少年少女の共同恋愛理論

「ごちそうさまでした」

 会計を済ませ、従業員さんにお礼を言って店を出るとまだ外はほんのりとオレンジ色に染まる程度だった。

 橋の上を歩きながら眺める夕陽。今はそれがお好み焼きに見えてしまってつい吹きだす。今食べたばかりなのに、欲張りか。
 どちらからともなく握る手を間に2人して歩く道は、やっぱりいつも以上に楽しくて。今までみたいに友達として過ごすのも楽しかったけど、“好きな人”となった荒船と過ごす時間は、それ以上に楽しい。それはきっと、荒船が好きな人であり友達でもあるからだ。荒船は凄いな。友達関係を崩すこともなく、私の中に恋愛感情まで芽吹かせてみせるんだから。

「帽子って良いよね」
「ん?」
「日差しを防げるし、こうやって伏せれば顔を隠すことも出来るから」
「まぁな。でも、今は別に顔を隠す必要ねぇだろ」

 荒船の手が私の帽子のつばに触れる。そうしてつばを持ち上げるのと同時に「わっ!」と驚かせてみれば、荒船は少しの間呆然と見つめてきた。……ちょっと。こっちが驚かせてるんだから、何か反応くらいはして欲しい。荒船は頭が良過ぎてちょっとズレてる所があるから、もしかしたら“驚かすことになんの意味があるのか”とか考えだしそうで怖い。不発に終わった行為が恥ずかしくて、再び顔を俯かせれば荒船から顔を隠すことが出来る。今日、帽子被って来てて良かった。……いや、この帽子のせいか。

「それは、もう1回やってくれるって解釈で良いか?」
「やらないよもう! 恥ずかしい」
「……可愛かったのに」
「かっ!? かわっ、」

 言って欲しい言葉を時間差で差し出す荒船。思わず顔を勢い良く上げると、同じタイミングで向かい風が吹き荒ぶ。咄嗟に腕で顔を防ごうとしたら手が耳に当たってイヤリングが外れてしまった。地面に落ちたイヤリングを拾おうとしゃがみ込むと、その動作に煽られた帽子が風に攫われてしまう。手で頭を抑えてももう遅い。風が吹いてから帽子が橋の下にある小川へと着水するまで、あっという間の出来事だった。

「取ってくる」
「えっ、荒船!?」

 欄干に寄りかかって落ちた帽子を見つめていると、荒船が橋の下に続く階段へと駆けてゆく。川辺までは迷いのない足取りだったけど、そこから先が踏み出せないのか、荒船の体は前のめりになっては元の位置に戻ってを繰り返している。

「ごめん荒船。帽子はもう良いよ」
「流されてねぇし。取ろうと思えば取れんだろ」
「じゃあ私が」
「みょうじはだめだ。濡らすわけにいかねぇ」
「でも荒船、」

 水に顔を付ける時点で限界突破――って、前に言ってた。それって結構水に対して苦手意識を持ってるってことだ。そこまで苦手なものに、自分のせいで近付かせたくはない。あの帽子だって悩んだ末に買った物だけど、荒船の方が大事だ。

「やっぱり……あ、荒船!?」

 帽子は良いから――そう続けるより先に、荒船の足元から水音が跳ねた。さっきまで尻込みしていた様子から打って変わって、じゃぶじゃぶと水の抵抗をものともせず突き進んで行き、帽子を手にして戻って来る荒船。慌てて駆け寄れば、「顔を付けなくて良かったから。どうにか」とホッとした様子で荒船が笑う。

 ぷつん、と糸が切れるような感覚が体のどこかでした。荒船のことが大事だから、大切にしたい。でももう付き合いきれそうにない。ふつふつと湧き起こる感情が制御出来なくなって、それをぶつけるように荒船に抱き着けば、「おいっ!?」と慌てる荒船の声。その声が揺れた数秒の後、水しぶきが跳ね上がった。

「……好き」
「はっ?」
「荒船は私のこと“好きかも”しれないけど、私は荒船のことが“好き”だよ」
「みょうじ、」

 荒船の手が私の頬に張り付いた髪の毛を払ってくれる。こちらを気遣ってくれる荒船に慌ててこちらも「ごめん! 水嫌いなのに……お尻痛めてない?」と後出しすれば、「鍛えてるから平気だ。水も、顔を付けてないから」と誇った様子で返される。そのことに安堵していると「……これは今分かったことだが」と荒船がポツリと言葉を零す。

「見栄を張りたい、ダサいと思われたくねぇ、俺の好きな物を知って欲しい、みょうじの為なら苦手なことにも足を突っ込める。……これら全てが、どうしてなのか。その理論はまだ分かんねぇ」
「分かんないんだ?」
「だが、その相手が“みょうじだから”ってことは分かる」
「……ん?」
「とにかく。俺もみょうじだから、こんなことになってるってことだ」

 こんなこと――というのは、私を抱きすくめ水浸しになっている状況のことだろう。夏で良かった、なんて今思うことではない。それよりも、まずこの全身から溢れてやまない気持ちを分かち合わないと。

「荒船にしては珍しく遠回しだね?」
「じゃあ分かりやすく言う。――好きだ、みょうじ」
「……へへっ。水浸しになって告白し合うなんて、アクション映画っぽいね」

 きゅっと掴んだ荒船のシャツ。その手に力をこめると、荒船の大きな手がその手を覆う。そうしてピッタリとくっ付けば、その距離で告げられる「アクション映画ならここでキスの1つや2つあるだろ」という言葉。ここでその言葉を言うのは、もはやフラグですよね?
 問いを視線に乗せ、同意を得ようと荒船の顔を見上げる。そうして数秒見つめ合った後、どちらからともなく顔を寄せ合い距離をなくす。1度目はすぐに離され、すぐさまやってくる2度目のキス。……ちゃんとキスの“1つや2つ”を回収する荒船、さすがです。

 てか、もしこれが映画だとしたら。今エンドロール流したら最高じゃない? このキスが終わったら、荒船にそう言ってみよう。そしたら荒船はきっと、「確かに」と笑ってくれるはずだ。




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