『バチバチ』

 7月31日。会場に着いた日である一昨日は開会式をやって、昨日はグループ戦やった。グループ戦は第1試合目やった事もあって、木兎さんの調子がすこぶる良くて、2−0のストレート勝ち。
 んで、今日の決勝トーナメント戦も対戦相手を2−1で下して、明日行われる3回戦に駒を進める事が出来た。

 稲荷崎はシード権与えられとうから、今日の2戦目からの出場で。稲荷崎の結果は、今私の手元にある組み合わせ表に書いてある“稲荷崎:2−0”の数字と赤線が教えてくれる。そら当たり前に勝ち進んでくるよなぁ。そんで、明日の3・4回戦、いわゆるベスト16・ベスト8まで絶対に上がってくるやろうな。……梟谷も同じ様に、ベスト8までの予想は着く。そやけど、そうなると――

「4回戦。そこで稲荷崎とぶつかる事になりそうだね」

 私の隣に腰掛けてトレーを置く赤葦くん。赤葦くんが言う通り、順当にいけば梟谷と稲荷崎は4回戦でぶつかる事になる。

「そうやね。……避けられへんって分かってはおったけど、いざ組み合わせ表を見てみると、なんや緊張するわ」
「まぁ去年全国3位に食い込んだチームだから、対戦相手として発表されると、そりゃあ俺だって厳しい戦いになるんだろうなぁとは思うね」
「相対してみると、稲荷崎て手強いな……」
「そうだね。でも、俺、今回は勝てそうな気がするんだ」
「??」
「みょうじさんが居るからね」
「っ! そっそこはっ、実力て言うてや!」
「まぁ、まずは3回戦だ」
「そやな。3回戦を勝たんと、ハナシにならへんな」



「……アカン」
「どうしたの? なまえちゃん」
「めちゃくちゃアイスクリームが食べたい」
「……確かに」
「分かる〜! 確かホテル出て直ぐの所にコンビニあったよね?」
「ですよね? 私、買いに行ってきます! 白福先輩達、何が良いですか?」
「え〜、でも外1人だと危ないよ? ナンパされちゃうかも。一緒に行こっか?」
「そんなっ! お2人が外に出た方が危ないですって! 直ぐそこやし! 行ってきますよ!」

 ご飯を食べ終え、明日の試合に向けてホテルの1室を借りて皆で作戦会議を終えた後何でか分からんけど、無性にアイスクリームが食べたなって、口にすると白福先輩達も同じやったようで。私の言葉に賛同してくれる。まぁ白福先輩はいつでも食べ物の事となると賛同してくれるんやけど。

 3人で行こうて言ってくれるけど、私からしてみたら2人と一緒に歩いた方がナンパされる確率は高いと思う。それやったら1人で行った方が目を付けられる可能性は低い。そう考える私と、白福先輩達の間で押し問答が繰り返される。なんや、この感じ、入部したての時もあったな。

「じゃあ俺がみょうじさんの付き添いで行きます」
「赤葦が一緒なら安心だ!」
「じゃあ赤葦、私達のアイス共々、なまえちゃんをよろしくお願いします〜」
「そういう訳だから、みょうじさん。俺が一緒でも良いかな?」
「正直そうして貰えると助かる! お言葉に甘えてもええ?」

 ああ、こうやって赤葦くんが助けに入ってくれるのも。何遍もあったなぁ。

「じゃあ行こうか」
「よろしくお願いします!」

 振り返ってみれば、東京に来てからの生活は赤葦くんが助けてくれたり、支えてくれたりした事ばかりが思い出されるなぁ。



 2人で歩く、という行為自体は赤葦からしてみると馴染みの行為であった。それなのに、みょうじの隣を歩くのは、何度歩いても、心臓が浮ついたような、そんな浮つきが心地良いような、そんな不思議な感覚だった。そして今日はいつもとは違う道である事、お互いに寝巻きに近いラフな格好、隣を歩くみょうじがやけに楽しそうに鼻歌を歌っている事、そういうちょっとした違いが、更に心をフワフワとさせているのを感じていた。

「みょうじさん、楽しそうだね?」
「ん? やって、こんな時間に外出るのって、滅多に無いやん? それに、アイスクリーム! 食べたいし!」

 踊りだしそうな言葉尻でみょうじが再び前を向く。道の間を夜風が吹きぬけ、みょうじの髪を攫う。

「気持ちええなぁ。今日の風は森然の時に浴びた風と同じくらい涼しいわ」
「夏の間には嬉しい涼しさだね」
「ほんまにな。毎日溶けそうなくらいやもん」

 長い睫毛を伏せて、みょうじが風を味わう。その表情を赤葦はジッと見つめる。見ている事に気付かれていないのだから、遠慮なくみょうじの表情を眺めようと思った。そんな赤葦の考えを読んでいたかのように、みょうじの瞳がパッチリと開く。

