天気さえも味方をする日


 良い日だ。今日はあんなことがあったのだから良い日だ。たとえ、傘を持ってきていない日に雨が降ったとしても。間違いなく良い日だ。たとえ、今私が下駄箱で空を見上げて困っていたとしても。
 いやでもさすがにこれは予想外だったな。朝の予報では“太陽がずっと顔を出す1日となることでしょう! もうええわ! とツッコミたくなるほどです!”ってお天気キャスターさん言ってたのに。あの人今どんな気分だろう。心も豪雨に見舞われてそうだな。
 通り雨であることを祈って玄関で雨宿りを始めて15分。雨は一向に止む気配を見せない。そればかりか本降りの様相を見せ始めた。さて、どうしたものか。折りたたみ傘も持ってきていないし、親も仕事だし。さっき学校の貸し出し傘がないか見てみたけど、既に全て借りられてしまっていた。
 残るは“思い切り駆け出して行く”という方法だ。……仕方ない。良いことがあった後はこういうこともあるというものだ。人生はそういうバランスによって成り立っている。気持ちを割り切り、葉が雨に打たれ騒がしく音を立てて鳴く中を思い切り駆け出す。





 無謀かもしれない――そんなことは分かっている。分かっていてももう止まれない。服が肌に張り付いてくるのを感じながらひたすらに足を踏み出す。帰ったらすぐにお風呂に入らないとなぁ。それにしても雨はどんどん絶え間なく降り続いている。このまま駅までずっと降られるのだろうか。自分が選んだとはいえ、中々ハードな帰宅だな。そんなことを考えながら走っていると、突然右腕が力強く引っ張られそのまま体ごと右に傾く。

「こんな中を走って帰るのか」
「牛島くんっ、」

 私の右腕を引っ張り、渡り廊下の中へと招き入れた人物を見上げる。私は普段人と会話する機会があまりないし、それに相手が牛島くんだとしたら尚のことパニックになってしまう。

「今日天気予報じゃ雨って言ってなかったのにね。こんなに雨が降るだなんて思ってなくて。貸し出し用の傘も全部借りられてて、でも雨全然止みそうにないし、このままだと家に帰れないし、そしたら勉強する時間減っちゃうし、じゃあもういっそのこと家まで駆け抜けるか! って一念発起したんだけど……む、無謀でした」

 パニックになると私はどうやら喋りすぎてしまうらしい。俯いたまま喋る私に牛島くんは「待っていろ」と静かに言ってどこかへ姿を消してしまった。……えっ、待ってろって……ここで? 待つってなんでだろう? 端的に言葉を発して去って行った方向を見つめ立ち尽くす。でも待ってろって言われたからには帰るワケにはいかないし。この雨の中を走り出す勇気も中々出ない。

「みょうじ、これを使え」

 少しして戻って来た牛島くんの手には、折りたたみ傘と“白鳥沢学園”と書かれたあの紫色のジャージがあった。その2つを見つめたあとパッと牛島くんの顔を見つめる。……わ、目が合った。慌てて視線を落とし「えっ、でも……」と言葉を返す。厚意は嬉しいけど、申し訳なさの方が何倍も大きい。

「この雨の中傘もささず帰るというのは、いささか無謀だと感じるが」
「うっ」

 それはさっき私自身も思ったことだし、ぐうの音も出ない。押し黙った私に「それは普段使っていないものだ。返すのはいつでも良い」と牛島くんが傘を渡してくれる。正直言うと傘を貸してもらえるのはもの凄くありがたい。おずおずと手を伸ばし傘を受け取る。そうすれば牛島くんは「これも着て帰ると良い」と私の腕にジャージを乗せてみせた。

「えっ、い、良いよ良いよ! ジャージは牛島くんも使うでしょ? 傘だけで充分だよ」

 ジャージの方は断りを入れるけれど牛島くんの手は引っ込まない。「制服が濡れている。そのままだと肌が冷めて風邪を引いてしまうだろう」射抜くような目線で見つめられると、受け取る以外の選択肢をなくしてしまう。

「ありがとう……」

 そう言って受け取ると満足そうな表情を浮かべる牛島くん。圧は強いけれど、善意であることに違いはない。……牛島くん、めちゃくちゃ良い人だな。

「送ってやりたい所だが、生憎部活があるんでな」

 なんということだ。牛島くんからそんな優しい言葉が聞けるなんて。私は今日この後どうなってしまうのか。そんな風に自分のこの先を思って慄いている私に「ではまた。明日の朝」と、また端的に言葉を発して体育館へと戻って行く牛島くん。……今日の私は、過去最高に良い日を過ごせているのではないだろうか。

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