甘噛み理論


 鈴鳴で迎える平日の朝。この前の日曜日とは違い、私が起きる頃には既に数人が共用スペースで作業をしていた。鈴鳴支部に住むことになったおかげで、通学距離も変わらないので助かる。それどころか、今では起きたら既に朝食が出来上がっている。前は食べても食パン程度だったのに。
 鈴鳴支部に仮住まいしないかと提案してくれた唐沢さんに感謝しないとだなぁと思いつつ、結花ちゃんが作ってくれた朝食に手を合わせる。鈴鳴では仕事の割り振りがされていて、料理が得意な結花ちゃんが食事当番を担ってくれているのだ。しかも、お弁当まで準備してくれる良妻っぷり。結花ちゃん、大好きだ。

「卵なくなっちゃった。帰りに買わないとだ」
「ん、じゃあ私が買いに行くよ。学校近くにスーパーあるし」
「ほんと? 私今日ボーダーの子たちと遊ぶ約束があって。お願い出来ると助かる」
「任せて!」

 結花ちゃんとやり取りを交わせば、鋼くんが「そういえば」と閃く。そして視線を茶碗から私へと移し、「なまえさんの学校近くのスーパー、確か特売日だったよな」と尋ねられた。こういう時のサイドエフェクトは最強だなと思いつつ頷きを返す。今日は確かお米とトイレットペーパーが狙い目だったはず。

「米とトイレットペーパーだったよな」
「そうそう! 鋼くん白米好きでしょ? ついでに良いヤツ、手に入れてくるね!」

 今も茶碗に盛られた白米を頬張る鋼くんに、そう言ってガッツポーズを見せれば鋼くんの頬が緩やかにあげられた。そしてゆっくり咀嚼した後、鋼くんは「買い物、オレも付き合うよ」と返してきた。

「荷物係、やらせて欲しい」
「え、良いの? お願い出来ると助かるけど……。私たち7限目があるから、待たせちゃうかも」
「大丈夫。それまで適当に時間潰しておく」
「ごめんね……ありがとう」

 鋼くんの提案に礼を告げた所で飛び出す「寝坊だ〜!」という嵐。右往左往する太一くんに「おはよう太一。まずは顔を洗っておいで」と穏やかに指示する来馬さん。溜息を吐きながら弁当を拵える結花ちゃん。
 ボーダーの支部として機能するここは、上の階はボーダー隊員以外立ち入り禁止となっている。話し合いなどで上が使われている時、何かしらの騒音が聞こえてくるのはもはや日常茶飯事。その音源である太一くんは、今日も朝から元気だ。

「ごちそうさまでした。洗い物はオレがしよう」
「ありがと鋼くん。弁当、ここに置いておくから持って行ってね」

 鋼くんと入れ違いで食卓に着いた結花ちゃんは、太一くんの為に朝食のセットをしてあげている。「まったく、なんで私が太一の面倒見なきゃなんないのよ」と頬を膨らませているけれど、結花ちゃんが1度たりとも太一くんを見放したのを見たことがない。

「ごちそうさまでした。鋼、ぼくも洗い物するよ」
「ありがとうございます」

 朝食はどうしても“全員揃って”とはいかない。けど、1つの場所でそれぞれが忙しなく動いているだけでも意味があると思う。その輪の中に居ることがこんなにも楽しくて満たされるものだなんて。忘れかけてしまっていた。

「結花ちゃん、今日のご飯も美味しかった。ごちそうさま」
「いえいえ。……太一! 早く食べなさい!」
「今先輩〜寝ぐせが直りません〜」
「はぁ!? そんなのどうでも良いでしょ!」

 2人のやり取りを笑いつつ、洗い場に食器を持って行けば鋼くんが受け取ってくれる。それに礼を告げ、洗い終わった食器を拭きにかかれば来馬さんがそれに礼を言ってくれて。ちょっと前までこういう行為に感謝したりされたりすることもなかったから、それがほんの少しむず痒い。

「なまえさん。学校終わったら連絡してくれ」
「うん、分かった」
「2人とも、買い出し、よろしくお願いします」
「任せて下さい、来馬さん!」
「ふふ。ありがとう」

 だけど、それ以上に幸せだと感じる。



「まさかみょうじが鈴鳴支部に住むことになるとは」
「さすがの荒船も予想外でしたか」

 ぼんやりと呟く荒船に笑い返せば、「まぁでも。確かに鈴鳴なら鋼たちも住んでるし、みょうじも近所だし。なくはないか」と納得してみせる荒船。やっぱり荒船は理解が早い。ちょっと悔しいくらいだ。

「そうだ。荒船、本当に鋼くんの師匠だったんだね」
「そういえばみょうじ、俺のこと疑ってたな」
「だって頭が良いだけじゃなくて運動面でも強いとか。ずるいじゃん」
「なんだそれ。俺は俺の理論で文武両道目指してるだけだ」
「証明してる所が腹立つんだわ」

 いつものように軽口を交わし、いつものように授業を終え。そうしてこなした“いつも”の中に、1つの新鮮な名前が混ざる。

「お、鋼じゃねーか」
「荒船」
「あれ、鋼くん。ごめん、待たせちゃった?」
「いや。カゲ――友達がこっち方面に用があるって言うから、ついでに来た」
「そっか、そうだったんだ」

 校門を出た所で待っていた鋼くんに詫びを入れつつ、その隣に立つ。そうすれば荒船が私たちをまじまじと見つめ、「なんか放課後デートみたいだな」なんてぶっ込むから。

「なっ、違うから! 買い出しに付き合ってもらうだけだからっ」
「はは。そうか、買い出しならデートではないか」

 私の反論を笑って受け流し、「じゃあ俺はボーダーに行くわ」と手を振り立ち去って行く荒船。とんだ置き土産を残して行ったな――とその後ろ姿を睨んでいれば、「行こうか。なまえさん」と鋼くんから促され、そこで勘弁してやることにした。

「夫婦なら買い物でもデートになるよな」
「エッ」
「あ、いや。それは恋人でもそうか」
「こ、鋼くん……?」
「あ、すまない。ふとした疑問だ」

 顎に手を当て独り言ちる鋼くん。学ランを着る鋼くんの隣を歩く私はブレザー。……もしかしたら、私たちは周りからしてみたら放課後デートをしているカップルに見えるのだろうか。

「好きな人となら――どうなるんだろうか」
「……そ、それは……どう、なるんだろうね?」

 鋼くんはきっと、なんの他意もなく言っている。だけど、私の心臓はその問いに心なしか大きめの鼓動を打ち鳴らす。その鼓動の意味は、私にもまだよく分からない。

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