『刺した人』

 侑の応援の時は沈黙を守るのがルールや。そんな事は分かっとう。分かっとっても、今ここでこの声を出さんと侑に届かへんのやもん。せやから、私はどっちの応援席も静まり返ったこの瞬間を狙って声を張り上げる。

「頑張れ! 侑!」

 声と同時に床を蹴った侑がグリップ音を鳴らしながら助走をつけてサーブトスを上げる。そんで、その勢いのままボールを放って、赤葦くんの腕へと飛ばす。そのボールは赤葦くんの下で鈍い音を響かせながら、場外へと飛んでいく。それが決定打になって、試合は2−1で稲荷崎の勝利で幕を下ろす。

「アッした!」

 握手を交わし、応援席へと挨拶をして、監督の下に行く梟谷の皆の下へ私も向かう。絶対に怒られる。でも、それも覚悟の上や。裏切り者て言われても仕方が無い。…仕方無いて覚悟決めてんのに、やっぱりちょっと怖い。皆に嫌われても当然の事をしたのに、嫌われる事を恐れとう自分に呆れる。……でも、行かんと。私は梟谷の生徒なんやから。



「なまえちゃん」
「木兎さん。皆さん、試合お疲れ様でした。……あの、ほんまに……すみませんでした!」

 90度に腰を折って皆に頭を下げる。皆の顔を見るのが怖い。というかまず、顔向け出来ひん。皆には罪悪感しか感じへん。ごめんなさい。

「私、梟谷の部員として最低な事してしまいました。こんな私が部の一員としておるん、嫌やと思う方も居ると思います……。もし、そうなら私は退部する覚悟も出来てます。ほんまに、すみませんでした」

 頭を下げたまま言葉を続ける。こっちに来て、正式なマネージャーとして入部しとるんなら、当然、辞めるという責任の取り方がある。その覚悟もある。

「なまえちゃん」

 もう1度木兎さんが私を呼ぶ。重力に従って、涙がポタポタと地面に落ちて行く。それでも、私はまだ顔を上げられへん。

「顔、上げて」
「……、」

 言われて初めて顔を上げる。皆、絶対怒ってるよな。……特に赤葦くんは。あんな大事な場面で私は侑を選んだんやから。そんな感情を思い浮かべながら。

「赤葦から聞いてたんだ。俺ら」
「え?」

 しかし、顔を上げた先に居た皆の顔は私が想像しとったんと違う表情を浮かべとって。呆気に取られた私に木兎さんは言葉を続ける。

「なまえちゃんの前に居た高校が稲荷崎って事。それに、なまえちゃんが今でも稲荷崎のヤツらの事が大好きな事。……そんで、“もし、なまえちゃんが稲荷崎を応援する事があっても、責めないで欲しい”って赤葦が頭下げて頼むからさ。俺らもはじめっから覚悟はしてた! だから、怒ってねえ!」
「で、でも……私、あんな大事な時にっ、」
「そんだけなまえちゃんにとって稲荷崎が大事だって事だろ? それに、負けたのは俺らの実力だ。応援のせいにするなんて、話になんねぇよ。それに、なまえちゃんが稲荷崎以外の試合の時、ずっげえ応援してくれてるの、ちゃんと知ってる。だから、そんなに泣くなって」

 木兎さんの言葉に同意するような表情で私を見つめてくる皆。……なんで、そんな、そんなに優しいんや。なんで。私は皆の優しさを貰う資格なんかないヤツやのに。アカン、私に優しくなんかしたらアカン。

「みょうじさん」

 木兎さんの言葉に首を振り続ける私を赤葦くんの声が止める。

「っ! 赤葦くんっ、私……ほんまに、ごめん……」
「木兎さん。すみません。ちょっと2人きりになっても良いですか?」
「おう! 俺らはクールダウンやってるな!」
「すみません。ありがとうございます。……みょうじさん、こっち来て」

