、今までとは違うんだろうなってことくらいなにも言わなくたって分かる。分かるんだよ。きっと昔は何度も行っていたであろう合コンも、私が嫌がるだろうからってやめてくれて。

…幸せなの。幸せだよ、どうしたらいいの。あなたと離れたくないよ、離れられてしまわないようにするにはどうしたらいいの。

「…合コン、先に行くって言ってくれたら行ってもいいからね」
「なにいきなり、行かねーよ嫌がるでしょ」
「…嫌がんないもん…」
「…ほんとは?」
「…いやです」
「な」

なに強情になってんの、そう言って笑って秋紀がまた唐揚げを口に運ぶ。「うまいけどやっぱ竜田揚げ食いたいな〜」と口をもごもごさせる秋紀に、うんじゃあまた近いうちにねと心の中でだけ返して私も唐揚げを一口齧った。

「…来週さ」
「、うん?」
「…いややっぱなんでもない」
「…来週の、木曜?」
「…そう」
「…記念日だね」
「…おー。…どっか行く?」
「秋紀覚えててくれたんだ」
「覚えてるに決まってんだろ馬鹿にすんなよ」
「…竜田揚げ、食べる?」
「…なんかおしゃれな店とか行かなくていーの」
「いーよ。おしゃれなお店の料理と私の作る竜田揚げ、どっちが食べたい?」
「竜田揚げ」
「…ん」

そうしてその日はきっと、私のことをうんと甘やかして欲しい。この一年間が特別な一年間だったって、思いきり私に教えて欲しい。言葉でだって体でだって、私のこんな不安なんて馬鹿げてるって、笑い飛ばして。



片付けは俺がやると言って立ち上がった秋紀に、なんだか今は少しも離れていたくなくて付いて行った。二人でやればすぐに終わるはずの片付けもつつき合って笑っていたらえらく長引いてしまって、そしてそんな合間にふと目が合って、無言になった。どちらともなく唇が近付いて触れ合えば、そう言えば私の胸の中に長いこと居座っていた黒いものは、もうとっくにどこかへ消えていたことに気が付いた。
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