ゆるゆる殺傷

 自習室に居る人たちは、自習をしたくて足を運んでいる。それは私たちも同じで、いざ教材と向き合ってしまえば話し声や緩んだ空気はどこかへと鳴りを潜めてみせた。そうして紙やペン、秒針の音をBGMに過ごした時間が終わりを告げた時、体を伸ばし今日の成果を味わう。

「頑張った〜!」
「お疲れ」
「犬飼もお疲れ〜」

 2人して労い合っていれば、「みょうじ、送って帰る」と荒船から声をかけられた。別に平気だと断ろうとすれば、それを見越したように「付き合ってくれ」と言われ頷くしかなくなる。私が送って帰ってもらうのではなく、荒船の理論構築に付き合ってあげるのだ。それなら一緒に帰る理由となる。

「放課後デート、楽しんでね〜」
「犬飼は帰りに溝に足でも突っ込め」
「ひどすぎない?」

 冷やかしの言葉を言って手を振る犬飼を睨み、教室から出て行く荒船の後を追う。今まではなんとも思わなかったけど、こうして見てみると荒船って結構背中ガッチリしてるんだよな。最近はより逞しくなったような気もするけど。筋トレでもしてるんだろうか。

「みょうじ」
「ふぁい!?」
「……どうした?」
「べ、別に!」

 背中を見て荒船の筋肉に思いを馳せていたなんて、恥ずかしくて言えない。というか後ろ姿も格好良くて、正面にもこんなに整った顔面が待っているのってちょっと無理じゃないか? 私、こんな人の隣に今までどうやって立ってったけ。ちょっと思い出せない。……あれ、荒船って格好良いな? どうしよう、なんで告白された途端こんなにも意識しちゃうんだ?

「おい」
「は、はい!」
「……お前、意識し過ぎじゃねーか?」

 カチコチに固まった私をまじまじと見つめようと、その整った顔が近付いて来る。そのことに驚いて後ずさりをすれば、思い切り頭を壁に打ち付けてしまった。その衝撃に思わず後頭部を抑えてしゃがみ込めば、「大丈夫か?」と今度は心配そうな顔で覗き込まれた。

「い、イケメン退散!」
「は……イケメン?」
「てか、急にイケメンっぽくなるのやめてくれる? いや違う。私が全然意識してなかったのが悪い」
「みょうじ? 頭おかしくなったのか?」
「うるっさい」

 頭を撫でながら立ち上がれば、荒船も同じように立ち上がってなおも心配そうな顔を覗かせる。それに手で大丈夫だと示し靴を履き替えれば、同じ動作で一緒に歩みを進める私たち。なーんか、私のが調子狂わされてるような気がするんですけど。気のせいだろうか。

「もしかして、俺と2人きりなことに緊張してんのか?」
「……っ!」

 予想という体を成した確信を口にする荒船の声が笑っている。見事に的中された胸中にドキっとして横を見上げれば、やっぱりその顔はおかしそうに笑っていた。荒船まで私を笑うのか。その原因は荒船にあるというのに。

「いやだって私……す、好きって言われてるわけだしっ、」
「もしかしてみょうじ、誰かに好きって言われんの初めてか?」

 この言葉は先程と違って窺うように問われた。それでも私が返す反応は先程とまったく同じもの。その反応を見て、荒船の表情もさっきと同じように緩められてゆく。

「だっ、だったら悪い!? 私は荒船と違ってそういう話に縁がなかったの! だから急に告白まがいのことされたらそりゃ焦るっていうか……意識するでしょ!」
「はは、そっか」
「なんで笑うの、バカにしないで」

 悔しいけど。荒船と私との間には告白というイベントにおいて雲泥の差がある。だから私にとっての1回目があんな感じだったのは意外だったし、もっと意外だったのはその相手が荒船だったことだ。そのせいで今、荒船のことをめちゃくちゃ意識するはめになっているというのに。どうして荒船から笑われないといけないのか。段々腹立たしくなって、キッと睨めば荒船はその視線を柔らかく受け止めてみせた。

「みょうじの良さに1番に気付けたって思うと、ちょっと嬉しいな」

 あろうことか、ここでこんな言葉を言えてしまうだなんて。いやてか気付けてんの? 今気付こうとしてるんじゃないの。そう突っ込んでやりたかったけど、その気力も奪われ。多分ここが明るい場所だったら、私の真っ赤な顔が晒されていたことだろう。

「……そういうことサラッと言えるの、ほんとやめた方が良いと思う」
「ダメなのか?」
「ダメじゃないけど、なんか……うん。ダメ」
「どういう理屈だ?」
「こっちのHPの問題」

 ねぇ。“私が”じゃなくて、“荒船が”私のこと好きなんだよね? この解釈で合ってます?




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