招かれた恋

 急いで逆走する通学路。今日ほど早起きなことを得に思った日はないかもしれない。とはいっても今が一体何時なのかを確認する余裕もない。いつの間にか駆け足になっていた歩幅が目的地を捉えてようやく失速する。

「隠岐先輩」
「……おはようさん。……あ、お疲れさーんのがええか」
「隠岐先輩、」

 猫と共に私を待っていた隠岐先輩に近付く。猫が短い間隔で再び現れた私に対して不思議そうな眼差しを向けてくるのを見つめたあと、視線を隠岐先輩へと移す。隠岐先輩は隠岐先輩で同じように私を見つめていて、その視線が合わさった時、隠岐先輩は少しだけ気まずそうに目尻を緩めた。

「えっと……その、まずは、ごめんなさい」
「えっ?」
「ましろにな、怒られてん」

 隠岐先輩にも撫でてもらえて満足したのか、猫がふらりと移動し気持ち良さそうに微睡みだす。その姿を横目で捉えながらも、意識を隠岐先輩の話へと集中させる。ましろさんと隠岐先輩が何かしらの話をしたことは分るけど、怒られたという話は想像していなかった。

「みょうじさんと話してる時、おれ、ましろの話たくさんしてたよな」
「……決して少ないとは言えなかったと、思います」
「ましろに言われて気付いた……ていうのも遅い話やねんけど、みょうじさんとの会話切らせたなくて。気付いたらましろのことばっか話してた」

 泣きボクロの辺りをポリポリと掻く先輩。その姿からは心の底から反省している様子が伝わってくる。……確かに、ましろさんの名前が出る度嫌な気持ちになったことは本当。だけど、隠岐先輩がましろさんのことを想う気持ちも、その大切な人のことを思い浮かべて楽しそうに話す先輩のことも、そういう姿を含めて私は好きだって思った。

「おれ、ましろのこと好きやねん」
「はい」
「でもな、それは“妹みたいで放っておかれへん”っていう気持ちからくるもんやと思う」
「……はい」
「そんでな。おれ、みょうじさんのことも好きや」
「…………はい」

 今はまだ隠岐先輩の話の途中。だから最後までちゃんと聞かないと――そう思っているのに、胸が痛くて堪らない。あの日向けられた“大好き”よりも、今言われた言葉の方が何倍も胸に響いて鳴りやまない。

「ネコに会いたくてここに来てたはずやのに、いつしかみょうじさんに会いたくて神社に足を向けるようになってた」
「隠岐先輩、」
「ましろが風邪を引いたら心配やし、家にちゃんと帰れたか不安にもなる」

 それだけ隠岐先輩がましろさんのことを大切に想っているのは本当ってこと。その関係性を羨ましく思っていたけど、隠岐先輩はそれ以上の想いを与えようとしてくれている。……駄目だ。私はやっぱりましろさんにみたいに強く居られない。泣きたくないのに、涙を止めることが出来ない。

「でもな、みょうじさんのことも心配やねん。“他の人にみょうじさんとられたらどうしよう”“みょうじさんに好きな人が出来てないやろうか”ってそういう不安に駆られる」
「好きな人なら出来てます……、」
「……うん。おれ今自惚れてるけど、それはおれに言わせて」
「ふはっ。なんですかソレ」
「自分の気持ちを誰かに指摘されんと自覚出来へんような男やもん。ここくらいは格好付けさせて」

 その言葉がなんだか既に格好付かないような気もするけど。そういう所も好きだから、ここは隠岐先輩からの言葉を待つことにしよう。

「おれはみょうじさんが好きです。おれと付き合ってください」
「……よろしくお願いします」

 頭を下げて返事をした拍子に瞳から涙が零れ落ちた。それを拭いながら頭を上げると、「今までで1番ええ顔が見れたわ」と言いながら抱き締められた。……泣き顔が良い顔っていうのもちょっと複雑だなぁ。なんて。思うけど口にはしないでおく。

「そろそろ時間ヤバいし、学校行こか」
「あ、ですね」
「なぁ、みょうじさん。良かったら明日から朝一緒に学校行ってもええ?」
「でもましろさん……、」
「ましろから“今までありがとう”って初めて言われてん」
「……そうなんですね。でも、これからも隠岐先輩が“したい”って思った時はましろさんのこと、送り迎えしてあげてください」
「みょうじさん的にはええの? その……彼氏、が別の女の子の世話するの」
「ましろさん以外は嫌です。だけど、ましろさんなら“ちょっと嫌だな”って思うくらいなので」
「そっか。……ごめんな。それと、ありがとう」

 どこかホッとした様子を見せる隠岐先輩を笑い、「じゃあこれからは一緒に歩く時、手を繋いでも良いですか?」とこちらの要求を出す。隠岐先輩はちょっとだけ口を開けた後、ゆるりと笑って「はい喜んで」とまさかの返事で受け入れてみせた。

「ちょっと。ラーメン店長は私の役職ですよ」
「あぁそうか。ごめんごめん。1回言ってみたかってん」

 あまり謝意を感じられない口調で謝りながら私の手を掴み、優しく握りしめる隠岐先輩。隠岐先輩と付き合うってことは、あの日感じた視線をこれからたくさん味わうってことだ。だけど、こうして隠岐先輩に手を握ってもらえたら。私はしっかりと隠岐先輩の隣に居られると思う。

「あ」
「ん〜?」
「隠岐先輩、好きです」
「…………えっ、うわ……あ、ウン。あ、りがとう……」
「……ぷっ、あはは! 先輩、耳赤いです」
「うわー……見んといてぇ」

 見ないなんて無理だ。この恋に招かれた私は、この先ずっと隠岐先輩を見つめ続け、その度に“好きだ”と実感して恋をするのだから。
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