本物が滲む
もうすぐ私たちは戦場へと向かう。この駐屯地には随分と世話になったなと、いつの間にか抱いていた愛着を兵舎の廊下を歩きながら自覚する。
1歩1歩踏みしめるように歩く廊下の一室。その部屋の主は、私の上司でもある鶴見中尉殿だ。普段はきっちりと閉じられている扉が少し開いていて、それを不思議に思って扉の隙間を覗き込んでみた。
部屋の中は照明が落とされ、しんと静まり返っている。誰も居ないのだろうか――と不思議に思った時、部屋の中に月明かりが差し込んだ。そうしてその月明かりに手を差し出すような動きで人影が動いた時、その人物が部屋の持ち主であることに気付く。
「どうかしたかい、なまえくん」
「あ、いえ。失礼いたしました」
掌に何かが乗せられていたような気がしたけれど、すぐにポケットに仕舞われきちんと確認することは出来なかった。鶴見中尉殿は私の気配に気付いていたのか、だらしなく腰掛けていた椅子から立ち上がり「来なさい」と私を手招く。
「失礼します」
扉の前で頭を下げ鶴見中尉殿の部屋へと足を踏み入れれば、鶴見中尉殿は机の照明を灯しながら「我々はもうすぐ戦場へと向かわねばならん」と凛とした声で言葉を紡ぐ。そのいつも通りの凛々しさに触れれば、余計に先程の様子がいつもとは違っていたことを認識する。……あんな鶴見中尉殿は初めて見たかもしれない。
「なまえくんにとっては初めての戦場だ」
「はい。覚悟はしています」
「……そうか。それは良かった」
戦場に出るということは、戦うということ。その相手は決して機械などではない。その自覚があることを伝えれば、鶴見中尉殿は視線を落とし首を僅かに振ってみせる。そうして少しだけ余韻を持たせた後、鶴見中尉殿は「これをなまえくんに贈ろう」と机の引き出しから何かを取り出し、机の上に置いた。
「コレは……?」
「なまえくんに似合うんじゃないかと思ってね」
「そんな……、こんな素敵なリボン……頂けません」
白いリボンは、小ぶりながらにもその質の良さを主張している。こんな上等な物を私なんかが――そう慌てて返そうとするも、鶴見中尉殿は「是非。なまえくんに身に付けて欲しい」と尚も喰い下がる。
「なまえくんは軍の人間じゃない。だから、せめて。何かしらの形で私の戦友であることを表したいんだよ」
「鶴見中尉殿……」
鶴見中尉殿の瞳はよく見えない。月明りでも照らせない表情がどんな顔をしているのかが分からないけど、その言葉には確かな温かさを感じる。鶴見中尉殿の本心がどこにあるのか、私には見当もつかない。それでも、こうして行動に移し、言葉にしてくれている部分は信じたいと思う。
「私はこれからなまえくんを戦場へと巻き込む。だけど、なまえくんにはそのことを誇りに思って欲しい」
「誇り、ですか」
「このリボンを決して大事にはしないでくれたまえ」
唐突な願いにパッと顔を上げれば、鶴見中尉殿の瞳がじっと私を捉えるのが分かった。「なまえくんがそのリボンを血や土で汚す度、なまえくんがその分だけ仲間を救ったという証明になるだろう」と言葉を継ぐ鶴見中尉殿。その言葉に私はなんと返せば良いかが分からず、ただじっと聞く体勢を保つ。
「だから、このリボンが汚れることこそがなまえくんにとっての誇りであり勲章であると思って欲しい」
「ありがとうございます」
確信的なものは何1つないけど、この言葉の裏には私を想う気持ちが潜んでいるような気がして私はならない。
「鶴見中尉殿のお役に立てるよう、頑張ります」
そう言ってリボンを手に取ると、鶴見中尉殿が穏やかに笑うのが分かった。そしてその後に少しだけ寂しそうに「なまえくんは私にとって戦友でもあり、娘のような存在だからね」と呟く鶴見中尉殿。……なんだか今日の鶴見中尉殿は、その全てが本物のような気がする。