その名を轟かせ

 樺太アイヌの村を離れ、辿り着いた豊原。さすが中心街なだけあって、今までの旅路の中ではだいぶ栄えている。日用品を買ったりアシパちゃんたちの情報集めをしたりしている最中、杉元さんが「あッ、味噌」と呟いた。パタリと足を止めたのは、味噌を売るお店の前。

「曲げわっぱどこいったんだろ……。お味噌入れにちょうど良かったのに」
「なくされたんですか?」
「そうなんだぁ。……好きなんだよね、味噌」
「へぇ、お味噌」
「そういえばなまえさんって、好きな食べ物とかあんの?」
「私ですか? んー、干し柿とカネ餅は好きです」
「えッ、俺も干し柿好き! ……干し柿、いつか食べさせてあげないとだな」
「もしかして……お味噌が好きなのはアシパちゃんですか?」
「へへッ。俺のオソマだ――って。うんこじゃねっつーの」

 オソマ? うんこ? と首を傾げるけど、杉元さんが楽しそうなのでそっと頷いておいた。にこにこと2人で笑っていると、再び感じるジトっとした視線。出どころは鯉登だと分かっているので、無視を決め込む。昨日散々「大きさ以外にはなんだ? 何があるんだ? やはり大きさか?」と隣で囁かれ続けるという恐怖体験をした。あんな子守歌、二度と聞きたくない。

「あ、見てみてなまえさんッ」
「わッ、可愛い」
「ね〜可愛いねぇ。少女世界の表紙みたい」
「少女世界?」

 小間物屋の前に飾ってある櫛に駆け寄り睫毛をパチクリと瞬かせる杉元さん。乙女状態になった杉元さんから聞き慣れない言葉が出たのでそれはなんだと問うと「最近出版された雑誌なんだけどね。表紙が華やかで可愛いんだぁ」とうっとりした表情を浮かべながら答えてくれた。……杉元さん、楽しそうだな。

「あ、このリボンとか。可愛いじゃん」
「ほんとだ、可愛い」

 杉元さんが指さすのは、櫛やかんざしとは別の箱に納められたリボン。確かに、仰々しくなくて控えめな作りが可愛らしい。綺麗な青に染められたリボンを見ていると、鯉登の髪色が浮かんできた。……鯉登の髪色、綺麗な色してるもんなぁ。ボンボン少尉なだけあって、身なりにはきちんと気を遣っているようだ。

「なまえさんはリボンとかしねぇの?」
「んー、前はしてたんですけど。今は……良いかな」
「そっかぁ。なまえさんの髪も艶やかで綺麗だから、櫛とかリボンとかしたら似合いそうだけどな」
「ありがとうございます。杉元さんも似合うと思いますよ?」
「よ、よせやぁい」

 帽子を下げてテレッとする杉元さんに思わず「可愛い」と呟けば「ふんッ。子供騙しなものに惹かれおって」と仁王立ちの状態で鯉登が言葉を吐きだしてきた。……あーあ、ほんと鯉登って台無しにするよなぁ。せっかく鯉登の髪のこと褒めてたのに。

「鯉登のこと褒めて損した」
「……何ッ!? 私の何を褒めたのだ!?」
「教えない。言わない」
「言えッ! 上官命令だ」
「そうだ杉元さん。もし良かったら少女世界、今度見せてもらえませんか?」
「もちろん! 一緒に見ようぜ」
「やった!」

 子供騙しか……。まぁそう言われても否定は出来ないな。今までそういうお洒落なものとは縁遠い生活だったし、今更めかし込んだって私には似合わないかもな。……でも、やっぱり。可愛いものを可愛いと思ってしまうのは仕方のないことだ。それに、こうして一緒にはしゃげる人が居るというのも嬉しいと思う。

「あ、そうだ。なまえさんって、クリオネ見たことある?」
「クリオネ?」
「これも少女世界に書いてあったんだけどさ、“流氷の天使”とも呼ばれてるんだって」
「確か“氷の妖精”とも呼ぶんでしたよね。前に1回見たことがあるような、」
「えッそうなんだ!? どうだった? やっぱ可愛かった?」

 どうだったかなぁと思いだしていれば、杉元さんの目が期待に染まる。……なんかアレだな、杉元さんは私以上に乙女だな。思わずふふ、と笑みが零れれば「そんなに!? めちゃくちゃ可愛いんだ!?」とはしゃぐ杉元さん。……うん。可愛いな、杉元さん。

「大きさァ……」
「うわッ!? もう何!? さっきから怖いんですけど!」

 ぬらりと現れた鯉登は、難しい顔して「負けてないのに、私だって……」とぶつぶつ小言と垂れ流している。この人、黙っていればそれなりにキリっとした顔立ちなのに言動が台無しにしてるんだよな。現に遠巻きに鯉登を見ている女性の顔がポッと染まっている。……ダメだ。昨日のやり取りがまだちょっと残っているせいで、そっちの話題に引っ張られてしまう。今まで意識したこともなかったけど、鯉登って顔整ってるんだよな。

「なんだ、私の顔をじっと見おって」
「別になんでもない!」
「むッ?」

 違う違う違う。ヘンケだヘンケ、ヘンケのせいだ。……いやヘンケのせいではないか。「分からん……」と言いながら鶴見中尉殿の写真を眺める鯉登は、周囲の視線にまったく気付いていないのか、今も何かに悩んでいる。……私もよく分からん。

「あれッ!?」
「どうしました?」
「俺の背嚢がない……あッ!」

 杉元さんが大声と共に1人の男の子を指差す。その背中には杉元さんの背嚢が背負われていて、全員で慌てて男の子の後を追う。「ちょっと地面置いた隙にアイツ……!」そう言って歯噛みする杉元さんが「待てコラァ!!」と叫ぶ。確かに、あの場には私も鯉登も月島軍曹だって居た。本当に一瞬の隙を縫って置き引きしてみせるだなんて、あの子は一体何者なんだ?

