光を奪う

 尾形と別れ元居た場所に戻ると、まだ少しふらつきの残る歩き方をする鯉登を見つけ駆け寄る。支えるように腕を掴むと、鯉登は私の姿を捉えるなり息を呑んだ。私は、人が怒る時まず息を吸うことから始めるのを知っている。だけど鯉登は怒鳴ることなく「怪我は?」と小さく呟くように問うてきた。鯉登がこういう言い方をするのは曲馬団の時以来だ。あの時もこんな顔してた。……本当に心配させちゃったな。

「大丈夫。尾形とちゃんと話せたし、言いたいことも言えた」
「……そうか」
「ただいま。鯉登」
「あぁ」

 尾形を追って樺太を旅して。その旅でもっと知りたいことが出来た。やっぱりちゃんと知りたいと再認識したこともある。……鶴見中尉殿がやろうとしていること。それを見届ける為には、この金塊争奪戦から離れるわけにはいかない。

「鯉登あそこ……」

 建物の出入り口。扉の前に体躯が大きく、髪も長い人が立っているのが目に入った。その人に隠れていてよく見えないけれど、アイヌの服を着た小さな子も居るようだ。どうやら取っ手を掴んで抵抗しているらしい。

「誰だ貴様は。その子はアシパだな?」

 鯉登が剣を抜いて男に近寄る。男は鯉登の姿を確認するなり髪の毛を振り下ろし鯉登の視界を奪う。そしてすぐさま鯉登の顔を殴りつけ鯉登の体勢が崩れる。その隙に拳銃を構える男に咄嗟に銃を構えたら、次の瞬間には男の手を銃弾が弾いていた。

「離れてくださいッ」

 弾を放った月島軍曹が安全装置を捻り次の発砲に取りかかる。その様子を見た男は形勢不利と判断したのか建物の中へと逃げてゆく。アシパちゃんは男の人に抵抗するように取っ手を掴んでいた。ということは、アシパちゃんはあの人と一緒に逃げるつもりはないということ。そもそも、アシパちゃんと杉元さんが一緒に居ない時点でおかしい。

「行こう、鯉登」

 アシパちゃんを追って建物の中に入ると、アシパちゃんはビール洪水の手前にある手摺りにしがみついて抵抗していた。「金塊が奪われたら、私たちはどうやって故郷を守ればいい?」苦しそうに吐き出す言葉。その言葉に男の人が息を呑み一瞬狼狽える。……そもそも、金塊はアイヌの人たちの物だ。それをみんなで奪い合おうと躍起になっている姿は、見ていて心苦しい。どうしてみんな金塊にこだわるのだろう。その金塊によってたくさんの人の命が失われた。そうまでして何故鶴見中尉殿は金塊を手に入れたいのか。鶴見中尉殿の本当の目的は、一体なんなのだろう。
 アシパちゃんに男の意識がとられている隙に鯉登が剣を男の左肩にのめり込ませる。続けざまに猿叫をあげながら剣を振りかぶると、男はビール洪水の中に飛び込み逃走を図った。

「ごほごほ」
「アシパちゃんッ、大丈夫?」
「あの深手で泳いで逃げるとは……なに者だ?」

 力なく倒れ込んだアシパちゃんを支える。火災の煙を吸い込んでしまっているらしい。何度も咽る様子に背中を擦ってあげていると後ろで微かに水音が響いた。その音に反応して振り返ると逃げたと思っていた男が立っていて、洪水の中に引き摺りこもうと鯉登の腕を掴む。

「鯉登ッ」

 慌てて鯉登の腕を掴むも相手はあの大男だ。力で叶うはずもなく私の体も洪水の中に引き摺られてしまった。体中をビールが覆う感覚に一気に恐怖心が呼び起こされる。……苦しい、息が出来ない。……嫌だ、やめて……ッ。昔の記憶が蘇ってきて脳内が混乱しかける。けど絶対、この手は離さない。そう思っているのに、ビールのせいか意識が定まらずこめているはずの力も抜けてゆく。息が、もう……。

「ぶはッ!」

 私の手が緩んだのを感じた鯉登が私の手を掴んで離す。反射的に立ち上がって咳き込みながら呼吸を整え、すぐに辺りを見渡す。少し離れた場所で鯉登の靴が水面から出ているのを見つけ、ビールを掻き分けながら進もうとするもビールのせいで体がふらついてしまう。ぐらつく視界をどうにか定め、銃身に息を吹きかけ水分を飛ばす。鯉登を殺させはしない――。

「鯉登少尉殿ッ」

 黒い影が視界に走り、その影が水面に向かって思い切り踏み込んだ。その黒い影が月島軍曹だと分かり、その場にへたり込む。月島軍曹はアシパちゃんのことを優先するって思ってた。……助けに来てくれたんだ。

