素直さが気持ちを絡ませる

 どれだけ気まずい思いを抱えようとも、仕事には行かないといけない。
 中々寝付けなくてくっきりと浮かんでしまったクマを厚めのファンデーションで隠し向かう先は今の勤務地。どうか宮侑には会いませんように――なんて願いとは逆行だ。

「そのガーゼ、どうしたんですか?」

 到着するなり嫌な問いが耳に入って来た。声の方向に視線を向けると、頬に大きなガーゼを施した宮侑とそれに驚いた顔をする記者の姿が目に映る。……そういえば今日は午前中に別の出版社の取材があるって聞いたな。しかもカメラマン同行だから写真撮影もあるようだ。
 思い切り眉をひそめているとバチっと宮侑と目が合ってしまった。その目はそのままに、口角だけをにんまりと上げて「いやぁ、手痛い一発貰いまして」と頬に手を添えてみせる宮侑。挑発されていると分かっていても、それに言い返す立場ではない。

「いうてカミソリで口切ってしもうただけですけど」
「あっほんとだ。口の端切れてますね」

 宮侑はガーゼを剥ぎ、その下に隠れていたバンドエイドを見せ「ちょっと大げさにしてみました」とおどけてみせる。「手痛い1発って、自分に貰ったんですね」と茶化す声に「撮影ではうまく隠して下さいね」と冗談を返しつつ、そのまま取材場所へと立ち去って行く宮侑の後ろ姿を眺める。……あの感じだと昨日のことは誰にも言っていないようだ。
 というか口の端、あれ絶対私のせいだよな。どうしよう。人に怪我をさせてしまった。昨日の行為を思い出せば、また掌がじんじんと痛みを帯びてゆく。でも、この痛みを謝りたくはない。



 結局、今日の取材ではまともに宮選手を追うことが出来ず仕事の収穫もゼロだった。仕事にまで支障をきたしてしまうくらいなら、やめておけばよかった。そんな後悔、先には立ってくれない。今日のコーナーも撮れなかったし、木兎選手に頼んで番外編でもやらせてもらおうか。

「説明してもらえる?」

 木兎選手を探しに行こうと体育館から通路に出た時。肩を壁にもたらせ待ち構えていた選手から出迎えを受けた。その声に歩みを止めてみせると宮侑はゆっくり近付き私の顔を覗き込む。

「ここまでされたんやし。そろそろ教えて貰うてもええよなぁ?」

 ニコニコと笑っているけれど、その奥にどんな感情が潜んでいるかいまいち読めない。怒っているような、楽しんでいるような。そのどちらともを秘めているような表情で見つめられると、胸の奥にゾクっとした感情が込み上がってくる。……でも。負けるもんか。

「治療費でしたらきちんとお支払いします。でも私のしたことを間違いだったとは思いません。だから、この件を謝罪するつもりはないです」
「謝れとか言うてへん。まして治療費を払えとも言ってない」
「っ、」

 歩み寄られ、思わず足が退く。そのまま距離を詰められ背中には固くて冷たい壁の感触。宮侑の両手は後ろで組まれていて、決して両サイドを塞がれてはいない。それなのに、目の圧が凄すぎて逃げることが出来ない。

「俺のこと、なんでそんなに嫌いなん?」
「それは……」

 宮侑はずっとこのことだけを訊き続けてきた。それにまともに答えることをしなかったのは、少しだけ怖かったから。高校生が言った言葉1つにこんなに躍起になっていることを知られたら――そう考えたら口にすることが出来なかった。

「もしかして、嫌っとるわけやないとか?」
「……は?」
「いやほら、嫌いって好きとほぼ同意義やん?」
「……はぁ?」

 ハッと閃いた顔になったかと思えば、勝手に核心を突いたような表情を浮かべる宮侑。話の飛躍さに付いていけず、思わず腑抜けた声が漏れ出る。

「せやから、なまえちゃんは俺のこと嫌いなんやなくて、ほんまは好きなんとちゃう?」
「はぁ!?」
「なんや、そういうことか。そっかそっか、そんならええよ、許したる」
「違う! 私はアンタのことなんか嫌いや! 高1の時、アンタは私のお父さんが書いた記事に難癖付けた! こないだも私たち記者の仕事をばかにするようなこと言ってたし! そういう一生懸命な人を笑うような人間、誰が好きになるか!」

 勢いに任せて飛び出した本音。こんな風に挑発されて本心が剥き出しになるのは何度目のことだろうか。……私は宮侑の手にかかると丸裸にされてしまう。悔しい。いっつもこうだ。
 ようやく待ち望んだ答えを手に入れた宮侑はそれを笑うでもなく、ばかにするでもなく「……なるほどなぁ。なまえちゃんのルーツそこか」と呟いた。

「……は?」
「いやすごいなぁと思うて。10年前のこと抱えてここまで来たんやろ? すごいやん」
「皮肉ってんの?」

 またしても手があがりかけたけれどそれが途中で止まる。宮侑の顔が、真剣だったから。

「ちゃう。ほんまに思っとう。……高校の時も、この前も。俺が悪かった、ほんまごめん」
「……謝らんといて」

 私が恐れていたことだった。
 ずっと抱え続けた部分を、素直にごめんと謝られると私だけが子供みたいで惨めな気分になってしまう。……私が間違っていたような気になってしまう。これからどんな気持ちで宮侑に接すれば良いか分からなくなってしまうのが、怖かった。




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