深夜、静まり返った合宿場の食堂でインスタント焼きそばの蓋をピリピリと捲った。ソースとかやくを取り出し、あらかじめ沸かしておいた熱湯を乾燥麺の上に注ぐ。蓋を閉め直したらあとは3分待つだけだ。

ああ、お腹空いたあ。夕食を食べ損ねてお昼からなにも口にしていない。このまま寝ても良かったんだけど溝口さんが、晩飯食ってなかっただろ、と気を遣って渡してくれたのがこのインスタント焼きそばだった。

時間になって湯切口を開ける。麺が零れないようしっかりと両手で持ってお湯を捨てると、ステンレスのシンクがボコッと音を立てた。

蓋を開けて湯気の立ち上る麺にソースを掛けた。食欲をそそる香りに思わず頬が緩んで、青のりをふりかけながら小さく鼻唄を歌っていると、なまえ、とすぐ後ろで呼ばれて、ひゃあ、なんていう情けない叫び声を上げてしまった。

勢いよく振り返ると、してやったりと勝ち誇った笑顔を浮かべて立っていたのは花巻くんだった。足音も立てずに近寄ってくるなんていかにもこの子がやりそうなイタズラだ。

「ビックリした…!おどかさないでよ…!」
「いいもん食おうとしてんネ?」

人の抗議を無視して目線を向けているのはもちろん私の焼きそばで、言われる前に牽制した、あげないよ、と。

「なまえのケチー。一口くらいいいじゃん」
「……花巻くん、コーチって呼びなさいって何度言ったら、」
「ハイハイ、みょうじコーチ、一口くらいよこせクダサイ」

軽口を叩く歳の離れた生意気な少年に、聞こえよがしに溜め息をついたが全然堪えていないようだった。

私立青城高校男子バレーボール部は夏休み合宿の真っ最中で、私は彼らのフィジカルコーチをしている。コーチになった経緯は省くけど、選手の健康管理のサポートやトレーニングメニューを考えたり指導なんかを行うのが仕事で、今回の合宿にも同行中である。

そしていまは就寝時間真っ只中でもあり、監督達も選手も全員振り分けられた部屋で眠っているはずなのに、この子だけこっそり部屋を抜け出してきたらしい。

「……明日も早いんだから寝なさいよ」
「眠れねえの。なんとかして?」

私が席に座ると、後ろをついてきて隣の席に腰を下ろしながら甘えた声を出す。眠れないんじゃなくて、眠らないだけでしょ。この子がそんなナイーブなタイプじゃないのは三年という長い付き合いでよく知っていた。

「子守唄でも歌ってあげればいいわけ?」
「それじゃ寝れないカナー」
「なら私に出来ることなんかないよ、さっさと部屋戻りなさい」

語気を強めて話を切り上げても、にやにや笑って立ち去る気配はないから呆れて肩を落とす。

「明日起きれなくなるよ…」
「みょうじコーチのせいだから」
「はあ?なんで私のせいなのよ?」
「選手が眠れないって困ってんのに、コーチがなんもしてくんないんだもん」
「あんた、全然困ってるって顔してないじゃん…!」
「困ってるってば、眠れないんだってホントに」

言葉とは裏腹にニヤッと口角を上げ、そっと私の手を握ってくる。こういうスキンシップをさらりとやってのける子だということも分かっているのに、ドキッとさせられてしまった。高校生に振り回されているのが悔しくて眉を寄せ睨みつける。

「離して」
「俺も焼きそば食いたい」
「だーめ」
「コーチは食ってんのに?」
「私はいいの。練習のあと、調子悪いっていう一年生がいたでしょ?その子のこと看ててごはん食べてないの」
「……こんな時間に、んな不健康なもん食ってていいの?」

コーチのくせに、と拗ねながら言われたけど、無視を決め込み麺を啜った。濃厚なソースが絡んだ麺が美味しい。お腹が空いてるから余計に美味しく感じられて、続けて何度か口に運ぶ。

「太るよ?」
「これくらいで太らない」
「なあー、一口でいいからー」
「いーやーだー」

肩を揺すられ視界が揺れた。それでも頑なに拒み続けた。こんな時間にこんな不健康なもの、大事な選手に食べらせられるわけないでしょ、と諭せば、ピタリと揺れが止まった。諦めたのかな?と隣を見ると、口をへの字に曲げ不機嫌そうにこちらを見ていた。

「大事な選手だから?」
「そうだよ」
「大事なカレシだから、じゃなくて?」

この子はほんとに…、こんな場所でそんなことを軽々しく口にしないでほしい。皆寝てるだろうけどバレたら大変なことになるのに、と年の離れた恋人と同じように口をへの字に曲げる。

簡単に言えば、好きだ好きだと言われ続けてほだされた。

何故かこの子は私をいたく気に入って出会って間もないうちからアピールしてきた。そりゃもうガンガンに。若くて可愛い同世代の子には目もくれず、会うたびに私がいいと言われたら、心が揺らいでしまって紆余曲折を経てそろそろ二年が経つ。

