icon審神者なる者

 時間に介入が出来るらしい――そんなことを噂程度には耳にしていた。ただ、それがいざ自分の身に降りかかってみると、途端に与太話が真実味を帯びて重くのしかかった。

「さにわ……ですか」

 私のたどたどしいイントネーションなど意にも介していないかのように、目の前の“こんのすけ”と名乗った狐は、「はい。アナタにはこれから審神者として過去に行っていただきます」と私よりも何倍も正しい発音で“審神者”と口にしてみせる。

「すみません。突然そう言われても……いまいち状況が呑み込めてないっていうか……え。てかなんで狐が……?」
「では実際に行ってみましょう」
「はい……?」

 実際に行くってどこに――言葉の補足を求めようとしたセリフは、目の前の狐が放った光によって呑み込まれてしまった。その眩さに目を眩ませたのも束の間、次に目を開いた時にはあたりの景色が一変してしまっていた。……ここは一体、何年前の日本だろうか。連れて来られた――という表現が正しいのかは分からないが、狐に連れて来られた場所は、歴史の教科書で見たような和風の造りをした建物の中だった。畳の色はまだ青々としていて、張られてからそこまでの時が経っていないことがその匂いからも伝わってくる。驚くべき点はまだある。開け放たれた障子の向こうにはなんとも立派な庭園が広がっているのだ。これだけ立派な建造物なら、1度は話題になっていてもおかしくはないはずなのに。私はこれだけ立派な場所を生まれて初めて見る。

「体調は大丈夫ですか?」
「……はい。特に何も、」
「そうですか。では、話を進めさせていただきます」

 おかしなことになったものだ。今まで働いていた職場を退職し、束の間の余暇を楽しんでいれば。突然現れた狐に“審神者になれ”と命ぜられ、ものの数十分でどこかも分からない場所に連れて来られただなんて。今まで割と平凡に生きていた分の驚きを一気に畳みかけられているような気分だ。

「まず、みょうじなまえさん。アナタには審神者になる為に必要な力が備わっています」
「はぁ、」
「今私たちが居る場所――本丸は普段みょうじさんたち一般人が生活する場所とは少し離れた場所に在ります」
「えっ? ここ、日本じゃないんですか?」
「日本は日本です。ただ、少し世界が違うと言いますか……」
「んん? じゃあ私は今、現世には居ないってことになります?」
「平たく言えば。そういうことになります」
「えっ困ります。私、まだ生きていたいです」

 少し取り乱した私を落ち着かせるように、狐は片腕をあげ私の言葉に待ったをかけた。そして「大丈夫です。別にここは黄泉の国ではありません。あくまでも同じ世界の、少し離れた場所というだけです」と少しゆっくりめに、言い聞かせるように言葉を紡いだ。その説明を受け私の肩から力が抜けるのを見て、狐は更に「この本丸に来るまでに、私は“時の力”を使いました。この力によって時間や場所を移動する行為は、誰にでも耐えられるものではありません」と話を前に進めてみせる。

「しかし、みょうじさんは無事に耐えることが出来た」
「だからですか? 私がその審神者、に選ばれたのは」
「それもあります。が、みょうじさんの場合はそれに加えて審神者に必要な力を持っている」
「必要な力……?」

 もはや目の前に喋る狐が居ることに驚きは持たなかった。何も知らない人からしてみれば、喋る狐と普通に話している私も既におかしな人になっているのだろう。もうそんなことはどうでも良い。とにかく、今は自身の身に起こっていることを理解するのが先だ。

「歴史の中には、戦いがあった」
「はぁ」
「私たちが今ここに至るまでに積み重ねてきたものこそが歴史です」
「そう、ですね……」

 なんとなく。なんとなくだけど、狐のいわんとすることは分かる。出会い頭に「私は時の政府からの指示でみょうじさんの元へ参りました」と言われたのもあって、この展開に時――即ち“歴史”が絡むこと自体はどうにか受け入れることが出来る。

「その歴史を、変えようと目論む者が存在します」
「歴史を変えるって――そんなこと出来る、」

 言葉を途中で切ったのは、問わずともその答えが分かったからだ。出来るからこそ、今私の姿はこの“本丸”と呼ばれる場所に在るのだ。私に何が求められているのかも、なんとなく察することは出来た。ただ……そんな力、私に眠っているとは思えない。

