welcome back saturday

「寝ていたか」
「お、おはようございます……」
「昨日は電話に出られなくてすまなかった」
「……いえ。こちらこそ遅い時間にかけちゃってごめんなさい」
「それは構わん。かけたい時はいつでもかけてこい」
「はい、」

 自分の彼氏にかける電話をあんなに躊躇したのは一体いつぶりだっただろう。本当はもっと早い時間に電話するつもりで携帯を握りしめていたのに、結局通話ボタンを押せたのは日付を越してからのことだった。かけてすぐに“風間さんのことだから、明日に備えて早く寝ているに違いない”と思い至り、3コールで切ってしまえば。翌朝の早い時間に返事のモーニングコールが枕元で響き、今私はベッドの上で正座をしている。
 見られているわけでもないのに髪を整えながら「あの、」と紡げば、「ん?」と低くて落ち着いた声が鼓膜を震わせる。……あぁ、この声、やっぱり落ち着くな。夜中に電話しながら2人で微睡みたかったな。

「今まで、色々すみませんでした」
「なまえが謝ることなど何1つない」
「風間さんのこと、たくさん悩ませちゃいました」
「悩みはしたが、なまえのせいではない」
「……お見合い、今日ですよね」
「あぁ。もう少ししたら向かう」
「……やっぱり嫌だなぁ、」

 思わず零れ出た本音を、風間さんも私も拭うことはしない。それが互いの気持ちはイコールだという証拠のようで、ちょっとだけ落ち着くから。……大丈夫、私たちの気持ちはちゃんと結ばれている。

「なまえは、今日は何をする予定なんだ?」
「今日は休みが一緒の人たちと、昼から飲みに行く予定です」
「ふっ、昼間からか」
「風間さんとだと堪能出来ませんしね」
「それは悪かったな」
「ふふっ。……早く帰って来てくださいね」
「あぁ」
「浮気、だめですからね」
「あぁ。肝に銘じよう」
「……大好きです」
「……あぁ」

 今からお見合いに出掛けるなんて抜かす彼氏に、とびきりの呪文をかけて送り出すことが出来た。……仲直り、出来てよかった。



 風間さんからの着信は想像よりも早かった。あまりにも早過ぎて、何かあったのだろうかと慌てて居酒屋から飛び出し押し当てた携帯。そこから流れ出るのは「今どこだ」という端的な質問。

「今は居酒屋の前です」
「そうか」
「えっ風間さん。お見合いは……?」
「なまえが合コンに参加などしていないか気になってな」
「合コン? そ、それ……まだ覚えてたんですか」
「忘れられるはずもない」

 いつの間にか記憶の彼方に行っていたワード。それを覚えていたという風間さんを笑いながら視線を上げた先。そこに私と同じように携帯を耳に押し当てた状態の風間さんを見つけ、口がポッカリ開いてしまった。

「えっ、風間さん!? なんでここに……」
「なまえが教えてくれただろう。ここに居ると」
「居酒屋としか……」
「昼間から開いている居酒屋はここぐらいだ」
「確かに」

 最後の方は携帯を介さずとも聞き取れる距離感になり、“確かに”と納得した時には風間さんの緩やかに上がった口角を認識することが出来た。……風間さん、スーツめちゃくちゃ似合ってるな。

「合コンってワード、風間さんに響いてたなんて。ちょっと意外でした。どうせ参加しないって見透かされてるとばかり」
「そうも思いはしたが。それでも、焦らされたこちらの身にもなって欲しいな」
「え。焦ったんですか? 風間さんが?」
「……お前は俺を何だと思っている。俺だって焦燥に駆られるし、眠れなくなることもある」
「かっ、風間さんが……?」
「そうでないと相手方との話を切り上げてここに来ないだろう」
「切り上げ……え。もしかして、トンズラこいたんですか?」

 俗な言い方に眉根を寄せた風間さんは、「きちんと断りは入れた。“俺には心に決めた相手が居る”と」そう言葉を返してきた。……冷静にぶっ込んでくるなぁ。

「心に決めた……って、本当に言う人居るんだ」
「お前、さっきからふざけてないか?」
「ふざけてなんかいませんよ。嬉しくてはしゃいでるんです」
「そうか。……実は、相手方に先程の言葉を伝えた時、余計気に入られてしまってな」
「えっ! じゃあ……、」

 風間さんの言葉に一気に絶望の淵に追いやられ、途端に想像したくもない未来が溢れてくる。それを頭を振って追い払うよりも先に「いや。最終的には“その間に入るのは無粋だ”と引いてくれた」という風間さんの言葉が届けられた。……なんか、なんかそれだと――

「……私、相手の方に負けたような気がするします」
「そうか?」
「そうですよ。相手に懐の深さ見せつけられたような気分です」
「そうか。……それで、大人気なく欲した相手は今こうしてここに居るわけだが。それでは不満か?」
「……全然っ! 大満足です!」

 満面の笑みでそう答えれば、風間さんの目も柔らかく緩む。どんな過程を歩んだとしても、風間さんがここに居てくれたらもうそれだけで良い。この1週間でそれを痛感した。

「ねぇ風間さん。唐沢さんからお金預かってるんですけど」
「今度俺から返しておこう」
「このお金で、私とお洒落なお店に行きませんか?」
「……それも良いかもしれんな」
「だから今度、私のドレス買いに付き合ってもらえますか?」
「あぁ、勿論だ」

 おかえりなさい、風間さん。帰ってきてくれて、ありがとう。
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