勃起

「活動写真撮影開始!! はい用意!! まわせッ」

 頭の中に疑問が浮かびまくっている。キエエフンフン言い合いながら戻って来た鯉登たちと一緒にみんなの元へ行くと、唐突に「聞き書きした脚本です」と冊子を手渡された。なんの脚本? と思いながらもひとまず読んでみたら私に配役はなくて、なんとなくガッカリする。アシパちゃんは私の曲馬団での踊りを知らないから。仕方ないっちゃ仕方ないけど。なんならここで踊ったろか。ひらりひらりと舞ったろか。

「それにしても……再び出会うことになるとは……」

 バーニャで見たアイツが脳内を揺らめき頭を抱える。私とアイツの縁は切っても切れないということなのか……「嫌ァッ!」自分の考えにゾッとし悲鳴をあげると鯉登が「むっ!? なまえも大役を狙って練習しているのか!?」と目敏く視線を投げてきた。……バカだな鯉登は。役に大きいも小さいもないだろう。もらえるならどんな役でも演じてみせるのが役者というもの。まったく。いつまでも大きいだのなんだのにこだわっちゃって。

「ふッ」
「キエッ! なんだその不敵な笑みは! 貴様は役すらもらってないだろう!」

 鯉登といがみ合っていると、ヴァーシャに肩を叩かれ首をこてんと傾けられた。あぁそうか。今何が起こってるか説明しないと分からないか。貰った脚本をロシア語に翻訳すると、ヴァーシャが地面に絵を描いて自身の解釈を表す。その絵を見てウンウンと頷くと、ヴァーシャはフンフンと反応を返してくれるのでウフフと笑う。それを鯉登がじっと見つめてくる。私は無視する。そんな私たちを月島軍曹が無の表情で見つめている……って月島軍曹、めっちゃ巨乳だな?? たゆんたゆんじゃあないか。谷垣さんと良い勝負だ。

「おやッ、そちらの方は絵に覚えがあるようですね。では小道具作成をお願いしましょう」

 ヴァーシャの絵を見た活動写真の興行主がヴァーシャと私を小道具班に任命する。……たとえ表に出なくても、この撮影を支えることに変わりはない。やるからには良い物を作らねば――。ヴァーシャと共に頷き、2人で板を城の形にするところから始める。幸い興行主が写真を持っていたのでそれを預かり、ヴァーシャと共に「ああでもない、こうでもない」と言いながら小道具を作り上げることに夢中になる。

「おい月島ッ! 私たちももっと演技に磨きをかけるぞ!」
「そうやってすぐ感情的になるのはやめてください。こんなところで競っても無駄ですよ」
「バカか貴様ッ! 役者とはなんたるかをまるで分かっていない!」

 鯉登たちのやり取りを見て連帯感では圧勝だとしたり顔を浮かべる。……まぁ絵を描くのはヴァーシャだけだけれども。にしてもヴァーシャ、本当に絵が上手だ。写真を見ただけでここまでのものを描きあげられるだなんて。

「私、絵はてんでダメなんだよなぁ。あ、あと泳ぐのも……りょ、料理もあんま好きじゃない……。出来るのは、狙撃だけだった」

 今となってはそれすら――。苦笑を浮かべる私をヴァーシャが不思議そうに見つめてくる。ヴァーシャの視線に気付いて慌てて「ごめん、なんでもない。あッ! 踊りなら任せて! フミエ先生お墨付きだから」と笑い返すと、ヴァーシャもフンフンと鳴きながら出来上がった松前城を運ぶ。その後ヴァーシャは松前城から顔をひょっこりと出し「見切れてんだよロシア人!!」と白石さんから叱られていた。……もしかしてヴァーシャもシネマトグラフに映りたかったのだろうか。だとしたらとんだ裏切り行為だ。ヴァーシャだけズルい。
 抜け駆けは許さないと私も駆け出すと「次は“斑文鳥の身の上話”をやる!! これは3人の兄弟の話だ」とアシパちゃんが新たな物語の撮影に取り掛かってしまい、出番を逃してしまった。……まぁ良い。私の煌めきは映像になんて出来ないのだ。

「主役はチカパシ」
「やったねチカパシ」
「用意ッまわせ!!」

 アシパちゃんの合図で始まる撮影。チカパシくんの演技をまぁ悪くないと思いながら見つめ、ヘンケたちと団欒する姿を微笑ましく思っていると最後の見せ場を谷垣さんが持って行くので「こりゃ完敗だわ……」と感心し、思わず拍手を送ったところで撮影は終了となった。とんでもなく素晴らしいものを見せてもらったと感涙すらしていると、隣に立っていた鯉登がじっと私のことを見つめているのに気が付いた。

「何?」
「……なまえのころころ変わる表情は見ていて飽きんな」
「なッ、わ、私じゃなく撮影を見ないとでしょッ」
「楽しかったか?」
「……うん。すっごく」
「そうか」

 そう言って満足そうに微笑み「よし。では上映会を開くぞ」と鯉登が声を張る。手続きを行い、上映会は芝居小屋を貸し切って開かれることになった。芝居小屋なんて生まれて初めて入るので、物珍しさにキョロキョロと建物内を見渡すと何故か鯉登が自慢げな表情を浮かべてみせる。……まぁ、これは鯉登少尉のおかげか。なんとなく悔しさを感じて唇を尖らせているとみんなで作り上げた作品が大画面に映し出され、視線が釘付けになる。

