幸せ者

※完結後の時間軸

「俺のこと、好きなんじゃないんですか」

 絶句とはこういうことを言うのか。お手本のように開けた口をそのままにして目の前の男を見つめると、男はその視線から逃れるように自身の瞳を逸らしてみせる。今更自分の放った言葉のとんでもなさを実感しているのか。遅すぎやしないか。

「好きだって言葉すら言わせてくれなかったじゃないですか」
「それは、」

 “それは”なんだ。聞けるのならば聞きたいその言葉の先を、月島さんはいつまで経っても紡ぐことはない。もうこれ以上は待てない。待ったところでどうしようもないところまで来てしまった。こんな年齢になって、どうにか巡ってきた縁談さえ断って、ついに勘当されてしまった私にはもう、月島さんの言葉を待つ猶予はない。待つだけ無駄だと学んでしまった。

「今までありがとうございました」
「っ、なまえさん」
「なんですか」

 なんで今になって私の腕を掴んで離そうとしないのか。散々私の気持ちを不意にしてきたくせに。気付かないふりまでしてきたくせに。どうして今更。

「どこに行くんですか」
「生きる為の場所です」
「それは……その、いわゆる……」
「まぁ、そうですね」

 生きる為にはお金が必要だ。その為に私が差し出せる対価は、この身一つしかない。暗に肯定してみせると月島さんの顔にきゅっと皺が寄る。もしかして責任を感じてるのだろうか。だとしたら様を見ろだ。私にここまでの絶望を与えたのは他でもない、月島さんなのだから。
 私が、この世で1番好きな人。ただ唯一の人。これから先もずっと私は月島さんのことを想いながら生きていく。その責任は、月島さんにある。

「なまえさんはそれで良いんですか」
「良いも何も。月島さんが私に告白さえさせてくれなかったからじゃないですか。ちゃんと振ることさえしてくれなかったから。だからこうなってるんです」
「……すみません」
「その謝罪はどういう意味があるんですか?」

 くっと噤む口。あぁ、もう。そんな顔して欲しいわけじゃないのに。それでも、心のどこかにスッとする気持ちもある。……これで良い。仕返しは出来た。もう月島さんの前から消えよう。そして二度と現れないでおこう。これ以上月島さんの中に居る私を汚したくはない。嫌な思い出として残りたくはない。……やっぱり好きなんだなぁ、私。

「それじゃあ、お世話になりました。月島さん、どうかお元気で」
「ま、ってください」
「……なんですか」

 掴まれていた腕に手を添えて外そうしたら、その手を逆に払われた。この期に及んで一体なんなのだろう。こっちが今どんな気持ちでここに居るか、月島さんはちゃんと分かってるんだろうか。

「大事なものを捨てる辛さを、俺は痛いくらいに知っています」
「月島さん?」
「あの気持ちはなまえさんには味わって欲しくない」
「……なんですかそれ」
「俺は、まだあの子のことを忘れることが出来ません」
「あの子?」

 反芻した言葉で分かった。私の言葉と、月島さんの言葉に滲む想いの違い。月島さんの言う“あの子”は、私にとっての月島さんなのだろう。そして、月島さんはその子のことを諦める道を選んだ。けれど諦めきれずに今ここに居る。きっとそういうことだ。

「だからこそ、なまえさんの気持ちを断る勇気が持てなかった。傷付けたくなかった。……でもそれは、俺の甘えです」
「月島さん」
「前を向いて突き進むあの人を、俺は信じることにしました」
「あの人って……」

 月島さんの瞳が私を捉える。思わず息を呑んだ私が、月島さんの瞳に映っている。どくどくと高鳴る心臓を体内で感じていると「今すぐ、は難しいです。……すみません。だけど、いつか。なまえさんと一緒に進もうと思える日が来る気がします」と真剣な表情で告げられる。とても曖昧な言葉だけど、それが彼の本音で、誠意だ。

「だから、俺と一緒に過ごしてくれませんか」

 遅い、と言ってやりたかった。“何を今更都合の良いことを”そう怒鳴って掴まれた腕を振り解いてやろうかとも思った。なのに実際はボロボロと泣くことしか出来なくて、なんかちょっと悔しかった。

「好きです、月島さん。だいすき……」

 本音しか言えない自分が腹立たしくて、それでいて幸せ者だと思った。
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