束の間の本音

 出くわしたその人は、お風呂上りなのか頭を手拭いで拭っていた。直立姿勢で通り過ぎるのを待っている私を見て、「そう畏まらなくても良い」とぶっきらぼうに言葉を放つ。

「いえ。そういうわけには」
「他の人間には大して改めないくせに」
「えへへ……。一応、月島さんは軍曹ですので」

 とは言ってみるけれど、階級で態度を変えはしないことをきっと月島さんは見抜いている。その証拠に、「和田大尉殿は俺より上の人間だが?」と痛い所を突かれてしまった。その言葉にもう1度「えへへ……」と笑って誤魔化そうとすれば、「俺はなまえに畏まられるような人間じゃない」と言い切られた。その言葉の持つ冷たさは私に、というより、月島さんご自身に向いているような気がする。

「そんなことはありません」

 その言葉を聞いて寂しさを覚えた私は、少し食い気味に反論してしまった。反論を受けた月島さんは、意図を汲もうと私の目をじっと見つめてくる。この人はいつだって冷静で、感情のブレがない。それが私が月島さんに対して畏まる理由の1つではあるけれど、決してそれだけではない。

「鶴見中尉殿の傍に居れば分かります」
「何がだ」
「月島さんが誰よりも鶴見中尉殿の言うことや求めるものを理解しているんだって」
「……俺なんかよりもっと盲目的に信じ、ついていく者はたくさん居る」
「それは……そうかもしれませんが。それでも、そういうお姿を見ていると“尊敬”に値する人物だって思います」

 私も負けじと言葉を紡ぐと、月島さんの瞳が逸らされた。照れているのだろうか――と微笑ましい気持ちでその顔を追えば、再び向けられる視線。

「なまえの髪は真っ直ぐで綺麗だな」
「……えっ?」
「大事にしろよ」
「あ、は、はい……」

 あまりに唐突な言葉で、まともな言葉を返すことも出来なかった。もしかして、髪の毛を伸ばしたいと思っているのだろうか……なんて考えもよぎったけど、そんなわけないとすぐにその考えを打ち消す。月島さんの向けた“綺麗”という言葉が、私に向けられているわけではないと分かったから。月島さんの中に在る“大事なもの”を垣間見たような気がして、胸が詰まる。……なんだかもの凄く寂しい。

「月島さん、」
「……なんだ」
「変なことを訊くようですが……今、幸せですか?」

 月島さんの動きが止まる。まさかこんなことを訊かれるとは思っていなかったのか、思考が停止しているようだ。それでもすぐに表情は元へと戻り、「そんなことは考えたこともない」と表面上の答えを差し出された。

「……そうですか、」
「ただ、」
「……はい」

 ただ――。そこから先の言葉を出すまで、少しだけ間を置いた月島さん。そうして出てきた「“知っている”ということは幸せなことだと思う」という言葉。そこには、取り繕ったものではない月島さんの本心が宿っているような気がした。
 その言葉の本当の意味までは分からないけど、月島さんが私の質問に真正面から向き合ってくれたことは分るから。

「やっぱり、私にとって月島さん……月島軍曹殿は敬うべき相手です」
「……勝手にしろ」
「ありがとうございます」
「ただ、俺にだけ“月島軍曹殿”などと敬称をつけるのはやめろ。なまえは中尉以上の階級の者にしか“殿”を付けていないだろう」
「……バレてましたか。一応鶴見中尉殿より位が上の方にはきちんとしておこうと思いまして」
「なんでも良いが。とにかく、俺だけ特別扱いなどするな」
「分かりました。……では、月島軍曹」
「……好きにしろ」
「へへ。ありがとうございます」

 そう言って場から立ち去る月島軍曹。その言葉を吐きだす月島軍曹の顔は、いつも通りの冷静な月島軍曹に戻っていた。……ほんのちょっとだったけど。月島軍曹の、束の間の本音が見れたような気がする。




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