「まさか貴様……アシパそっちのけで助けに来たのかッ」
「すみません」
「馬鹿すったれ!! どちらを優先すべきか間違えるな!!」

 鯉登は正しい。軍人としても、部下を思いやる上官としても。鯉登の言葉は月島軍曹がその選択をすることで、鶴見中尉殿にどう思われるかを危惧しているのもあるんだと思う。その思いやりは痛いほど分かるし、鯉登もこれ以上責めたくはないと思っていることも伝わってくる。

「う、」
「なまえッ! 大丈夫か!? 泳げんと言っていたくせに無茶しおって……!」
「月島軍曹、ありがとうございます」
「……別に」

 ふらつきながら2人のもとへ足を進めようとすれば、鯉登の方から駆け寄って体を支えてくれる。その腕に縋りながら月島軍曹にお礼を伝えても月島軍曹は素っ気ない態度を返すのみ。月島軍曹から人を撃つことを止められたのは何度目か。それは偶然ではなく、月島軍曹の意思によるものだって私にはもう分かる。それだけの時間を3人で過ごしてきた。

「鯉登少尉殿。アシパ捜索に向かいましょう」
「……はッ! そ、そうだぞ月島ッ! 何をチンタラしているッ! 急げッ」

 優先順位を間違えるなと言った矢先に私の体を支えることを優先した自分の行動の矛盾にハッとしたらしい。誤魔化すように月島軍曹に声をかけて再び歩き出す鯉登に思わず口角が緩んでしまう。金塊よりも人命をとるこの人が……この人たちが、私は大切で、何よりも失いたくない。

「鶴見中尉殿」

 建物の外に出ると、そこには逃げたはずのアシパちゃんが居て思わず目を見張る。……鶴見中尉殿が掴まえたのか。私の動揺する表情を鶴見中尉殿の瞳が捉える。ぐっと強張った体に鯉登が一瞬手を添え、「地下に入れ墨の脱獄囚がいましたが逃げられました」と月島軍曹の言葉を遮って1歩前へと出てゆく。その姿は私を庇おうとしているようにも見えて、心がきゅっとなる。

「杉元や牛山もいましたので土方たちもこのビール工場の…………どこかに」

 尻すぼみしてゆく鯉登の言葉。それまで理路整然と話していたのに突然どうしたんだろうと不思議に思っていると、私の隣に居た月島軍曹の瞳がじっとりとしているのに気が付く。今の流れで何が起こったのか分からないでいると「……よく分かった鯉登少尉」と鶴見中尉殿が会話を引き受ける。その地を這うような声は鯉登の気持ちそのものを見透かしているようだった。

「アシパ確保!! 全員で死守だ。鉄壁の守りでここから撤収する」

 月島軍曹にアシパちゃんを託し、撤収の段取りを指示する鶴見中尉殿。その指示を出した後、鶴見中尉殿の視線が再び私に戻り、背中の銃へと這う。

「なまえくんの選択は、コレで良いんだな?」

 覚悟を問われているのだと本能で気取り、一瞬の間が空く。この質問にはしっかりと目を見て応えなければ。鶴見中尉殿の目をみてゆっくりと頷けば、鶴見中尉殿はふっと目を閉じた。

「まぁどちらにしても君は我々の目的を知ったのだ。こちらとしても逃すわけにはいかない」

 本性が表れた――とは思えなかった。その言葉の持つ固さが違和感として伝わってきたから。ウラジオストクの時と似ている。私は、2年ぶりに再会しても鶴見中尉殿のことが分からない。鶴見中尉殿は今どんな顔でその言葉を言っているのか見せてくれない。……知りたい。……いいや、知らねばならない。その為に私はこの道を選択したのだ。

「鯉登少尉。貴様の責任だぞ」

 その言葉の意味を噛み締めるように、鯉登もしっかりと深く頷く。そうして鯉登の視線が私へと向けられる。その目を私も見つめ返し、互いの意思は同じだと確認しあう。鯉登が傍に居てくれさえすれば、私は自分の選択に迷うことはない。

「余計な戦闘をさけてここから撤収する」

 遅れてやって来た菊田特務曹長に対して鶴見中尉殿がもう1度端的に話をし、「宇佐美上等兵を倒した狙撃者には最も警戒すべし」と宇佐美さんの亡骸を見つめながら付け加える。

