似た者同士の親子供


「Excuse me, where is the restroom?」

 隣から聞こえてきた声。その質問に答える男性の声は、試合開始前とはいえ観衆がひしめく体育館の中では他の音に紛れてしまう。「Go out that entrance――……」身振り手振りでトイレまでの行き方を案内する男性と、「I'm sorry, can you repeat that one more time, please?」と申し訳なさそうに言葉を返す観客。その観客に大丈夫だという笑みを返し、道案内をしていた男性が「一緒に行った方が早いかな」と席を立つ。

「If you would like」

 良かった、間に合った。トイレまでの行き方を書いたメモを渡すと、それを受け取った観客が「Thank you for your kindness. I appreciate it」と笑ってくれた。差し出がましいかとも思ったけれど、力になれたのなら良かった。老婆心ながらメモの中身を口頭でも説明し、「I hope you enjoy watching the games」と告げれば観客も「You too」と返してくれる。そして観客が受け取ったメモを見ながら出入り口に向かい、無事右手に曲がったのを見てホッと溜息を吐く。そこでようやく隣に居る男性の存在を思い出し「勝手にすみません」と詫びる。なんだか横取りしたみたいになってしまった。

「いえ。助かりました。英語、お上手ですね」
「あ、ありがとうございます」

 前は人前で英語を話すことに緊張しちゃって、若利くんに練習相手になってもらったこともあった。そうやって練習を重ねたり、スピーチコンテストに出てみたり、留学してみたりと色んな経験を重ねた。そのおかげで自信に繋げることが出来た。その結果が今困っている人の助けとなれたのなら、これがまた1つ私の中で自信に結び付く。

「左利きなんですか?」
「え? あ、はい」

 ボールペンを持つ手を見て男性から再び声をかけられる。その声に視線を動かせば、中年の男性は「ああ、すみません。こんなオジさんに話しかけられたら迷惑ですよね」と申し訳なさそうに詫びを入れてみせる。その声に「いえ、全然」と言葉を返し「前は左利きをコンプレックスに思ってたんですけど。今では誇りです」と笑う。急に何を言ってるんだと思われただろうかと不安になるも、それは柔らかく笑う男性を見て消え去った。……なんか、見たことある顔だな。初めましてのはずなのに。

「そうなんだ。僕の息子も左利きだから、なんか嬉しいな」
「……実は、私の恋人も左利きなんです」
「へぇ! 凄いなぁ。左利きがこの会話だけで3人も登場した」
「ふふっ。そうですね」

 出会いのキッカケとなった左手。その手を若利くんは今日も自身の武器としてコートに立っている。コートに立つ若利くんは何年経っても誰よりも格好良い。今日の試合でも私は何度も綺麗と思い、何度だって惚れ直すのだろう。想像に容易い展開を思い浮かべ口角を緩めていると、男性がニコニコと嬉しそうな顔で私を見つめていることに気付く。首を傾げながら笑い返すと男性はハッとし「あ、ごめんなさい。ユニフォームが目に入ってしまって」と何度目かの詫びをしてみせる。

「ユニフォームですか?」
「わか……牛島選手、好き?」
「……はい。大好きです」
「そう。……そっか、それは良かった」

 試合、楽しみましょうね――。そう言って笑って見せる男性の顔は、やっぱりどこかで見た覚えがある気がした。



「若利くん!」
「なまえ。どうだった」
「楽しかったよ!」
「そうか。俺は、どうだった」
「ふふっ。格好良かったです。誰よりも」

 試合終わり。若利くんと合流し、試合の感想を話せば若利くんも満足そうに笑ってくれる。そうだ、試合前のアレも話そう。私のちょっとした自慢話だ。心の中で思い浮かべた出来事に人知れず鼻を高くしながら口を開いた瞬間。「若利」と覚えのある声が若利くんを呼ぶ。

「お父さん……?」
「おとっ……」

 お父さん!? 若利くんから出たワードに2人の間で顔を2、3往復させる。……おとっ、お父さん……。お父さん!? ど、どうりで見たことあると思った。なるほど、お父様だったのか。……エッ、お父様なの!?

「お、おとお父様っ、あ、あの私その、」

 言葉をまごつかせながら急いで身なりを整える私に、男性が「いやあ、驚いたなあ」と感心しながら「はじめま……いや、改めまして。かな」と笑いかける。若利くんもお父さんが来ていることを知らなかったのか、表情に驚きを残したまま「紹介するよ」と私の腰に手をまわす。

「お付き合いしているみょうじなまえさん」
「はじめま……改めま、して、みょうじなまえと申します。若利さんとは高校時代からお付き合いをさせていただいてます」
「若利の父、空井崇です。さっきの会話、左利きは2人だったね」
「あっ、そうですね」

 男性――空井さんの言葉にハッとし2人で笑い合う。そんな私たちを見て若利くんがハテナを浮かべている。被ってたのは若利くんだよ、と心の中で言いながら「積もる話もあるだろうから。私はこれで」と告げると、その言葉には「いやいや。仕事の合間に寄っただけだから」と空井さんが待ったをかけた。

「もう行かないとだから。じゃあな、若利。格好良かったぞ」
「ああ。ありがとう、お父さん」
「うん。なまえさんもまた。今度は良かったら3人でご飯でも」
「は、はいっ! 是非」

 手を振って去って行く空井さんを2人で見送り「空井さん、若利くんのお父さんだったんだ」と呟く。顔を上げ隣に居る若利くんを見つめる。確かに空井さんの面影がある。

「空井さん、若利くんに似てるね」
「どちらかと言えば、俺が父に――だな」
「それもそっか」

 うん、やっぱり。笑った顔、空井さんにソックリだ。

「若利くんの未来を見た気分」
「そうか」
「うん。優しい顔だったね」
「俺も優しい顔になれるだろうか」
「なれるよ。だって、空井さんの息子さんなんだから」

 ちょっとしか喋ってないけど、空井さんは息子想いの優しい人だ。その気持ちをこめて言った言葉を、若利くんは嬉しそうに笑ったあと「ありがとう」と大事そうに受け止める。2人は間違いなく親子だ。

「なまえ」
「ん?」
「次会う時は、父のことを良ければ“お義父さん”と呼んでくれないか」
「い、良いのかな……。私なんかが」
「いずれそうなる。それに、その方が父も喜ぶだろう」
「……うん。分かった。喜んでくれると良いな」
「喜ぶに決まっている。何せ、俺の父なのだから」

 お義父さん――そう呼ばれた空井さんがどんな顔をするのか。息子である若利くんは既に想像出来ているらしい。自信満々に言い切れるのは、2人が互いを想い合った親子だからだろう。

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