高校生となにしてんだって自分でも呆れるけど、別れるって選択肢を選んだことはない。選ばせてもらえないって言った方が正しいかもしれない。付き合うようになっても飽きる様子はないどころか、前にも増してストレートに気持ちを伝えてくるから、嬉しいやら戸惑うやらでこの子のペースに巻き込まれまくっている。せめて仕事中だけはけじめをつけたいと思っているのに。

掛け時計の秒針の音がやけに大きく響いて聞こえる。二人して黙り込んでいるせいだ。チクタクチクタク、規則正しく刻まれるその音の隙間を縫うように、なまえ、と静かに呼ばれてまた心臓が跳ねた。

「だからっ、コーチって呼びなさいって、」
「二人きりんときは名前で呼んでいいって言ったじゃん」
「言ったけどっ!合宿中なんだから…!」
「二人きりだろ、今は」

腕を掴まれ抱き寄せられて忙しない心臓が更に暴れだす。嬉しいって本音と、ここじゃだめだって理性に掻き乱されて頬に熱が集まっていく。この子といたら心臓がいくつあっても足りない気がする。

「だ、だめだって…っ」
「ちょっとだけ」
「誰か起きてきたらどーすんの…っ!?」

やましさを声のトーンに表し小声で咎めると、ちぇっ、と口を尖らせて机に突っ伏した。そっぽを向いてるから表情は見えないけど淡色の髪が寂しい、と揺れて見えた。

「……部屋戻んないの?」
「なまえが…みょうじコーチが食い終わるまではここにいる」

わざわざ呼び直した声は不機嫌を滲ませている。本当は拗ねさせたいわけでも、怒らせたいわけでもないんだけどな、と静かに息を吐いた。この子には笑っててほしい。だって好きだから。自分でも呆れるくらい、好きだから。

「……貴大」

小さな声で呼び掛けると、ふわり、ともう一度短い髪が揺れた。腕に頭を乗せたまま私を見つめて、なに?と尋ねてくるその口元は緩やかなカーブを描いていた。下の名前で呼んだだけなのに嬉しそうにしちゃって。

「……一口だけね?」
「大事な選手には食わせらんないんじゃないの?」
「そうだけど……だ、大事な彼氏でもある、から…」

だから食べていいよ、と焼きそばを差し出す。アリガト、と呟いた口元がさっきよりも綻んだのを見て、とくん、と胸が音を立てる。そんな顔されたら私まで嬉しくなっちゃうでしょ、って釣られて頬を緩ませてしまった。

音を立て麺を啜った貴大がこっちを見て、美味い、と言ったあと、眉尻を下げて笑った。

「……ずっと見掛けなかったから、なまえに会いたいって思ってて…。だから眠れなかったってのはホント」

めずらしく照れくさそうに紡がれた言葉は嘘じゃないと分かる。こういう意外と素直なところが好きになっちゃった理由のひとつでもあるんだよなあ。私も会いたかった、ってつい本音を伝えてしまうと、今まで一番嬉しそうに笑ってくれるんだもん、ほだされちゃうって。

「このあとなまえの部屋行っちゃダメ?」
「調子に乗らないっ」
「ザーンネン」

時間も遅いし待たせるのは悪いので少し急いで残りの焼きそばを食べた。もうちょっと一緒にいたい、と渋る貴大にきゅんとなっても心を鬼にして早く部屋に戻るよう促せば、ハイハイ、と重そうに腰を上げた。

「寝る前にちゃんと歯磨きなさいよ?」
「分かってるって、ガキ扱いすんな」

まだ高校生なんだからどう考えてもガキでしょ、と思っても、これを言うと機嫌が悪くなるから口を噤む。わざとのろのろ歩く大きな背中を押して出口に向かい、食堂の電気を消した。

瞬間、抱き締められて目を見開いた。

またこの子は!って身体を押してもびくともしない。いくら年下でも自分よりも大きい男の子に力で敵うわけがなかった。

「……キスしていい?」

だめだと答える前に唇を塞がれてしまい、強引に舌を絡められ身体がぞくりと震える。ああもう、なんでこんなにキス上手いの。高校生のくせに。

そっと唇を離してふわりと微笑まれ、だめって言ったのに、と拗ねたフリをして俯いた。

「…なまえ、学校じゃ冷すぎ」
「仕事場だからね…!?」
「……じゃあ合宿終わったらなまえんち泊まりに行くから、めいっぱい優しくしてネ?」

艶のある声で囁かれて思わず黙り込む。この子は、甘えるのも上手い。

小さく頷いたら、明日からも頑張るからもっかい充電させて?と尋ねられた。もう一回だけなら、と呆れながら言ったのに、キスからも好きって気持ちが伝わってくる気がして嬉しくて舌で応えてしまった。

ぎゅうっと強く抱き締められ、堪らず抱き締め返してしまう私の強がりなんて、貴大には最初からお見通しだったのかもしれない。
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