あなたに向けた大好き

「みょうじさんって家どこなん?」
「もうちょっと先の住宅街です」
「へぇ、そうなんや。そやったら送って帰るよ」
「え、いや、ほんとにすぐそこなんで! 大丈夫です」
「おれも方向そっちやし」

 ぶんぶんと両手を振る私に笑いかけ、前を歩き始める隠岐先輩。慌てて自転車を引いてついて行くと「道案内お願いします」とはにかまれた。隠岐先輩との時間が延びるのは嬉しいけど、本当にすぐそこだし。それに――「私のこと送ってたら隠岐先輩の帰りが……」心配している部分を口に出すと、隠岐先輩が目頭を押さえ「あかん。その言葉、沁みる」と感動し始めた。

「え、隠岐先輩……?」
「そないな言葉、ましろから1回も聞いたことあらへんから」
「そ、そうなんですか?」
「ほんまやで。いっつもおれが起こしたり送ってあげたりしても“それが当たり前”って感じやから」
「そう思えるくらい、隠岐先輩がましろさんに良くしてあげてるってことですよ」
「みょうじさんええ子過ぎるって」

 しみじみと吐き出す隠岐先輩に思わず笑いが零れる。そして、心の隅っこで“それが当たり前”と思えるましろさんを羨む。私は隠岐先輩に良い子と思われるよりも、隠岐先輩が傍に居る日々が当たり前と思える贅沢さが欲しい。

「ていうか、みょうじさんなんでこんな時間に神社居ったん?」
「バイトしてて。本当は別の道のが近いんですけど、運が良かったらネコに会えるから」
「なるほど。みょうじさんもネコ大好きやん」
「はい。……大好きです」

 大好きだという言葉は、ネコに向けたふりをして隠岐先輩に向けた。そのことに隠岐先輩はきっと気付いていない。それでも、私は気付いてしまった。私は、たとえましろさんの存在があっても隠岐先輩のことが好きだ。気付いてしまったらもう、見て見ぬ振りは出来ないのだろう。

「もうちょいはよ行ったらネコ居るかもって知れたし、ましろのこと送るご褒美が出来た気分やわ」
「気まぐれなご褒美ですけどね」
「あはは。確かに、気まぐれやな」

 ゆっくり歩く2人の歩幅。隠岐先輩は私に合わせてくれていて、私はわざとゆっくり自転車を押して歩く。隠岐先輩が“送る”と言ってくれた時も、“自転車で来てるから”と言って断ることだって出来た。それをせず、こうして歩幅を小さくして歩く私はやっぱり良い子なんかじゃない。ただ隠岐先輩に好い感情を持ってもらいたいだけだ。

「そういえばあのネコ、名前なんていうん?」
「そういえば聞いたことないですね。なんでしょう?」
「えっ、もしかして名無し?」
「かもです。私もいつも“ネコ”って呼んでました」
「ははっ。じゃあネコが名前やんな」
「ふふっ、ですね。あの子も“ネコ”って呼んだら来るし」
「まんまやなぁ」

 ゆっくり歩く歩幅に合わせるように、会話も穏やかに流れてゆく。この時間がずっと続けば良いのになぁ、なんて夢みたいなことを願うけど、今この瞬間は紛れもなく現実なわけで。

「あ、ここら辺で大丈夫です。私の家、すぐそこなんで」
「そっか。ほんなら、気ぃ付けてな」
「はい。隠岐先輩も、気を付けて」
「うん、ありがとう」
「こちらこそです。こんな遅い時間まで、ありがとうございました」
「……あ、そうや。今日のお礼、求めてもええ?」
「は、はい。もちろん!」

 隠岐先輩の言葉にドキッと心臓を高鳴らせ次の言葉を待つ。なんだろう、隠岐先輩が一体何を私に求めるんだろう。「じゃあ」と続く言葉に固唾を呑む私に反し、隠岐先輩はいつも通りのゆるりとした笑みを浮かべてみせた。

「おれがネコに会えん日は、おれにも“今日のネコ”見せて欲しい」
「それは、はいっ。あの、よ、喜んで!」
「アハハッ! あかん。みょうじさん、今のどこぞのラーメン屋みたい」
「なっ……」

 私の返事が余程ツボだったのか、隠岐先輩が体をくの字にして笑う。……そんなに笑われるとちょっと恥ずかしい。つい出ちゃった言葉なんだし、仕方ないじゃないか。

「これ私、小っ恥ずかしい通り越してめっちゃはずいやつです」
「……ぷっ、あはは! みょうじさん、耳めっちゃ赤いで」
「もー……見ないでください」

 いつの日か交わしたやり取りが逆転している。私は隠岐先輩みたいに可愛く両手で顔を覆うなんて出来なくて、つい「もうっ、笑い過ぎですよ」と肩を軽く叩いてしまう。それでも隠岐先輩は怒ることもなく「ごめんって。いや〜……笑わせてもろうたわぁ」と目尻を拭う仕草までしてみせた。

「隠岐先輩、笑いのツボ謎です」
「えっ、ほんま? 今のみょうじさん、むっちゃおもろかったで?」
「〜っ、おやすみなさい!」
「んふふっ、うん。おやすみ」

 最後までニタニタと笑う隠岐先輩に頬を膨らませながら自宅に帰る途中。「あ、みょうじさん」と未だ笑いの残る声色で呼ばれふり返る。そこには表情にもどこか笑いの残る隠岐先輩が居て、その表情のまま「また明日」なんて言うもんだから。ついさっきまであった恥ずかしさなんて、どこかに吹き飛んでしまった。

「はい、また明日」

 明日からは隠岐先輩の為にも、最高に可愛い“今日の猫”を撮らねば。
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