 そういって私の手を引っ張る赤葦くんの手はいつもと変わらずに優しくて。その優しさがまた涙腺を刺激する。



 2人で歩いて、人気の無い静かな場所に辿り着く。

「赤葦くん……私、」
「やっぱり、宮侑は強いね」

 前を歩いていた赤葦くんが振り向きざまにそんな話題を振ってくる。

「最後のサーブ、今まで受けてきたサーブの中でも段違いだった。……あれが本気なんだとしたら、やっぱり凄いよ。宮侑は。俺が抜けるような棘じゃ、無かったね」
「っ! ごめん……。赤葦くんはずっと私の隣に居ってくれたのに……私、赤葦くん達に酷い事した。ごめん、ごめんなさい」
「みょうじさん、俺前に言ったよね?」

 諭すように、私の瞳をまじまじと見つめてくる赤葦くんの続きを待つ。

「好きな人の隣に居れる時間は例えどんな結果になろうと、特別な時間に違いないんだ。だから、俺が居たくてみょうじさんの隣に居たんだ。みょうじさんには謝って欲しくない」
「でも……、私は赤葦くんの事利用したのに、結局応える事が出来んくて、」
「じゃあ、俺の事選んでくれる?」
「……、」

 押し黙ってしまった私に赤葦くんは「みょうじさんは正直だね」と笑ってみせる。

「宮侑は、俺が抜けるような棘じゃ無かった。宮侑に、最後まで敵わなかったのは悔しいよ。でも、それ以上に宮侑だったら仕方ないかって気持ちもあるんだ。だから、俺もみょうじさんの結果を否定なんてしない。みょうじさんを責めもしないから」
「……ありがとう。私の隣にずっと居ってくれて、ほんまに。ほんまにありがとう」
「うん。俺も楽しかったよ。これからは“友達”……はまだちょっと難しいから、“仲間”としてよろしく」
「私の事、“仲間”と思うてくれるん?」
「当たり前でしょ。これからもみょうじさんは梟谷の生徒で、バレー部のマネージャーだ」
「優しいなぁ。赤葦くんは。どこまでも」
「そう? 惚れたが負けだから。……さ、皆の所に帰ろう」
「うん!赤葦くん、今までありがとう。……これからも、よろしくな」
「こちらこそ」

 こっちに来てからの4ヶ月。赤葦くんが支えてくれたおかげでここまで来れた。赤葦くん、ほんまにありがとう。



 ホテルに戻って、雀田先輩と白福先輩にも改めて謝罪すると「謝罪は1回聞いたから良いの! そんな事より!なまえちゃんの相手が宮侑だったって事について詳しく!」そんな言葉を返され、出会いから話をしていた時。携帯が着信を知らせる。相手の名前は、「宮侑?」雀田先輩の口から出た。

「……です」
「キャー!! 呼び出しだ〜! なまえちゃん、会ってきな! 外暑いから、気をつけるんだよ〜!」
「着いて行きたいけど、我慢する!」

 そんな言葉を背中で聞いて、部屋から出る。

「もしもし……」
「なんや久しぶりやなぁ」
「いやさっき会うてたやん」
「いや電話するんがやん」
「ああ、そういう事か。……で、なに」

 電子音が届ける侑の声に心臓が高鳴る。なに。って。なんてぶっきらぼうなんやろ、私。もっと可愛い事言えへんのか。

「もっと可愛い事言えへんのか。……ま、なまえが素直やないなんて、分かりきっとう事やからええわ。今なまえのホテル近くに居るんやけど、出てこれる?」
「……うん、分かった。直ぐ行く」
「おん、待ってる」

 電話を切って、深呼吸を1つ。侑、私、侑に会いたい。会って、話したい事があるよ。沢山。



「侑っ」
「おーなまえ。まあここ座れや」

 侑が自分が座っている場所の隣をポンポンと2回叩く。そんで私が素直に従うと満足そうに笑う。

「ん、ええ子や」
「……私、犬とちゃうぞ」
「知っとう。俺の好きな人や」
「っ、侑、あんな、私」
「あ、待て。話する前に。俺、なまえに怒ってるから」
「へ?」

 侑が私の話を遮る。しかも私に怒ってるて。……なんで? 今更遅いとか? そんな事か? グルグルと巡る思考が顔に出ていたのか、そんな私の顔を見て、「ぶはっ! なまえ、顔気持ち悪いで?」と酷い言葉を投げかける。でも、私も知ってんで、侑が素直やない事。その言葉は私を逆に安心させる言葉や。せやから、侑が怒っとう理由が別にあるて事に安堵して、侑の言葉を待つ。