「ん? どうしたん?」
「ううん、なんでもない」

 見つめ合うと、思わず顔を背けてしまう。森然での合宿の事を思い出したからだ。あの時と同様に、涼しい風が吹き抜ける夜に2人きり。赤葦は森然でキスを迫ったあの時、みょうじの唇まで後少し、という時に1度閉じた目を開けていた。そこには暗がりでも分かるくらいに顔を真っ赤にして、ギュッと目を瞑ったみょうじの姿があった。そんなみょうじが堪らなく可愛くて、みょうじにバレないように口角を上げて笑ってみせた。

 もしも、あの時、日向が現れていなければ、自分は本当に口付けていたであろう。結果としては、額にする事しか出来なかったが。それでもあの時のみょうじの表情が脳裏に焼き付いて、離れない。

 そして今、同じシチュエーションが揃っている。この状況でキスしたいと思わない訳が無かった。しかし、ここは誰が居るか分からない公共の場で。そんな場所でみょうじに迫るなんて事は赤葦には考えられなかった。まして、今はインターハイ真っ最中である。そちらに意識を向けるべきだ。そんな事は分かっている。分かりきっている。……それでも、どうしても――

「おーい? 赤葦くーん??」
「っ、あ。ごめん。考え事してた」
「あはは、赤葦くんたまに試合で考え過ぎてんなぁって思う事あるもんな」
「えっ、そうなの?」
「うん。大体木兎さんに振りまわされとう時やけどな。見てておもろいから、黙っとう」
「それ、インターハイ中に言っちゃダメなんじゃ……」
「大丈夫やろ。それで悪い方向に行った事ないし。赤葦くんやし」
「……みょうじさんはプレッシャーかけるのが本当に好きみたいだね」
「ん? ふふふ。散々意地悪された仕返しや」

 インターハイ中でもこうしてみょうじと笑いあえている事に幸せを感じる。みょうじが居れば、自分は本当に大丈夫な気がしてしまうから、恋とは盲目なのかもしれない。

「ん? なまえ?」
「えっ、侑っ?」
「なんや、お前もここら辺のホテルやったんか」
「そうやで。直ぐそこの、あそこに泊まっとう。侑は?何してんの?」

 楽しそうに笑うみょうじを見て、自分の心の浮かれ具合に呆れ笑いすら出てきていた時だった。その気持ちを打ち落とすのには十分過ぎる相手が目の前に現れる。

「俺はじゃんけんで負けたから買い出し。そっちは?」
「私もアイスが食べたなって、赤葦くんに……着いて来て貰うた所……」

 みょうじの言葉が消えていく。侑と話している時に今の状況が整理出来たらしい。3人の間に気まずい空気が流れる。

「あ、侑。今日の試合ストレート勝ちやったな。おめでとう……?」

 どうにか間を持たせようとしたみょうじが話題を出すが、敵である稲荷崎に“おめでとう”と言って良いのか分からずに疑問形になってしまっている。そんなみょうじを見かねてか、ただ自分が言いたかったのか分からないが、侑がそれに対して口を開く。

「そちらさんも。2−1で“なんとか”勝てたみたいで。良かったわ。俺らとぶつかる前に負けんくて。明日も3回戦、ちゃんと気張れよ」

 その言葉には赤葦が答えた。

「ありがとう。明日も“なんとか”3回戦勝ち進んでみせるよ。そっちも3回戦敗退なんて事にならないでね?」
「……おおきに」

 慇懃に微笑む2人に挟まれている事に居た堪れなくなったみょうじが「ほ、ほんなら行くな!侑お休み!」そう言ってこの場を去ろうとする。取り残された赤葦も侑の事をまじまじと見つめた後、みょうじの後を追う。

「あっ、なまえ!」

 歩き出した2人のうち、みょうじを侑の声が呼び止め、ビニール袋をガサガサと漁り、水を差し出す。

「アイス食べたら喉渇くやろ。これ、やる。なまえいっつもこれ飲んどったやろ?」

 そう言って差し出したのは確かにみょうじが良く飲んでいるメーカーのもので。その差し出された手から水を受け取る為にみょうじが侑の下へと戻って行く。

「ええの? 誰かに頼まれたヤツとちゃうんか?」
「ええって。それ、サムのやし」
「あ、そう。じゃ、ありがたく貰うわ」
「俺には水の違い分からへんけど、サムもなまえもこだわるよな」
「おん。この水が飲みやすくて好きなんや。侑は変わらずココアか?」
「そやで。コーヒーはアカン。眠れんくなる」
「相変わらずやなぁ」

 みょうじが懐かしそうに微笑む。そして、そんなみょうじを見つめた後、侑が赤葦の方を得意げに見やったのを、赤葦は見逃さなかった。

「みょうじさん。皆待ってるし、そろそろ行こう」
「えっ、あっ、赤葦くんっ!」

 そんな表情に挑発される様に赤葦は大股でみょうじの下に近付いて、みょうじの手を自分の手の平に収めて歩き出す。掴んだ小さな手の向こうで慌てたみょうじの声がする。多分、顔は赤いのだろう。それで良い。みょうじさんを照れさせる事は宮侑にも出来るのだろう。でも、それは俺にも出来る事だから。……負ける気は、サラサラ無い。

「バチバチやんなぁ。赤葦くん。まぁ、そうやないと燃えんけど」


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