「あの背嚢に岩息舞治の刺青の写しが入ってるのか?」
「そうだよォ」
「ふた手に分かれるぞ。はさみうちだッ」

 月島軍曹の声かけによって、月島軍曹と私は道を逸れる。あの素早さだから、はやく回り込まないと間に合わない。その思いで必死に足を進めていれば、男の子と鯉登が屋根や電線を伝い駆け抜けて行くのが見えた。あの男の子の身のこなし……もしかして。

「月島軍曹、もしかしたら――って鯉登!?」

 空を鯉登が舞った。驚き見上げれば、鯉登が木の枝を掴み宙ぶらりになっていた。あの距離を跳ぶことにも驚きだけど、あんな細い枝をしっかり掴むなんて。身のこなしが軽やか過ぎてつい見惚れてしまった。

「あッ、危ない!」

 とはいっても小枝にしがみ付けば、あの鍛えた体をソレが支えられるはずもなく。ボキンと折れて体勢が崩れたのを見て思わず口に手を当てる。このままだと塀にぶつかる――目をぎゅっと瞑ると「なまえ、大丈夫だぞ」と月島軍曹の声が目を開けさせる。そうして見つめた先では、塀の上にストンと着地を決めてみせる鯉登の姿。……違う、これはぶつかると思って驚いただけだ。決して格好良いとかそんなんじゃない――「イデッ」……うん、違うな。

「アイツまた逃げるぞッ!」

 私の一喜一憂をスンッとした表情で眺めていた月島軍曹が再び走り出す。地上を縫って行ってしまった男の子を慌てて追うも、結局見つけられずに杉元さんと合流してしまった。……でもこの方向は1つ思い浮かぶものがある。

「多分ですけど、あっちに行ったと思います」
「あっち?」
「確かロシア各地を巡業してた曲馬団が今樺太に来てるんです」
「曲馬団……」

 パァンと銃声が響く。きっと鯉登があの男の子に追いついたんだろう。その銃声の方向に走って行けば、やっぱりそこには設営を行う曲馬団の姿があった。

「やっぱり」

 辿り着いた先では、男の子と帽子を被った男の人が正座をしていた。腕組みをしてその2人を見下ろしている鯉登に近付くと同時、「申し訳ございません!」と男の人が帽子をとって頭を下げた。それに倣うようにして頭を下げる男の子に対して杉元さんは「土下座なんてもう良いよ」と宥める。そうして大ごとにするつもりもないと続けるにも関わらず、男の人は男の子の顔を刀で斬りつけた。
 これってもしかして――。ある1つの演目を思い浮かべている最中、杉元さんが思い切り男の顔を殴りつけた。……あ、こっちは本物の血だ。

「軽業師? どうりで……」

 杉元さんの背嚢を奪った子――長吉くんはやはり軽業師だったらしい。そのことに鯉登と共に納得していると「これだ!!」と杉元さんが何かを閃く。「俺を樺太公演に出せ! “不死身の杉元ハラキリショー”でこの大都市豊原に俺の名前を轟かすんだ!!」と張り切る杉元さん。確かに、そっちの方が効率良くアシパちゃんに杉元さんのことが伝えられるかもしれない。

「そちらの方々も出演して頂くのが条件なら良いのでは?」

 急な出演依頼に山田座長は困惑を見せたけれど「体調不良の者が数名出ていて演目に穴が空きそうなのです」という長吉くんの言葉によって考えを改めたらしい。「それなら……確かに、」ともう一押しの所まで行き「特に……そちらの方。オイラが見るにこの世界が向いていると思いますよ」という長吉くんの言葉に鯉登が「ふッ。私に不可能などないからな」と乗せられたことで樺太公演への出演が無事決まった。……アシパちゃんの綺麗な目に、杉元さんの姿が映りますように。

「ではよろしくお願いします!」
「……えッ私もですか!?」

 長吉くんの目線が明らかに私に向いていたので、思わず目を見開く。私が出るだなんてまったくもって予想していなかった。というか私にあんな軽業は無理だ。その思いで手をブンブンと横に振れば、谷垣さんと月島軍曹から「旅は道連れだ」と両肩を掴まれ逃げ場をなくしてしまう。

「なんだなまえ。怖いのか、観客の視線を浴びるのが」
「……やったらァ」

 この巡業、誰よりも私が輝いてみせる。私の中に眠る闘志に火が点けられたのが分かる。負けられない戦いの始まりだ。




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