理想の親子

「すみもはん。こちらに鶴見中尉どんはおさいじゃすか」

 色黒の男性が2人。そのうち、白い髭で口元を覆われた男性から鶴見中尉殿を尋ねられた。聞き慣れない言葉は恐らく薩摩弁だろう。その言葉を聞いた時、鶴見中尉殿から来客があると言われていたのを思い出し紐付ける。

「失礼ですが、鯉登大佐殿でいらっしゃいますか」
「ですです」
「鶴見から伺っております。どうぞこちらへ」
「あいがとごわす」

 大佐といえば、あの和田大尉殿よりも上の階級だ。そうだというのに、鯉登大佐殿からは尊大にかまえる素振りすら感じられない。女である私にも折り目正しく接してくれるし、白い目で見るようなこともしない。

「そんリボンは誰かからん贈り物じゃしか?」
「……あ、はい。鶴見中尉殿より頂きました」
「そうですか。わっぜ似合うちょいもす」

 前を先導するように歩いていると、結び目に付けたリボンについて鯉登大佐殿が触れてきた。道中の繋ぎかもしれないけど、お世辞でもそう言ってもらえるとやっぱり嬉しい。リボンに手をやれば、鯉登大佐殿が「ふふふ」と目を細めるのが分かった。……こういう人が父親だったら良かったな。ふと思った気持ちは、自然と隣に居る男性へと移る。
 鶴見中尉殿からは鯉登親子が来訪すると聞いているので、きっとこの長身の男性が息子さんなのだろう。男性は私の視線を感じ取るなり、特徴的な眉毛を吊り上げムッとした顔つきを返してきた。……こっちはあまり良い印象ではないな。

「失礼します。鯉登大佐殿がお見えになられました」
「やぁこれはこれは。わざわざ足をお運び頂きまして」
「きちんと挨拶も出来んで、ごぶれさぁごあした」
「いえいえ。ご令息もお元気そうで何よりです」

 鶴見中尉殿の視線が息子さんへと移る。そうすれば息子さんの肩が嬉しそうに跳ね上がるのが、後ろから見ていても分かった。鯉登大佐殿と鶴見中尉殿が交わす会話の中身はよく分からないけど、どうやら息子さんのことを鶴見中尉殿が助けたことがあるらしい。鶴見中尉殿は私の時のように、色んな人に手を差し伸べているのだなとぼんやりと思う。
 そろそろ退出しようと後ずさった時、鶴見中尉殿の視線が私へと向けられバチっと目が合った。その目が“こちらへ”と言っているのが分かり、大人しくそれに従う。そうして鯉登親子と向かい合うようにして鶴見中尉殿の隣に立てば、息子さんの視線が先ほど以上の鋭さを増した。そんな風に睨まれる謂れもないので、こちらも負けじとガンを飛ばしていれば、鶴見中尉殿が私の背中に手を当ててくる。

「こちらのなまえくん……みょうじなまえはご令息と歳も近い。是非仲良くしてくださると嬉しいです。ね、なまえくん」
「あ、はい。よろしくお願いします」

 鶴見中尉殿の言葉に倣って頭を下げると、鯉登大佐殿も「こちらこそ。音之進をよろしゅう頼み申しあげもす」と頭を下げてきた。その隣に居る息子さん――音之進さんも一拍遅れて小さく頭を下げるのを見て、“分かり易い”と心の中で苦笑する。

「呼び止めてすまなかったね」
「いえ。……それでは私はこれで。失礼いたします」

 恭しく頭を下げ部屋を出た帰り。尾形と出くわし「ボンボンはどうだった」とニヤリとした顔で尋ねられた。こういう時の尾形は嫌な顔をしているな――と眉を寄せつつ「別に何も」と言葉を返せば、「ふん」と尾形もつまらなさそうに鼻を鳴らし返して来た。