「で、人でなしは何に怒ってるん?」
「喧しいわ。……お前、俺のサーブん時、大声出しよってから。人の集中削りやがって。それのせいで手元狂ってもうたやんけ」

 まさか、梟谷ではなく、侑からその事について怒られるなんて。応援した相手に怒られるって。なんなん? まぁ、でもしょうがないか。侑やし。

「ごめん。でも、あん時にこの気持ち言わんとダメやって思うたから」
「自分勝手やなぁ。なまえは」
「……やな。でも、やっぱり自分勝手な私は、侑の事が好きで堪らんみたい」

 その言葉に侑の言葉が詰まるのが分かった。

「なっ……! す、好きて、お前っ、な、なんやねん!」

 あからさまに動揺する侑がおかしくて笑うと、「ちょっ、笑うなや!」と顔を真っ赤にして私を制してくる。かわええな、コイツ。

「やって、好きなんやもん。侑は私の心に突き刺さり過ぎや。赤葦くんが抜こうとしてくれても、私自身が抜こうとしても抜けへんし。どんだけ人の心占拠しとんや!金払え」
「なっ……。好きで居るんとちゃうぞ!」
「え、違うんか?」

 私の言葉にぐっと言葉詰まらす侑。おかしいなあ、コイツ。

「違うくも……ない……けど」
「なあ、侑。私と侑はこれから先暫く離れ離れや。そんで私は梟谷の生徒やから、今後稲荷崎と試合する事があっても、私は梟谷を応援しようと思っとう。……侑はそんな私でいいんか?」
「当たり前やん。なまえ以外考えられへんし」

 その言葉には即答する侑。格好良いな、侑はいつでも。

「それに、高校の間はそうやったとしても、その先は俺の応援してくれるやろ? プロいっても。俺から離れんと、ずっと側に居ってくれるんやろ?」
「……うん。もう離れへん」
「それやったら、ええ。1年ちょっと離れるけど、そんなのこれから先の事考えたらなんてことあらへん」
「そっか。それなら良かった」

 迷いなく言うてくれる侑に笑って答えると「アカン」と言葉を漏らす侑。

「ん? なにが?」
「やっぱ1年も離れるん、無理や」
「はっ!? もう言葉ひっくり返すんか?」

 頼もしいなぁ、なんて思うてた言葉を180度覆す侑にビックリする。

「やって、今目の前になまえが居るのに、明後日からはもう会えんのやろ? 嫌や。無理」
「えぇ……。やったら無かった事にするか?」
「それも無理!」
「侑……それは我が儘やで」
「なに、なまえは嫌やないんか?」
「私かて嫌や。離れたない。私ら何十年て時間かけてようやっと分かり合えたんやもん」
「……なんでそんな素直にかわええことぶっこんできよんの」
「だって、明後日から会いたいて思うても会えんのやもん。それやったら侑が目の前に居る間に沢山好きって言いたい」
「……はぁ〜!! ほんっまに!!」

 髪の毛をガシガシ掻いて溜め息を吐いた侑が私を見つめてくる。その瞳が熱くて、私にも移りそうや。ああ、侑のその瞳が堪らん好き。

「俺かてなまえに負けへんくらい、なまえの事好きや」
「うん。知ってる。……なぁ侑」
「ん?」
「もう一遍キスして欲しいって言うたら……どうする?」
「……はっ? こ、ここでか?」

 しどろもどろになる侑。そうよな、人気が少ないていうてもここ、外やし。そら戸惑うよな。でも、私達がこうやって2人きりで会えるのは次いつになるか分からんし。それに。

「あん時のは苦しくて、辛くて、思い出すのが嫌なんや。……やから、塗り替えて欲しい。侑やないと上書きするんは無理なんやもん」

 なぁ、侑。知っとるか? 私の中にある棘をもっと深く刺せるのは、侑だけなんやで。

「そこまで煽ったんはなまえやからな?」

 不敵に笑う愛おしい人にゾクリとする。そんで、煽りに乗った侑から施される刺々しく、激しいキスに私は溺れそうになりながらも、しっかりとその愛を受け止めた。




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