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■18話影浦サイド

「カゲ……」
「なまえちゃん、泣きそうになってたよ?」
「うるせぇ」

 仲間の視線がチクチクと痛い。それだけじゃない。体の中の左側がジクジクと鈍痛を告げるのは、サイドエフェクトとは無関係であると影浦は気付いている。あんな風に怯える感情をみょうじから向けられたのは、一体いつぶりだっただろうか。
 それに気付いていながらも拭うことをしなかったのは、影浦自身のわがまま。みょうじの希望をはね退ける代わりに、自身のわがままを押し付けた。そうして押し通したわがままに、誰よりも不快な思いをしているのは他でもない、影浦自身。

「お前の気持ちも分かるけど……もっと言い方があっただろ」
「そうだよカゲ。なまえちゃんが心配ならそう言えば良かったのに」
「……仕方ねぇだろ。他の言い方なんか知らねぇ」

 もっとやんわりとした言い方があることも知っている。ただ、知っているのと口にするのとでは天と地ほどの差があるのだ。優しく言えないのは昔からだったし、それを直そうとも思わなかった。そのことを誰よりも後悔しているのを悟られないように、影浦はマスクをぐっと上にあげて強がる。

「カゲは、なまえちゃんに声をかけられて嬉しくなかった?」
「あ?」
「初めてなまえちゃんと話した時、カゲなまえちゃんの感情受け取ったでしょ?」





 あの日、チョークの粉が付いていると遠慮がちに声をかけてきたみょうじ。その様子からは緊張と、怯えと、期待と、色んな感情がごちゃ混ぜになって受け取ることが出来た。その感情がどうもむず痒くて、みょうじの視線が逸らされた隙に鼻先の粉を乱雑に拭って誤魔化そうとした。その行為のせいで北添から笑われるはめになってしまったが、影浦の瞳は北添と一緒に吹き出して笑うみょうじの姿を捉えた。

 みょうじの笑った顔を見た時、己自身の感情もぐにゃりと不安定になるのが分かった。他人から受け取るマイナスの感情で不快な思いをすることはあれど、こんな風にかき混ぜられるような感覚は今まで1度たりともなかった。
 みょうじから向けられる感情には決してプラスな感情が多いとも言えないはずなのに。どうしてだか不快な思いにはならなかった。

「ごめんね、カゲ。マスク、大丈夫?」
「……別に。擦れば取れんだろ」

 難題を手にしてしまったような感覚に陥り、その場から逃げるように立ち去った影浦の背中に北添のものとは少し違った感情が届くのを感じたあの日。

 あれから遠巻きにみょうじを見つめ続け、果たしてこの感覚は何が原因なのだろうと考え続けた。「カゲ、最近なまえちゃんのことよく見てるね?」と北添から問われるくらいには、無意識のうちに視線を寄せてしまう程に。

「もしかして……」
「そんなんじゃねぇ。なんつーか……下手くそなんだよ。アイツ」
「下手くそ?」

 さすがにあの一瞬で惚れた腫れたなどと言うつもりはない――が、みょうじが気になるのは事実であり、今どうしてここまで気になるのかを考えている所なのである。その答えは未だに具現化出来ていないが、あの時感じた感情をなぞるように言葉にしてみるとすれば、“下手くそ”という表現が1番しっくりくる。

「アイツの感情はいまいち刺さらねぇ。だから下手くそ」
「そうなんだ?」
「あぁ。アイツが下手くそなんだ」

 他人の感情がここまでうまく感受出来ないのは、影浦にとっても初めてのことだった。なのでこれはきっと影浦自身に原因があるのではなく、みょうじに問題があるのだ。そう結論付けてしまえば、今度は確信が欲しくなった。

「そっか。じゃあ今度、確かめてみないとだね」
「別に……もう話すこともねぇだろ」
「ふふっ。下手くそなのはカゲもだね」
「あ!? なんだとてめー!」
「わー、ごめんごめん。……でも、いつか話せると良いね」
「別に、」





 どうでも良い――そう言えなかった理由を当時はうまく見つけることが出来なかった。そして今、その理由は長い時を経てみょうじによって判明しようとしている。

「ねぇカゲ。なまえちゃんの気持ち、本当に刺さらない?」
「……あ?」
「なまえちゃんと一緒に居たら、楽しいって思わない?」
「…………、」

 北添の問いに、影浦は自身の体感を思い返す。……確かに、みょうじの感情は感受している。ただ、“刺さる”という表現がしっくり来ない。みょうじの感情はいつだって包み込むようで、じんわりと温かくなる。まるで、あの日繋がれた掌のような。そういう類のものだ。

「カゲはみょうじさんのこと、嫌いなのか」
「……嫌いだったらつるむわけねぇだろ」
「そうか。じゃあどうでも良いわけじゃないんだな」

 何を今更なことを――そう言って村上を睨みつけようとしたが、それよりも先に村上の感情を感受し、言葉を止める。続け様に北添の顔を見つめてみると、北添からも同じような感情を感受することが出来た。……この能力のせいで散々な目に遭ってきた。ただ、この能力のおかげで仲間の思いやりや心配に触れられるのもまた事実。

「もう1度訊く。みょうじさんのこと、どうでも良いのか?」
「……どうでも良いわけねぇだろ」

 ガタっと椅子から音が鳴る。その音を意識の遠くで聞きながら教室から抜け出し、数歩歩いた所でその速度は駆け足へと変わる。

 みょうじのことをどうでも良いと思ったことなんて、ただの1度もない。みょうじは影浦にとって誰よりも特別で、1番泣かせたくない人なのだから。
心のトリガーを惹き合う


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