「……宇佐美が?」

 菊田特務曹長の声に皆の視線が下を向く。今全員の頭に浮かんでいるのはきっとアイツだ。……宇佐美さんの最期は、鶴見中尉殿にきちんと見送ってもらえただろうか。

「では行くぞ」

 部下が防火服と蒸気ポンプを持ってくるなり鶴見中尉殿は全員に着用を指示する。そうして消防組に扮して狙撃を潜り抜けることに成功し、北側へと馬を走らせる。鶴見中尉殿に捕まったアシパちゃんはどうなるのか。大泊の様子を思い出す限り、あまり安心は出来そうにない。……アシパちゃんには悲しい思いをして欲しくない。

「追っ手が来た!!」

 鯉登の声に後ろを振り向くと、ビール瓶の形をした車が追いかけて来ていた。あの車に乗っているのは、きっと杉元さんたちだ。追っ手の姿にホッとしながらも鶴見中尉殿の指示によって蒸気ポンプとは別の道に進むと、車は私たちではなく蒸気ポンプを追いかけてゆく。その姿を見送ってからしばらく走り、他に追っ手が来ていないことを確認し立ち止まる。

「追っ手は無さそうだな」
「では手はず通りに合流地点へ!!」

 月島軍曹の言葉に頷き馬を走らせようとした瞬間、鯉登が乗っていた馬が撃たれ鯉登が落馬する。突然の襲撃に咄嗟に距離を取る。杉元さんたちは蒸気ポンプを追って行ったはずだ。一体誰が――。弾が放たれた場所を見据えていると、屋根から黒い影が降り月島軍曹の後ろに回り込んだ。そのまま馬を走らせ月島軍曹と私たちを引き離す人。……確かこの人……。

Он оторвался от неё!!引き離した!!

 狙撃兵たちの言葉を聞いて狙いは月島軍曹だと察知する。小樽の病院でもこちらを睨んでいたし、この人の恨みは相当根深いようだ。鯉登は二階堂さんと連携して横に回り込もうとしているので、私は月島軍曹の援護に入る。2人が馬上でもみ合っているのを見据え、銃を構えると女性の銃が2人の乗る馬に当たってしまい体勢が崩れた。

「アシパッ」

 女性の口から出た名前。彼女が追っているのは月島軍曹ではない……? 馬から転げ落ちた袋を庇い柱を頭にぶつけ血まみれになる女性。それでもすぐに起き上がって袋の中身を確認し、アシパちゃんが居ないのを確認するなり拳銃に手を伸ばす。それを月島軍曹が蹴飛ばし阻止すると、月島軍曹に向かって思い切り体当たりをかまし月島軍曹を吹き飛ばしてみせた。小樽での殺意は確かに私たちに向けられていた。だとしたら、アシパちゃんがここに居ないと分かった今、女性の怒りは月島軍曹に向かうかもしれない。今度こそ月島軍曹が危ないと思い銃口を目線の高さまで掲げると、女性は前のめりにバタンと倒れ意識を失う。

「何者だ? この女は」
「さっき、アシパちゃんの名前を呼んでました」
「コイツも金塊目当てなのか?」
「……どうでしょう」

 さっきの様子はそういう類には見えなかった。狙撃兵と戦っていた鯉登たちが戻って来たと思ったら、その後ろに鶴見中尉殿と菊田特務曹長も居て心臓が早鐘を打つ。……杉元さんたち、追い付けなかったのか。ということは今も鶴見中尉殿のもとにはアシパちゃんが居る。

「このマキリ……」
「こいつら亜港監獄から我々を追ってここまで来たのか!!」

 女性が持っていたマキリは、キロランケさんの物だ。「ソフィア……」キロランケさんが今際の際に放った名前。もしかしてこの人が……。だとしたら「アシパを追ってきたのもあるが……相当な恨みを持っている」という月島軍曹の言葉も辻褄が合う。キロランケさんにとってもそうだったように、ソフィアさんにとってもキロランケさんは大切な存在だったのだろう。

「目を覚ます前に殺しましょうか」

 二階堂さんの問いに鶴見中尉殿の視線がソフィアさんへと向く。……大泊でアシパちゃんに向けた時と同じ顔だ。鶴見中尉殿はこの女性のことを知っているのだろうか。鶴見中尉殿の冷たい視線を見つめても、その視線が私と合うことはない。鶴見中尉殿はスッと顔をあげて「いいや、蒸気ポンプに乗せろ。捕虜にして情報を引き出す。キロランケの仲間であるならもっとたくさんいるはずだ」と指示を下す。

「月寒の兵営までは距離があるので危険だ。予定は変更!! ひとまず近くにアシパをかくまう。急げ!!」

 アシパちゃんとソフィアさん――。鶴見中尉殿は2人とどんな話をするつもりなんだろうか。2人になら、自分の本音を話すのだろうか。




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