『背中』

 夏休みが始まって、初めての土曜日。練習内容はいつもと変わらへんけど、部活終わりに先生がこれからの予定を話しだす。その内容はいつもとはちょっと違う。

「月曜日の早朝に電車で森然に向かう予定にしてるからな。前にも言った通り、明日は準備もあるだろうから、午前中で練習を終える。合宿が始まったらいつも以上に練習するんだ。明日くらいはしっかり休むように。良いか、木兎」
「うっ!」
「赤葦、頼むぞ」
「分かりました」
「よし。……で、1週間森然で合宿の後、そのまま来週の日曜日から始まるインターハイ会場がある富山に向かう。もうインターハイが目の前に迫ってきてるからな。森然での合宿を有意義なモノにするように。以上」
「アッした!」

 監督に指名された木兎さんがしょぼくれとうのを見て、皆で笑う。週明けから、忙しくなるなぁ。楽しみやな。



 去年稲高は3位やったし、今回も絶対ええ所まで来るに違いない。いつか思うたインターハイでの稲荷崎と梟谷の対決が現実的なものに思えてくる。そんな事を考えながら赤葦くんと帰る通学路。

「今日の自主練はいつも以上に長引いたな」
「明日自主練出来ないって分かってるからね」
「あはは、木兎さんはほんまに練習の虫やな」
「調子が良いから今の所は安心だけど、木兎さんはどこでどうなるか分からないからなぁ」
「読めへんよな」

 赤葦くんの隣に居るといっても、特別な事をする訳や無い。ただ毎日をいつも通り過ごす事と変わりは無い。それでも、そんな毎日が私に新しい道をくれるかもしれん。そう思って、私はいつもの様に、赤葦くんの隣を歩く。



 赤葦くんと別れ、家に着いて明日の準備をしていると机の上に置いた携帯が振動し、着信を知らせる。その振動を起こしている人物が表示された画面を見て、私は慌てて画面に当てた指を横へとスライドさせる。

「も、しもし!」

 着信の相手は北先輩。北先輩からの電話が珍しくて、私は少しだけ声が上ずってしまった。そんな私の声に先輩は少しだけ笑ったような声で「遅くに悪い。今、ええか?」と尋ねてくる。

「大丈夫です! どうしはったんですか?先輩」
「こないだ、みょうじがあんまり浮かん表情して帰ったから。ずっと気になっとってな。もうインターハイも迫ってきてるし、そちらさんに迷惑かけてんとちゃうか思うて」

 北先輩は転校した私の事まで面倒見てくれる。その先輩の優しさが嬉しくて、私は鼻を啜って先輩に言葉を返す。

「……実は私、侑に告白されてんけど、上手く答える事が出来んままこっちに帰ってきてしもうたんです。……侑の気持ち、侑の事を思えばもっと強く断らんとアカンのに、拒否する事も、受け入れる事も出来んまま。そやけど、こうやって離れたまま連絡も取らんと過ごしたら、何か違う道がお互いに見えるかもしれんとも思うんです。……そう思わしてくれる人が東京で出来たんです。私」

 先輩に今の気持ちを素直に打ち明けると、「そうか。それはええ事や」と肯定してくれる。

「みょうじがそう思える相手が居るのは幸せな事や。ちゃんとその相手に感謝せんとアカンで」
「そうですね。感謝してもしきらんくらいやけど」
「俺はみょうじが幸せになる事も祈っとうけど、それと同じ位に侑が幸せになる事も祈っとう」
「はい。それは私もそうです」
「そやから、俺は侑の背中も押したいて思う。そこはみょうじにも分かって欲しい」
「はい。先輩、宮兄弟共々、転校した私まで世話かけてすんません」

 そう言う私に「ほんまやで」と笑ってくれる先輩。そんな先輩と少しだけ雑談も交わして電話を切る。侑が前に進もうとする時、私はちゃんと背中を押してやりたい。それはほんまに心から思う。



「明日からの合宿はみょうじさんにとって2回目の合宿だよね」
「そうなるな。長期合宿でいうと初めてや」
「前回の合宿に参加したメンバーも来るから、紹介するね」
「ありがとう、赤葦くん。私、烏野って高校が気になっとうんやけど、どんな高校なん?」
「……一言では説明出来ないかな」
「え、ほんま? 尚の事会うてみたいなぁ」

 昨日、監督が言うた通り、午前中で練習を終えていつもより早い時間に赤葦くんと2人で駅に辿り着く。

「なぁ、良かったらお昼ご飯どっかで食べて帰らへん?」
「そうだね。丁度お昼時だし」
「そんならこないだ駅ビルに入った新しいお店があって……」

 そう言って駅の出入り口へと向かって歩いている時。ここに居るはずのない人物の存在が目に入って、セリフの後半が消え去る。なんで……? 心の準備、まだ出来てへんよ。

「みょうじさん?」
「……なんで?」

 私の視線を辿った赤葦くんの目線もその人物を捉えた事によって固定される。

「宮侑……」
「なんでここに居んの……?」
「みょうじさんに会いに来たんだよ」
「っ、行こう。赤葦くん」

 侑から逃げる様に踵を返す私の腕を赤葦くんが掴む。

「みょうじさん、それで良いの?」
「っ、」

 赤葦くんの言葉が突き刺さる。

「でも……、こんまま侑と会わん方がええかもしれんって思うから……。今侑に会うてしまったら、また揺らいでまうかもしれん……。それに、侑とこない直ぐに会うん、今はやっぱちょっと怖い……」
「みょうじさん。多分、宮侑の姿を実際に見てるから、もう会わなくても、みょうじさんの気持ちはぐらついてる。宮侑だって、みょうじさんの事をそれだけの存在として思ってるからこそ、ここまで来たんだと思う。……だったら、みょうじさんも向き合った方が良い」
「赤葦くんは……、赤葦くんはそれでええの?」

 赤葦くんの瞳をジッと見つめてみる。そんな私を赤葦くんも見つめ返したかと思うたら、そんまま私を抱き寄せる。

「俺は聖人君子でもなんでも無いから、本音を言えばみょうじさんを俺のモノにしたい。でも、それは今じゃない。みょうじさんの棘が抜けたと思える時、みょうじさんが俺の事を見てくれる時だ。その為には、いつかはみょうじさんは宮侑と向き合うべきだと思ってたから。……だから、俺は自分勝手な期待を込めてみょうじさんを送りだすんだ。みょうじさんは気にしなくて良い」

 そう言った赤葦くんは一瞬だけ私を抱きしめる腕に力を込めて、その腕から私を放す。

「気をつけて帰るんだよ」

 そんな優しい言葉を添えて赤葦くんは私の背中を押してくれる。その優しさに泣きそうになりながら、私は侑の下へと歩き出す。


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