「多分まだもうちょっと話すと思うから。鶴見中尉殿に用があるなら改めた方が良いよ」
「……チッ。ボンボンが」
「いや別に息子さんのせいではないでしょ」

 踵を返した尾形と共に階段を降りながら「アンタそんなだから陰口叩かれるんだよ?」「うるせぇじゃじゃ馬が」「はぁ!? 尾形には言われたくない」と軽口を叩き合いながら持ち場に戻れば。

「……おい。おはん、なまえちゆたか」
「あれ? 鯉登大佐殿の……」

 名前を呼ばれ振り返ると、そこに息子さんが1人で立っていた。鯉登大佐殿はどこに行ったんだろうと視線を散らせば「おい」と言う呼びかけが再び視線を集中させる。……なんかさっきからやけに上から来るな、コイツ。

「何」
「ないごて女子んわいが鶴見中尉どんのとないに居っとじゃ」
「……なんて?」

 早口なのも相まって本気で聞き取れなかった。どうやら息子はそれをバカにされたと勘違いしたらしい。目を吊り上げ「貴様ァ! バカにしおって! 女子んくせに!」とがなり立てる。……おなごのくせに。この言葉の意味は分かる。……バカにしているのはどっちだ。

「アンタこそ! 人を性別で判断してバカにしてるでしょうが!」
「なッ、オイは別に……」

 言い淀む姿に、コイツは根は素直なんだろうなとふと思う。それでもすぐさまキッと目に力をこめ「女子が非力であっことは事実じゃろう」と言い放つ。……コイツ、蹴り上げてやろうか。大体、たった今会ったばかりの男にどうして女だから非力であると決めつけられないといけないのか。私を非力だと言えるほどコイツに力があるのか。
 そんな風に頭をまわせない男――あぁ。だから「ボンボンめ」そう陰口を叩かれるんだ。

「貴様今、オイんこっをボンボンちゆたんか」
「あー! もうッ。さっきからわけの分からない方言使うのやめてくれる!?」
「ッ、……ッ、」

 方言を使うなと怒鳴れば、途端に口籠る様子を見てまた“素直か”と突っ込みを入れそうになる。そういう様子がまた育ちの良さを表しているようで、絶妙にイライラさせられるのだけども。

「ボンボン。ほんとボンボン」
「……貴様ァ!」

 誰かに面と向かって言い返されることが少なかったのか、息子側はさっきからまともな言葉を返してきていない。大体鯉登大佐殿はどこに行ったんだ。さっきまで一緒に居たはずなのに。さっさとこのボンボン息子を回収して欲しい。

「オイ! まだ話は終わっちょらん」
「私は用がないので」
「貴様ッ、」

 息子の手が私の腕を掴もうと動いた時、「音之進ッ!!」と怒声が響き渡った。その声量に鼓膜がビリビリとしびれるような感覚がして、思わず肩を竦めると鯉登大佐殿がこちらに近付いて来るなり「すみもはん」と言いながら息子の頭を掴んで一緒にその頭を下げてきた。

「えッ、いやッ、あの……」

 大佐殿に頭を下げさせるなんて……と慌てる私に「オイん倅がごぶれさぁをしもした」と尚も頭を下げ続ける鯉登大佐殿。その隣に居る息子は息子で逆上したり反論したりするでもなく素直に頭を下げている。その様子を見た時、私は面を喰らってしまった。――そうか、これが“親子”なのか。

「頭をお上げください。私も行き過ぎた言動がありましたので」
「鶴見中尉どんに言い忘れちょったこっがありまして。ちょっ目を離した隙に……まこてげんなか」
「……私の方こそ、大変申し訳ございませんでした」

 同じように頭を下げれば、鯉登大佐殿はもう1度「びんたを上げたもんせ。こちらこそまこちすんもはんやした」と言った後「ほいなぁ、オイたっはこいで」と息子の背中を押して立ち去ってゆく。……あの2人は、互いを想い合っているんだなぁ。

 あの親子は、私が出来なかった関係性をきちんと築いているのだ。それは、寄り添うようにして歩く2人の姿が証明している。




- ナノ -