「ヤダ〜金玉見えてるじゃん!」

 杉元さんのはしゃぐ声を聞いたり、鯉登の勝ち誇ったような鼻息が耳にかかってゾワリとしたりしながらも上映会は続く。そうして全ての映像が流れ終わった後、撮った覚えのない映像に画面が変わって皆がざわついていると「10年以上前に我々が小樽で撮影した」と興行主が映像について説明を行う。

「ジュレールはこの女性があなたにそっくりだって」

 興行主の言葉通り、映像に映る女性は顔立ちもだけど表情がアシパちゃんにそっくりだ。きっとこの映像はアシパちゃん親子なのだろう。……母親。私には記憶がない存在だ。おじいちゃんが“アイツには勿体ないくらいの人だった”と言っていたくらいしか印象がない。だけど、私にも私を産んだ母が居て、こんな風に私を慈しんでくれた日々があったのだ。じん、と込み上げるものを感じている時、写真が発火し芝居小屋に煙が充満しはじめたので上映会を中止し慌てて外へと逃げ出す。

「なまえ、怪我はないか?」
「うん。大丈夫」
「……大丈夫か?」

 鯉登の“大丈夫か”は、恐らく今の火災による怪我の有無ではない。意図を汲んで視線を合わせれば、やはり鯉登の表情は浮かないものだった。鶴見中尉殿との再会はもうすぐだ。きっと、私のこれからを心配してくれているのだろう。……私は、私のことを真っ直ぐに見つめてくれるこの視線から逃げることはしたくない。

「アシパちゃんのお母さんを見た時、自分の母親のことを想った」
「……そうか」
「だけど、私に母の記憶はない。知りたいって思っても、もう知ることも出来ない」

 だからこそ。「だからこそ私は、鶴見中尉殿に会いたい」そう告げれば、鯉登も「分かった」と柔らかく受け止めてくれる。私が逃げずに向き合おうと思えるのは、私の隣に鯉登が居てくれるからだ。

「あの時も言ったが。何があってもなまえの居場所は私の隣だからな」
「……うん。ありがとう」
「私の、だからな?」
「うん?」
「間違っても別の男……あのバーニャとかいう男の隣などではないからな」
「えッ、なんでヴァーシャが出てくるの?」

 首を傾げると鯉登は目を吊り上げ「キエッ! 貴様またヴァーシャなどと親し気に呼びおって……!」と興奮しはじめる。……自分で名前出したクセに。何言ってるんだ。よく分からない。もう放っておこう。



「世話になったぜリュウ」
「ありがとうな」

 遂にエノノカちゃんたちの村まで辿り着き、イソホセタに昇格したリュウと別れを告げる。リュウは鯉登より危機感知出来る賢い犬だ。きっとこれからもイソホセタとして目覚ましい活躍をみせるに違いない。

「ヘンケとエノノカとはここで別れる」

 月島軍曹の言葉にハッとする。……そうか、ヘンケやエノノカちゃんにとってはここが戻るべき場所なんだ。ここから先は、一緒には行けない。

「ヘンケ……」

 エノノカちゃんとチカパシくんが話している間にヘンケに近付き声をかける。この旅でヘンケたちに会えたこと。それは私にとって間違いなく幸せなことだった。ヘンケの穏やかな笑みが、私にとってはとても温かくて、懐かしかった。ヘンケの手をとって目を見つめれば、ヘンケはいつものように笑い返してくれる。

「アプンノ パイェ ヤン」
「ありがとう。ヘンケ。元気でね」

 言葉は分からないけれど、私たちの互いを思いやる気持ちはきっと同じだ。握った手にもう1度ぎゅっと力をこめ、その手をそっと離す。どうか、お元気で。ずっとずっと、お元気で。

「あばよ爺ちゃん。みんな達者でな」

 杉元さんと共に手を振り、ヘンケとエノノカちゃんに別れを告げる。エノノカちゃん、本当はチカパシくんともっとずっと一緒に居たかったんだろうな。それはきっとチカパシくんも同じだと思う。チカパシくんのことを見つめていると、「チカパシッ」とエノノカちゃんの叫ぶ声が響いた。

「エノノカ!! 待ってて!! おれ絶対に……」

 エノノカちゃんの声に必死に応えるチカパシくんが体勢を崩し馬橇から転げ落ちてしまった。慌てて「пожалуйста остановись(止まってください)」と運転手に声をかけ、チカパシくんが戻って来るのを待ってみても、チカパシくんはその場に立ち止まったまま。

「どうしたんだ? アイツ……」

 白石さんが不思議そうに呟く傍ら、谷垣さんがチカパシくんの荷物を持ち「少し待っててくれ」とそりから降りて歩いてゆく。そして2人だけで何か言葉を交わし「そうだ、勃起だ!! チカパシ!!」と声高に言い、2人はそこでようやく心の底からの笑みを浮かべてみせた。……良いなぁ、勃起。

「あばよチカパシッ」
「元気で暮らせ!!」

 居たい場所に居る。その選択を自分でする。……確かに、勃起だ。 




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