「私は戦闘とは程遠い人生を送って来ました。だから、その」
「みょうじさんは戦いません。戦うのは刀剣男士です」
「とうけんだんし?」

 また話が分からなくなった。誰だソレは。どこに居るんだその人は。これだけ広い建物の中には、私と狐の姿しか見当たらない。辺りをキョロキョロをし始めた私の意識を自身に向けるように、「これからみょうじさんに顕現してもらいます」と言葉を発する狐。……顕現って何? スカウトのこと? まずい、頭から煙が出そうだ。

「みょうじさんには審神者に必要な力――物に力を与え、自らの意志で動く肉体を授ける力があります」
「いやないです。そんなこと、したことないです」
「いいえ。これは時の政府の調査で分かっていることです」

 私自身にそんな力はないと、私自身がそう言っているのに。目の前の狐はその宣言を力強く覆してきた。あまりの力強さに、私の方が押し黙ってしまう程に。大体、調査ってどうやったら分かるんだ。というか、いつから私のことを調べていたのか。時の政府ってなんなんだ。さっきからずっと分からないことが続きまくっているせいで、もしや私が知らないだけで、本当に私にはその力があるのかもしれないとさえ思い始めてしまっている。

「審神者はそう多くは居ません。本来ならば一刻も早くみょうじさんのもとを訪れたかったのですが、こちらもみょうじさんを探し出すのに時間を要してしまいまして」
「えーっと。まず、私以外にも審神者は居るんですね?」
「はい。みょうじさんたち一般の方には他言無用となっていますが、審神者は他にも居ます」
「なるほど。“会社の同僚が実は世界を救うスーパーマンだった”っていう感じですかね」
「まぁ……簡単に言えばそうなります」

 正直、その話を聞いて目の前に迫っている物が小さくなったような気がして嬉しかった。唐突に突き付けられた話は、決して私だけに突き付けられているわけではないと分かり、少しだけ心強い気持ちになれたのかもしれない。だから私の方から「それで、その刀剣男士を顕現するのは一体どうすれば?」と話を前に進めてみせる。

「戦いと共に、長く在ったのが刀です」
「あの武士とかの……あっだから刀剣!」
「はい。みょうじさんにはこれから刀剣に力を与え、刀剣男士を顕現していただきたい」
「なんとなく……話が見えてきました。ただ、その肝心の“刀”はどうするんですか?」

 大分話の筋が見えてきたと思っていれば。「鍛刀してもらいます」という言葉にまたしても面を食らうはめになってしまった。……刀を作るだなんて。そんな、ケーキを作るわけじゃあるまいし。

「大丈夫です。実際に鍛刀するのはこの本丸に常駐している刀鍛冶です」
「はぁ……そうですか……」
「みょうじさんにはその刀鍛冶が作った刀に力を与えてもらい、男士を顕現していただく」
「そしてその男士を歴史を変えようとする人たちと戦わせる――ってことですか?」

 話の終着点であろう部分を言葉にして狐を見つめると、狐は満足そうに頷いてみせた。にわかには信じられない話だけど、今実際狐が喋っているし、本丸に一瞬にして連れて来られているし、まったくの嘘だと思うことも出来ない。そして、それらの話を現実のものにするだけの力がどうやら私にはあるらしい。

「人間が歩んできた歴史が変わるということは、存在したはずの人間の営みが失われるということです」
「……はぁ」
「そのような行為を繰り返す“歴史修正主義者”を食い止めるのが我々“時の政府”の役目です」
「なるほど……」
「みょうじさん。アナタの力をどうか、我々にお貸しください」
「そ、……えっと、その、」

 私の力がなんなのか――なんて。私が1番分かっていないような気がするけど。狐が言っている“歴史”とは、いわば“私の人生”でもある。まったくの無関係とは言い切れないし、その歴史を守ることは大事なことだとも思う。だったら、この提案を受けない理由はないような気がする。

「その……力になれるかは……分からないですけど……私で良ければ……?」
「ありがとうございます。では、これから私はみょうじさん――主様の案内役として色々なことをサポートさせていただきます」
「あ、主様……」

 本丸の中でそう呼ばれると、まるで本当に殿様にでもなったような気分だ。突然跳ね上げられた自身の地位に慌てて「あの、私のことは是非とも今まで通りで……」と願い出ても、狐から「いいえ。審神者なる者は、この場に居る限り“主”です」と力強く言い聞かされてしまえば、それ以上喰い下がることも出来なかった。

「私のことは“こんのすけ”とお呼びください。主様」
「こんのすけ……さん」
「ふふっ。ではこれから、よろしくお願いします」
「こ、こちらこそ……」

 一体何をどうすれば良いのかなんて分からないまま。私はその日、審神者なる者になった。

  
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