ぷしゅぷしゅと蒸気が吹き出すケトルを大きく傾けて、眠そうな目をした飛雄がカップの中の乾麺に熱湯を注ぐ。とぷとぷとぷ。私は黙ってただじっとその様子を眺めた。伏し目がちな飛雄の瞼から伸びる細くも太くもない、短くも長くもない睫毛が数本、肌にかすかな影を落とす。目の前の男について別段イケメンだとかそういうふうに思ったことはなかったが、客観的に見て、ある程度顔の造形が整っているのだろうなとは思う。真夜中に他人様の家でカップラーメンを啜るような無神経な男にそれを伝えた試しはないし今後もその予定はなかったが。
二人掛けのおもちゃみたいな小さなテーブルには細身のカップと平たい大きめのカップがそれぞれひとつずつ、まるで大きさの違う夫婦茶碗のようにテーブルに置かれているがそんな洒落たものではない。今にも真上でくっつきそうな時計の長針と短針、それからカップに記載された暴力的なまでのカロリー表記は見なかったことにした。乙女の禁則に満ちた生活は気紛れにそのボーダーラインをあやふやにすることで成り立っている。
指定のラインまでとぷとぷとお湯を注ぐが、ふたつ合わせてもそれほどの量ではなかったから、ケトルに入れた水道水は三分と待たずまるで魔法のようにすぐ沸いた。文明の利器はすごい。大学に入ってますます遅くまでバレーの練習に打ち込むようになったひとつ下の幼馴染みは、大学まで片道1時間かかる実家にはあまり帰らず、週の半分程を大学から二駅の私の家で過ごす。曰く、往復の時間がもったいないのだそうで。ならば私のように大学から程近い場所で一人暮らしでもなんでもすればいいのにとはよっぽど思ったことだけれど、敢えて言葉にはしていない。このバレーをするためだけに生きているような男が一人暮らしなんてできる人間力を持ち併せていないことは、長い付き合いから良く知っている。きっと本人も自覚しているだろう。それを問題視しているかどうかは別として。
詰まるところ、私の家は都合のいい学生寮と化していた。

「この3分が長い」
「たったの3分じゃない」

ティッシュの箱を重り代わりにして蓋を押さえたカップを睨め付けながら飛雄が低く唸るので、思わず笑ってしまう。もともと鋭い目をもっと細め眉間にしわを寄せている様は知らない人が見たらまるっきり柄が悪いだろうが、その視線の先にあるものが出来上がり間近のカップラーメンなのだからなんと締まらないことか。飛雄の頭のネジの話である。
ばちん。カップの横に待機させたキッチンタイマーが最初のいち音を奏でると同時に続きを阻止する反射神経は正直無駄だ。ハエたたきのような素早さで押されたタイマーのボタンが叱られた子供のようにぴたりと泣き止む。何故だか私にはそのキッチンタイマーが憐れに思えたが、寧ろ憐れなのは部屋と常備食を奪われた上に私物まで壊されかけている私のほうだろう。

じゅじゅじゅる、じゅるる。
恋仲の男性には到底聞かせたくない音を響かせながら二人無言で麺を啜る。たまにちらりと向かいの男を伺い見るが、相手は自分の腹を満たすことに集中しているらしく一度も目が合うことはない。これはいつものことだ。
私は飛雄が食事をしているのを眺めるのが存外嫌いではなかった。正確には覚えていないが、随分小さい頃から、私は進んで彼の食事風景を眺めてきた気がする。何がそんなに面白いのか、と言われると明確な理由を説明するのは難しいのだが、テレビもつけず、会話もなく、ただただ食事という一点にのみ集中し、前屈みでがつがつと勢いよく食べる飛雄の姿はまるで動物かなにかのようで、ほんの少し、微笑ましい気持ちになる。これも本人に言ってみたことは、ない。言ったところで「人を犬猫と一緒にするんじゃねえ」と怒られそうだ。犬猫の方がよっぽど可愛らしいに決まっている、私の言う動物とは、餌やりの飼育員に群がる動物園のあいつらのような、あれだ。ならば私は餌やりの飼育員か――と考えたところで虚しくなるだけなのでやめておく。
じゅるる、と舌の上を麺が滑る。細い縮れ麺からは柚子こしょうの味がした。とても、おいしい。このいかにも不健康そうな濃い味がたまらない。

「ゴチソーサマ」

平坦な声で飛雄が言った。
蓋をして待った3分よりも早く食べ終わったのではないだろうかという早さだったが、これもいつものことだ。テレビもつけず会話もなく、食事だけに集中しているせいかはわからないが、飛雄は昔から食べるのがものすごく早い。カップの淵でぺらりと裏側に捲れた蓋を見ながら麺を啜る。「何味だったの」「味噌」そんなことはいいからさっさと食べろと視線で訴えられ、再び箸で麺を掬った。
自分の食事さえ済んだらさっさとテレビをつけ寛ぎ始めた飛雄を上目で睨めつけながら思う。ここは私の家だぞ。思いながら、しかし頭のもう一方でさて飛雄用のカップラーメンはあと何個残っていただろうかと考える私はきっと明日か明後日か、そう遠くないうち、またこんな真夜中に幼馴染と不健康な味を啜るのだろう。ああなんて馬鹿げている。

色気もへったくれもないがカロリーだけはある
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