泥団子くんとの再会

 スポーツはあまり観ない人生だった。するのも観るのも嫌いじゃないけど、そこまで関りのないものとしての認識。そんな人間でも数年に1度のペースでスポーツに意識を注ぐ時期がある。ワールドカップや世界陸上といったように、大きな試合はテレビを付けた時に流れていればそれとなく見ていたし、その時はそれがオリンピックだっただけの話。

 それがバレーの試合終わりに流れていた選手のインタビューを見た途端、“だけ”では済まされなくなった。

「みなさんの応援あってこそです」

 遠い昔になってしまったけれど、1度たりとも忘れることのなかったゆったりとした声。ハッとして全意識をテレビに向け、そこに映った男の人を捉えた瞬間本気で呼吸の仕方を忘れてしまった。

「泥団子くん……」

 まさか。まさか、こんな再会を果たすことになるとは。慌てて選手の番号を控え検索をかけると“宮侑”という名前をゲットすることが出来た。泥団子くんの名前、“侑くん”というのか。十何年も“泥団子くん”と呼び続けてきたけれど、そんなあだ名よりも何倍も格好良い名前だ。

「侑くん、か」

 ちょっとだけ雰囲気が変わったような気もするけれど、幼心に記憶しているだけの顔だし、侑くんが大人びたのもあるだろう。……どんな形であっても、あの子にこうしてまた会えた。それだけで胸がバクバクと喜びに打ち震え、その指で侑くんの所属チームを調べ本拠地やホームゲームを調べまくり、死に物狂いで争奪戦を乗り越えチケットを手に入れたあの日から数週間。

「ついに……」

 ついに来た。オリンピックを終えてからの期間は数ヶ月程度だけれど、私からしてみたら数十年の時を越え辿りついたエックスデー。オリンピックを終えたばかりのリーグ戦ということもあって、MSBYブラックジャッカルのホームゲームは大盛況をみせている。侑くんの所属チームが居住地の近くにあると知った時、なんだか背中を押されたような気がしてガッツポーズをしたのが懐かしい。
 電車で来れる距離だし、試合の時は足繁く通うことが出来る。……とはいっても、Vリーグの試合は色んな県でやってるみたいだし、全てを追うことはさすがに難しいのだろうけれど。というかまず、バレー自体初観戦だけどきちんと楽しめるだろうか。

「き、緊張してきだした……」

 裏面まで読み込んだチケットをもう1度見つめてみる。日時も場所も全て間違いない。泥団子くんに会いたくてここまで来たけれど、それだけを理由として来た身としてはなんだか場違いのような気もしてなんとなく落ち着かない。……でもチケットも手に入れたし、ここまで来てしまっている。相手はスーパープレーヤーで人気もある選手。どうせ、なんにも起こらない。

「行くか」

 気合とともに踏み入れる体育館。体育館といえば制汗剤や湿布の匂いのイメージだったけど、今日はそれとはちょっと違う――おいしそうな匂いも含まれていて、その匂いの出所を探せば“ポップコーン”や“からあげ”といったラインナップが待ち構えていて思わず釘付けになってしまった。……よくよく考えれば朝から何も口にしてなかった。そのことを鼻腔を通じて脳が思い出し、視線を時計へと動かす。……時間はもう少し余裕がありそうだ。
 瞬時に考えを巡らせ、次に足を売店へと動かす。体育館でご飯を食べるってちょっぴり新鮮だな、何にしようかな――と、“フライドポテト”やら“ビール”やらの文字に食欲が高まっていくけれど、中でも1番食欲を掻き立てたのは“おにぎり”の文字だった。

「うめと焼き明太子を1つずつください」

 300円ですと告げられお金を渡し受け取った袋はじんわりと美味しそうな熱を蓄えている。空いているスペースに腰掛け、ラップをゆっくりと開けばふわっと香る海苔の匂い。思わず目を閉じ鼻から吸い込めば、数日ぶりにたっぷりと空気を肺に取り込むことが出来た。……そうか、私は思っていたよりも緊張していたんだな。おにぎりによって自覚した自分の状態が少しだけおかしくて、ふっと肩の力を抜くことが出来た。そうして小さく「いただきます」と呟いてかぶりついたおにぎりは、たった1口で今まで食べて来たおにぎりの中でぶっちぎりの1位を勝ち取ってみせた。

「おいしい……!」

 冗談ではなく、本気で。本気で一瞬ここに来た理由を忘れてしまった。もう色んなことが吹き飛んで、“美味しい”という感情しか知らないような気分に陥った。漏れ出た声は思っていたよりも大きく、慌てて周囲を見渡せば黒いキャップを被った男の人と一瞬目が合ってしまった。
 見られていたことに恥ずかしさがこみ上げて頭を下げながら視線を逸らせば、相手も同じように浅いお辞儀を返しスッと立ち去ってくれた。ゲラゲラと笑われなかったことに安堵しつつも、今度は気を付けながらかぶりつけば再び湧き上がる感情。それを押し留めるように何度もかぶりつき、2個ともぺろりと平らげた。

 ごちそうさまでしたと呟き、おしぼりで手を拭きながら同封されていたチラシに目を通す。“おにぎり宮”と書かれたチラシに載っている住所はこれまた通える場所にあって、込み上げる嬉しさを見えない所で作ったガッツポーズにこめた。……絶対お店に行こう。出店先のおにぎりでこれだけのクオリティならば、出来立ての場合どれだけ美味しいのだろうか。おにぎり宮に想いを馳せ、丁寧にチラシを折りたたんだ所で時計の針が頃合いを指差す。

 さっきまで全身を覆っていた緊張は高揚に変わり、空腹だったお腹には幸福が詰まっている。泥団子くんと再会するにはうってつけのコンディションだ。

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