パンドラの箱

 パパラッチとは、セレブなどをつけまわし、彼らのプライベート写真などを撮影するカメラマン一般をさす俗称である。……え、パパラッチてイタリア語なんや。そんで複数形がパパラッチで単数形やったら――

「ぱ、ぱぱら……つぉ?」
「何言うてんのなまえちゃん」
「なんでもない」
「冷たいなぁ。ここまで一緒に来た仲やのに」
「一緒には来てへん」
「え。一緒に来たんちゃうんか」

 私たちの会話を聞いてまな板に落としていた目線をあげる治くん。その顔に「あ、えと……実はそこでたまたま会うて。ごめんな? 支度中やのに」と眉を下げれば、治くんは「ええよ。“支度中”の時しか来んなて俺が言うてるから」と柔らかく笑う。

「それにしても久しぶりやなぁ。高2で同じクラスやったから……7年ぶりか」
「そうやな。高校時代がもう7年も前やなんて。信じられへんな」
「ほんまに」

 私と治くんは2年生の時同じクラスだった。ちなみに、宮侑とは1年の時に同じクラスだったけれど宮侑はまるで覚えていない様子。「それやと俺だけ仲間外れみたいやんか」とどこかで聞いたセリフを放っている。

「今はブラックジャッカルの密着してるんやったな」
「そやねん」
「大変やな、みょうじさんも」
「まぁでも、楽しいよ」
「そうか。そら良かったわ」

 治くんはこんなにも優しいのに。一体どうして片割れは――「ちょっと。さっきから俺のことスルーするんやめてくれへん? 俺は空気なんか?」こんなにもうるさいんだろう。

「お前そんなんやからみょうじさんから嫌われるんやろ」
「なんで分かったん? 俺なまえちゃんからものごっつ嫌われとんねん」
「そうやろうな」

 納得した顔つきなのは、きっと今のやり取りを見ただけのものじゃない。高校時代から私の宮侑を見る目が違ったことに、きっと治くんは気付いていた。双子の喧嘩が始まった時も、ひっそりと治くんを応援していたことだってきっと気付いている。
 気付いた上で治くんはその核心には触れずにいてくれる。そういう優しい所が宮侑にはまったくもってない。

「てか何でそんなに俺のこと嫌いなん? そろそろ教えて」
「……ハァ」

 ちょっとは自分で考えてみればいい。考えようにも忘れていたら無理な話か。……忘れられていることにも腹が立つ。私は忘れられずにいるというのに。

「ちょっとしたもんしか出せんけど」
「ありがとう、いただきます。……え、うんまぁ!?」
「フッフッ。せやろ〜?」

 治くんが出してくれたおにぎりは満腹感を突き破り、パクパクとその先を促してくる。これはまずい。美味しすぎてまずい。……ダイエットめちゃくちゃ頑張らないと。

「ウチのことも書いてくれてもええんやで?」
「ははっ、そうしたいのは山々やけど。私は“スポーツ”ジャーナリストやから。ごめんなさい」
「そうやったな。プライドの邪魔してすまん」
「ううん、こっちこそ」

 冗談で返すことをしなかった私に「ノリが悪い」と野次るでもなく受け入れてくれる治くん。それはきっと治くんも仕事に対する誇りを理解してくれているから。

「そんな固いこと言わんでええやん」
「…………は?」
「おい、ツム」
「サムの記事くらいさらさら〜と書けばええのに。思ってもないことでも書けるやろ、プロなら」

 気が付いたら手が飛び出していた。
 カン、と試合開始の音が鳴るより先に宮侑の頬からバチン! と破裂音が響き渡る。

「ふざけんな! アンタがバレーに誇りを持ってやっとうみたいに、私かて必死なんや! それを心もこもってへん仕事やみたいに言われんのは我慢出来ひん! 私らジャーナリストに謝れ!」

 続けざまに飛び出した本心。それを勢いよく吐き出した後、涙まで零れ落ちそうになった。それをどうにかきゅっと唇を噛んで堪え、乱雑に千円札をカウンターに置いて店を飛び出す。
 ぼやける視界を頼りに歩く街並みで、向かい風が雫を飛ばす。何度か瞬きをしてようやくクリアになった時、堪らなくなって手を額に当てた。私はプロの選手相手になんてことを……。しかも相手は取材相手。

 オフの選手を付け回して、挙句の果てには暴力行為に及んだなんて。上司に話が行ったら一発アウトだ。
 そんな考えが頭に浮かび、血の気がサーッと引く。だけど心臓の高鳴りと掌の熱だけは引いてはくれない。……どうしても許せなかった。あの言葉だけは。どうしても。




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