いってらっしゃい


 年も明け、無事に入隊式を終えた頃。唐沢さんから連絡が入って“家の解体日が決まった”と伝えられた。電話口で呟かれた「今を逃したらもっと先延ばしになりそうだから」という言葉の意味は分からず仕舞いだったけど、唐沢さんは仕事が早いことだけは分かった。説明を受けながら告げられた日程は、数日後だった。

「当日は希望であれば立ち会えるように手続きをしておきますが、どうしますか?」
「お願いします。最後にもう1度近所の方に挨拶もしておきたいので」

 唐沢さんの提案にお願いを返せば、唐沢さんから「分かりました。では当日9時から作業が始まりますので。その頃にでも」と時間帯を伝えられ、それに返事をしてから通話を切る。……家がなくなるのか。荷物の引き取りやご近所さんへの挨拶で何度かは戻っていたけど、それも数日後で最後。感じる寂しさは、どうしようもない。





「そっか。ご自宅、解体するんだね」
「はい。ようやくと言うか、あっという間と言いますか」

 来馬さんたちに解体のことを告げると、それぞれがしんみりとした顔つきになる。それを笑って吹き飛ばそうとすれば「オレもついて行っても良いだろうか」と鋼くんが名乗りをあげた。その言葉は嬉しいけど、その日は確かボーダーの友達とランク戦をする約束があると言っていたような。

「でもランク戦……」
「そっちは大丈夫だ。それより、解体時に1人だと寂しいんじゃないか?」
「……お願い出来ると嬉しい」
「あぁ。ランク戦はいつでも出来るし、それに、連絡さえちゃんと入れればアイツは怒るようなヤツじゃない」
「そうなんだ。今度会えたらお礼しないとだね」

 鋼くんの言葉に笑えば、鋼くんも同じように笑ってくれる。そうして続く「カゲにもなまえさんのこと紹介したいしな」という言葉には嬉しさをもらって。そんな私たちを温かい目で見守る鈴鳴メンバーの視線にちょっとだけ気恥ずかしさを抱いて。私の幸せは、こういう所にあるのだと実感する。



 解体当日。指定された時間に実家へと向かうと、業者の方が既に現場に居て鋼くんと2人で挨拶を交わす。ご近所さんたちへの最後の挨拶も終わらせ、少し離れた場所から解体作業を眺める。ネイバーによってすでに壊されているけど、こうして自分の意思で家を解体するのは、やっぱり込み上げてくるものがある。

 私がこの家で過ごした10数年。それがなくなるわけじゃないけど、象徴だった建物がなくなってしまうというのは、やっぱり寂しい。覚悟してたはずなのに、名残惜しさがこみ上げてくる。お父さんお母さん、おじいちゃん。家族に囲まれて過ごした時間も、おばあちゃんと2人きりで過ごした数年も、1人きりで過ごした4年半も。ここには、たくさんの数えきれないほどの思い出が眠っていたから。

「っ、」
「……なまえさん」

 こみ上げる思いが涙となって頬を流れれば、鋼くんが肩をぎゅっと抱き寄せてくれた。今、私の隣に鋼くんが居てくれて良かった。私を抱き締めてくれるのが鋼くんで良かった。力強くて逞しい優しさに体を預けると、鋼くんがその力強さに負けないくらいの声でもう1度「なまえさん」と私の名前を呼ぶ。

「鋼くん……?」

 鋼くんの瞳が何かを決意しているように思えて、思わず名前を呼ぶと鋼くんはその場で片膝をついて跪く。そうして握られる私の左手。男性が女性の前でこのポーズをする時――そのシーンが脳内をよぎり、流れていた涙を引っ込めた。

「みょうじなまえさん。オレはあなたが好きです。……オレと、家族になってくれませんか」

 なんてことだろう。私は、家をなくした日に最高の言葉を手に入れてしまった。この言葉に対し、私がなんと返せば鋼くんにとっての最高になれるだろう。そんなことを一生懸命考えていれば、また涙が溢れてきだす。涙じゃなくて、言葉で応えたい。そう思っているのに、いつまでも零れ出るのは涙ばかり。そうでもしないと幸せを抱えきれないのだ。

「いつかここに家を建てよう。そして、ここで一緒に幸せになろう」
「……うん。……うん!」

 鋼くんみたいに欲しい言葉以上の言葉を渡すことは出来ないけど。必死に首を縦に振って気持ちを示せば、鋼くんはそれだけで気持ちを受け取ってくれる。そしてゆっくりと私の左薬指に口付け「今はまだ指輪を贈ることは出来ないけど。いつか絶対に、なまえさんの指に似合う素敵な指輪を嵌めてみせる」と誓う鋼くん。

「ほんと? その言葉、覚えてても良い?」
「あぁ。オレも一生忘れない」
「ふふっ。良いサイドエフェクト持ってるね」
「あぁ、そうだな」

 鋼くんの手を握って鋼くんが立ち上がるのを手伝って。そのままぎゅっと抱き寄せられれば、幸せの中に閉じ込められたような感覚に陥る。……本当はキスしたいけど、さすがにここでは我慢しよう。今は鋼くんから貰った幸せの余韻に浸りたい。

「……今日のご飯、なんだろうね」
「なんだろうな」
「楽しみだね」

 さよなら、私の思い出たち。……そして、いつかまたここをたくさんの思い出で彩るその日まで。

「今日は来馬先輩たちも早めに帰ると言っていたぞ」
「そっか。じゃあ解体作業が終わったら、私たちも寄り道しないで早く帰ろっか」
「あぁ、そうだな」

 その日を夢見て。私たちは、家へと帰るのだ。

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