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「カゲ、相談があるんだけど」
「……どうした」

 授業の合間。村上くんと話しているカゲに声をかければ、村上くんが腰を浮かす。それに待ったをかけ「村上くんにも聞いて欲しい」と願えば、村上くんは少しだけ困惑した表情を見せた後に「分かった」と座り直した。

「私、ボーダーに入りたい」
「良いんじゃないか」

 一体何事だと窺っていた村上くんは、私の言葉を聞いてパッと表情を明るくさせる。その反応にほんの少しホッとし、次にカゲの顔を窺う。対するカゲは村上くんとは違い、だんまりを決め込んだまま。お好み焼きをひっくり返す時や、カプセルを回す時とは違ったドキドキが体を覆う中、「……やめとけ」という言葉が耳を掠めた。

「……向いてないと思う?」
「そんなことはないさ。この前勝負した時なんか、中々に良い運動神経だった」
「ほんと?」

 村上くんがくれる言葉に背中を押されるのも事実。だけど、いまいちそれに大きな頷きを返すことが出来ないのは、目の前に居るカゲの眉間に皺が寄っているから。……カゲは私がボーダーに入るの、嫌なのかな。

「カゲ、今日放課後かげうら行っても良い〜? ってあれれ。なんか……会議中?」

 ゾエさんお邪魔虫だったかな? と廊下から顔を覗かせるなり眉を下げるゾエ。その様子を見て「みょうじさんがボーダーに入りたいそうだ」と村上くんが状況を説明してくれる。ゾエはその言葉を聞くなり「え、そうなの!? なまえちゃんもボーダーに入るなんて、ゾエさん感激!」とパァっと顔を輝かせてみせた。
 ゾエの様子を見る感じ、影浦隊の中にどんよりとした雰囲気は漂ってなさそうだ。とはいっても、目の前に居るカゲはいつもより不機嫌そうで。やっぱり、水上くんたちが言っていた騒ぎが原因だろうか。

「鳩原さんの件、聞いた。だから、このタイミングでこういうこと言っても良いのかなって……迷ったんだけど」
「その件とみょうじは無関係だろーが」
「……じゃあ、なんでカゲは反対なの?」

 机に頬杖をついて不機嫌そうな声をあげ続けるカゲ。その目をじっと見つめてみても、カゲの感情を察することは出来なくて。みんなは賛成してくれているけど、私はどうしてもカゲの賛成が欲しい。カゲに、受け入れて欲しい。これは、私のわがままだ。……だけど、どうしても。あと1歩はカゲからじゃないと押してもらえない気がするから。

「教えてカゲ」
「……俺はみょうじと一緒に戦いたくねぇ」
「……っ、……分かった」

 その言葉を聞いた瞬間、体がぐにゃりと歪むのが分かった。大きな何かに頭を殴られたような感覚がして、その後にこれが絶望なのだと思い知る。
 私のわがままを、カゲは受け取ってはくれなかった。その代わりに、カゲは拒絶を与えてきた。……それだけは欲しくなかった。カゲだけには、して欲しくなかった。

「なまえちゃん!」
「相談に乗ってくれてありがとう。……私、ちょっと保健室行ってくる。村上くん、ごめんけど先生に言っておいてもらっても良い?」
「みょうじさん、」
「ごめん……」

 相談なんて言っておきながら、結局はただカゲに認めて欲しかっただけだ。私には、“それでも入りたい”と言い返せるほどの意志もない。そういう半端な気持ちで言った言葉だってことを、カゲは見抜いていた。だからああやって否定したんだ。鳩原さんのことは関係ない。私の、生半可な気持ちがいけないんだ。

「バカだ、私」

 一生懸命頑張ってる人たちの中に、簡単に入れると思ってた。私もボーダーに入ってみんなともっと仲良くなりたいって思った。みんな、もっと強い気持ちでボーダーに入ってるっていうのに。

 保健室に辿り着く前に耐えられなくなって、思わず人気の居ない階段に座り込む。両手でぎゅっと目頭を押さえても溢れる涙は止まらない。声が響かないように唇を噛み締め、どうにか嗚咽を抑えようとしても思い通りにいかない。こんなことなら「ボーダーに入りたい」って言わなければ良かった。今の距離感で、充分楽しいと満足していれば良かった。そしたら――。

「……カゲに嫌われなかったのかな」

 ボソっと呟いた本心。この言葉がこの涙の根幹で、原因。私は、ボーダーに入れないことよりも、カゲに嫌われることに怯えている。……あぁ、そうか。私は、カゲが大好きなんだ。

「このタイミングって……」
「なんだよ、来ちゃ悪ぃか」

 気持ちを自覚するタイミングがよりにもよってこことは――。間の悪さを嘆いてみれば、その言葉は宙に消えずカゲによって拾い上げられた。

「……えっ。カ、カゲ……!?」
「行くぞ」
「えっ、えっ!? 待っ、ど、」
「うるせぇ。良いから黙ってついて来い」

 泣き濡れた掌を一回り大きなそれが握りしめる。いつの日か繋いだ掌は、やっぱり骨張っていて、私のとは全然違う。それでいて、今日も温かい。その熱がカゲがここに居ることを主張してくるようで、私の胸は沸騰しそうになる。

「……悪かった」
「え?」
「だから! 悪かった! きちんと話させ……て、くれ」
「……うん」

 前を歩くカゲの言葉は、いつもと変わらず刺々しい。でも、そんなカゲが初めて“話をさせて欲しい”と願い出た。そういうカゲの歩み寄ろうとしてくれる部分に、私は何度嬉しくなっただろうか。何度温かい気持ちを貰っただろうか。

「あー! もう泣くな!」
「ううん、これは違うやつ。……カゲなら分かるでしょ?」
「……お前は下手くそだから分かんねぇ」

 今、私の感情がカゲにどう刺さってるかは分からないけど。カゲのカサついた掌が私の涙を吸い取ってくれているのだけは分かる。……私、カゲのこと、大好きだよ。
痛みを愛だと知っている


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