不確かなものほどうつくしいんだね

 荒船と私はあくまでも“理論構築”の為に付き合っているに過ぎない。だから、手を繋ぐより先はない。

「それってみょうじちゃん、キスしたいって言ってる?」
「なっ、」

 食堂で一緒になった犬飼に「最近どう?」と訊かれ近況を打ち明ければ。まさかこんな言葉をぶっ込まれるとは。吹き出しそうになった米をどうにか耐え、慌ててお茶で喉奥に押し込んだところで「大丈夫?」と心配のフリを装われた。

「わ、私は! 好きって言われた側だよ?」
「好きって言われたらこっちだって意識するでしょ」
「それは……そう、だけど」

 身を持って実感していることなので、否定は出来ない。犬飼の指摘を甘んじて受け、お茶のパックを握りしめる。確かに、好きだと言われてから、荒船を見るとドキドキするし、ちょっとした動作に“格好良いな”とも思うようになった。

「みょうじちゃん、荒船のこと好きでしょ」
「……私がそれを自覚したって意味ないでしょ」
「確かに。それはそうだね」

 荒船の中に理論が構築されて、“違う”ってなった時はこの関係も解消されてしまう。そして、今のところその可能性は見いだせそうもない。

「ねぇ、私こういう話に疎いからアレなんだけど。ここまで来て“違う”ってなることある?」
「ないでしょ。さすがに」
「だよね」

 荒船は私たちの中で1番頭が良いし、恋愛理論のベースだってすぐに作ってしまえそうなのに。どうして荒船はその結果を伝えてくれないんだろうか。荒船の頭の中を覗いてみたい。

「まぁ、こういうことはゆっくり。ね?」
「そうだね」
「相手のことが大事なら、大切にしないと」
「分かるんだけど……なんか、こういうのって普通彼氏側では?」
「おれもまさかみょうじちゃん相手に言うとは思わなかった」

 私もですよ犬飼さん。まさか私が荒船のことを大事にしたいから、ゆっくり段階を踏もうと決意することになるとは。というか、さらっと流してしまったけど“キスがしたいのか”という問いに否定を返していない。……でも、否定したいのか? と自身に問うてみれば、その言葉に否定を返したくなる自分も心の中には居るのだ。



「最近ランク戦の調子どう?」
「結構良い感じだ。スナイパーの理論もそれとなく形になってきだした」
「へぇ。さすが荒船」

 一緒に帰る道すがら。隣を歩く荒船は機嫌が良い。ボーダーのことはよく分からないけど、荒船の調子が良いことは分かる。荒船のことだから、自分なりのやり方で自分のやりたいことをやっていくのだろう。私はそれを傍で応援するだけだ。……そういえば、前に“どうでも良い”って言った時も同じような言葉を続けたような気がするな。ちょっと記憶が曖昧だけど。

「この調子で次はガンナーに挑戦だな」
「頑張れ」

 張り切る荒船を応援していると、反対側からリードに繋がれた小型犬が歩いてきた。普段は見かけないので、きっと散歩ルートを変えたのだろう。小さいながらに目をキラっと光らせ闊歩する様子は、とても可愛らしい。思わず「わぁ」と声を漏らせば、荒船の体が強張るのが分かった。
 それを不思議に思って見上げると、荒船の顔は犬に釘付けのまま。犬が近付く程に固さを帯びてゆくので、咄嗟に荒船と犬の間に体を割り込ませる。そうして小型犬が通り過ぎるのを見届け、後ろの荒船から安堵の息が漏れ出るのを確認してから再び荒船の隣に立つと、荒船はあろうことか平然とした様子を装ってみせた。

「荒船って犬嫌いでしょ?」

 質問という体を成した確信を口にする私の声は笑っている。見事に的中された胸中に、ドキっとしたように私の顔を見つめる荒船。そしておかしそうに笑っている私を見て、バツが悪そうな表情へと顔色を変えふっと顔を逸らす。

「なんで隠すの?」
「……みょうじにダサいって思われたくねぇだろ」

 一旦素直になればどこまでも素直だよなと微笑ましく思いつつ、「ダサくはないでしょ」と言葉を返せば、荒船の視線は再び私へと向けられる。私だって虫苦手だし、ヘビとかも苦手だ。人間、苦手な物なんてあるに決まってる。

「苦手な物の1つ2つ、あったところで荒船の格好良さが揺らぐなんてないよ」
「格好良い……そう思ってるのか、俺のこと」
「あっ」

 つい口から出た言葉。そこでハッとし吐いて出た言葉に慌てて口を押えても、もう遅い。取り戻せないそれは、荒船によって大事に仕舞われてしまう。そうしてそのお返しのように送られる「さっきのみょうじも格好良かったぞ」という言葉。その言葉に微妙な気持ちになったことは、荒船には内緒だ。




- ナノ -