彼の正体

「こんにちは」
「こんにちは」

 牛島さんと“こんにちは”って言い合うの、なんか新鮮。メッセージのやり取りで日時とか待ち合わせ場所を決めるのも楽しかった。1つのメッセージを送るのに数分の時間をかけてきた牛島さんとのやり取りは、ゆっくりで、それでいて微笑ましかった。電話が来たらどうしようというドキドキもありはしたけれど。

「来る前に色々サイト見てみたんだけど。やっぱり服は手に取って見た方が良いよね」
「ああ」
「通販の届いた時のハラハラ感もちょっと楽しいんだけどね」
「……マブダチも似たようなことを言っていた」
「マブダチ」

 牛島さんからまさかそんなワードが出てくるとは。思わず真顔で言い返した言葉を牛島さんも「あぁ、マブダチだ」と真顔で打ち返す。自信満々に、堂々と。相手もそう思っていると信じ揺らがぬ様子に思わず「ふふっ」と笑みが零れる。牛島さんとそのマブダチは、おそらく絶対の信頼関係にあるのだろう。羨ましいな。

「いつか会ってみたいな、そのマブダチに」
「……ああ」

 ジーンズにTシャツといういつもと違う出で立ちの牛島さんをチラリと盗み見る。……なんか、ランニングウェアじゃない牛島さんの隣に立つの、ドキドキしちゃう。なんというか……その、デ、デ……。

「みょうじさん」
「うわぁ! すみません! かたじけなさ過ぎるでござるッ」
「すまない。もう1度良いだろうか」
「あっ、すみません。なんでしょう」

 隣で急に耳を赤くする女を牛島さんは一瞬不思議そうに見たけれど、すぐにランニングウェアを指差し「吸汗速乾性で言えばこのメーカーが良いと思う」と教えてくれる。いかんいかん。私は何を不埒な考えを。牛島さんの善意を履き違えるな馬鹿者。

「デザインもおしゃれですね」
「デザイン性について俺は門外漢だが。確かにみょうじさんに似合いそうな色味だな」
「ほんと? じゃあコレにしようかな」

 チョロい。チョロ過ぎる。だけど牛島さんにそう言われたら今手にしてるウェアしか考えられなくなってしまった。それにこのウェアUVケアもバッチリみたいだし。試着して来ると告げフィッティングルームで身につけてみたら、自分でも“良いのでは?”と思えるフィット感だった。“似合いそう”という言葉のマジックがかかってるだけかもしれないけども。とにかくコレが良い。思ったより即決になってしまった。

「牛島さん」
「どうだった」
「コレにします」
「そうか」
「せっかく付き合ってもらったのに、すぐ決めちゃってなんだか申し訳ないです」
「それは構わない。みょうじさんの良い買い物の手伝いが出来たのなら」
「ありがとう」

 値段的にも安く済ませることが出来たなぁと思った時、「あっ」と抜け落ちていたことを思い出す。牛島さんが私を待つ間に眺めていたコーナーはシューズ売り場だ。私、ランニング用のシューズ持ってない。下手したら1番大事じゃん。

「あの、ランニングシューズも買って良いですか?」
「あぁ。他にもタイツなどのサポート用品も見ておこう」
「……ありがとう。よろしくお願いします」

 やっぱり牛島さんと来て良かったかも。危うくウェアだけ買って満足して帰っちゃうところだった。牛島さんにメーカーごとの特徴などを聞きながらシューズを選んでいる時、牛島さんのスマホが着信を告げた。「すまない」と私に断りを入れてから「どうした影山」とスマホの向こうの主に問いかける。

「…………突然押しかけるのは良くないんじゃないか」

 チラリと見つめられハテナを返す。なんだろう、私に関係のある話? でも私と牛島さんに共通の知人は居ないし。不思議に思いつつ牛島さんの動向を窺っていると「みょうじさん」と牛島さんが私を呼ぶ。

「2丁目の犬……ポンちゃんさんに後輩を会わせたいんだが。可能だろうか」
「えっと……。ご夫婦に聞いてみないとだけど。あそこのご夫婦は人と話すの大好きだから、多分大丈夫だと思う」
「そうか。……来週の土曜日は空いているか」

 電話の向こうの主と何度か会話をし、“来週朝8時に公園で”ということで話が落ち着きをみせる。私としても来週また牛島さんと会うことが確定したから、カゲヤマさんのお願いは嬉しい限りだ。明日にでもご夫婦のところに行って話をしておこう。

「デート? いや、そういった類のものではない」
「っ!?」

 あとは切るだけだと意識を逸らしていたら。牛島さんの口から“デート”というワードが飛び出し目を見張る。それと同じスピードで“そういうものじゃない”と言われた言葉にグッサリと鋭い矢が刺さるのも分かった。…………百も承知二百も合点だったじゃないか。なんなら三百代言、嘘八百、滑って転んで素寒貧だ。さすがに言い過ぎか。

「だが2人の時間をなるべく多く過ごしたい。もう切って良いか」
「へあ」

 もう切って良いかってよくもまあ単刀直入に言えるものだ。そうハッキリと言えるくらい気心が知れてるってことかな――なんて。後半の言葉に呑気な感想を抱き。すぐに前半の言葉を勢い良くリピートする。今……牛島さん……。え、それって……。

「待たせてすまない」
「あの……つかぬことを伺います……いや、伺わない方が良いのか……?」
「みょうじさん?」

 今ここで切り込んで良いのか? とタイミングについて悩んでいる時、「あの」とどこか上擦った声が割り込んできた。声の出どころを辿るとそこには中学生くらいの男の子が居て、牛島さんのことをまじまじと見つめている。

「バレー日本代表の牛島選手ですよね?」
「はい」
「えっ!?!?」

 牛島さんの返事に誰よりも大きな声をあげたのは他でもない、この私。フロア中に響いたかもしれない声に慌てて口を手で抑える。そしてすぐに集まった視線から逃れるように物陰に隠れ息を潜める。…………牛島さんが、バレーの日本代表? もしかして。いやもしかしなくても。牛島さんってめっちゃ凄い人……?


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