シンデレラを見送る

 忘れられへん思い出なんか、俺には1個もない。

 なんとなく、はじめから気付いとった。なまえちゃんは俺のファンていうわけやないってこと。そやけど、メニュー表眺めてわくわくした表情浮かべてんの見てたら、そんなのは関係のないことやった。

 俺の顔見て目ぇ開いて、その後サムの顔見て息を呑んで。忙しないなぁとおかしくもあり、その姿が可愛くもあり。“ファンサ”と呼ぶには度の過ぎた行為をしてるて自覚もあったけど、なまえちゃんの存在が“ファン以上”になる気もしてたからそれでええって思うた。

 サムの店を出て2人並んで歩く途中、なまえちゃんが「やっぱり笑った顔は変わらないね」と懐かしむような言葉を呟いた。そうして続けられた昔話に、一瞬心が冷えるのが分かった。なまえちゃんは俺やなくて、泥団子くんだけを探しとう。きっと、なまえちゃんにとって忘れられん思い出なんやろうな。……そやけど、過去は過去。初恋は実らんてよく言うし、サムがなまえちゃんのこと覚えとうかどうかさえ定かやない。――それやったら。

「あぁ、思い出した! あん時の子か!」
「! うそ、じゃあやっぱり侑くんが?」
「あー、覚えとう。たった1日やったよな」

 嘘を吐くのは簡単や。その思い出が俺にまったく関りのない話なら別やったかもしれんけど。俺はサムの双子で、サムが泥だらけになって帰ってきたことも、次の日からなんべんも公園に行ってたことも知ってる。――俺がこれだけ覚えとうことを、サムが覚えてへんわけないてツッコミは無視した。

「でも。今の俺は“宮選手”でもあるし。良かったらソレを見て」

 偽りの思い出を紡ぎ、それを分かち合うでもなく“今”を見ろと放つ。なんて都合の良い言葉なんやろう。それでも、「おにぎりも奢ってもらったし」と笑うなまえちゃんのことを可愛ええと思ったのも、もっとたくさん見たいと思ってしまったのも。全部、俺の心からの本音。

―泥団子ちゃん、覚えとう?
―は? なに

 なまえちゃんと別れた後、自分と瓜二つのアイコンをタップし先ほど撮ったツーショットを送り付ける。そうすれば既読が付いてから随分と時間を要した後に届く“そらさっき会うたし”というメッセージ。……ちゃう。サムお前、要らん嘘吐くな。

―もっと前に遊んだことあるねんて
―へぇ。そうなんや

 しらを切ろうとするサムに堪らず電話をかければ、電話の向こうには「なんや」と喧嘩した後のような声が待っとった。……こいつ、全部気が付いとうくせに。そない意気地なしな片割れ、持った覚えないぞ。

「お前、覚えとうやろ」
「……覚えとるもなんも――」

 1日たりとも忘れたことなんてない――そんな重苦しい告白、俺にしてどうすんねん。

「俺、サムのフリした」
「……は?」
「遠い昔のことやし、1回だけやったみたいやし。俺、サムが泥だらけになって帰ってきたの覚えてたし」
「お前、」
「サムもなまえちゃんのこと好きか」

 確認せんでも分かること。それをわざわざ口にするのは牽制の意味もあり、サムの気持ちを推し測る為でもある。……そして、怯えとう自分を安心させる為。

「ツムが覚えとうのはそれだけやんか。……俺はなまえが必死な顔して砂を掬いよったのも、それを頬に付けてたのも、同じように泥だらけになった俺を笑う顔も、全部覚えとうわ」

 ガツンと頭を殴られたような衝撃が耳元から届く。……なんやねん、好きな女の子まで似らんでええねん。目頭を押さえながら突っ込んだ言葉に、力が入っていないことは放つ前から分かっていた。この2人の間に、俺が邪魔もんとして入ってることに気が付いたから。……それでも、なまえちゃんの顔を思い浮かべれば踏み止まることが出来へん。

「なまえ、どんな感じやった」
「そらもう大感激やったで。泥団子くんに会えるなんて! って」
「……そうか」
「そうかって……。それでええんか?」
「それでええもなんも。もうそう言うたんやろ」
「言った」
「……そんなら、最後まで続けろや」

 サムの言葉が一瞬呑み込めんくて、返事をすんのに何秒か時間を要した。続けろて、お前もなまえちゃんが好きやないんか。……そんだけ想い続けたんやったら貫けや。

「今さら俺がほんもんの泥団子くんですなんて言うたら、なまえを混乱させてまうし、お前の信頼もなくなるやろ」

 コイツなに言うてんの。お前の思い出を横取りした相手を守ろうとしてんのか? アホなんやないか。

「俺はなまえのこと傷付けたないねん。なまえが大事に抱えとう思い出は綺麗なままにしときたい。……せやからツム。お前、絶対バラすなよ」
「……きしょ」

 同じだけの時間を、同じ環境で過ごしたはずやのに。なんでこんなにも人を想う気持ちに差が出来てしまったんや。俺は相手のことを考えて身を引くなんてこと出来へん。……サムに出来て俺に出来へんことをまざまざと見せつけられた。その想いを“きもい”と罵る資格なんて俺にはないことも分かってた。

 それでも、自分の身勝手さを認めることも出来ずここまで来てしまった。



 俺がなまえちゃんを見つめる度、見つめ返す瞳の中にサムの存在が居ることには気が付いとった。何かをする度、2人で笑い合う度、ここには居らんサムを想っていることも。その存在がなまえちゃんの中で大きくなっていくことも。全部、気付いたうえでもがいて足掻いて。

 そうやって一緒に居る時間は楽しかったけど、苦しくもあった。俺はそれでもええから一緒に居たくて、いつか俺だけを見つめてくれる時が来ることを信じて。そうして一生懸命なまえちゃんを見つめていれば、おのずとなまえちゃんの心に触れる回数も増えて。

 砂浜でなまえちゃんのことを押し倒すような体勢になった時、普段の俺やったら絶対キスしとった。そやけど、なまえちゃんの瞳が逃げるように閉じられるのを見た時、自然と降りとった顔に慌てて急ブレーキをかけた。

 もう無理や。敵わん。
 アイツには“初恋の相手”っちゅう切り札もないのに、こんなにもなまえちゃんの中で存在を大きくしてみせた。対する俺は人の思い出を横取りした上で勝手に苦しくなって惨めに足掻き続けた。……もう、潮時や。



 2人で初めて訪れた公園には悲しいくらいなんの思い出もなくて。砂場の砂を掬ってみても悲しさしか込み上げてこん。……俺かて、なまえちゃんの初恋を傷付けたない。

「最初で最後。今だけでええから……」

 これで最後にするから。……何周も遅れてしもうたけど、俺も人を想う気持ちがようやく持てた。せやから、これがなまえちゃんから貰う最後のご褒美。……ごめんな、なまえちゃん。今までごめん。





「今日はものすっごい楽しかった!」
「私も。侑くんたちの地元にも行けたし、カフェも海も……公園も。行けてよかった」

 俺も。最後になまえちゃんと行ったデートが世界で1番楽しかった。なまえちゃんを好きになれて良かった。人でなしと言われ続けた俺が、人の為に身を引けるやなんて、自分でも信じられんわ。

「なまえちゃんが“今”好きなのは誰?」
「そ、れは……」

 言い詰まった後に出される声は小さくも、しっかりと芯のある強さで「……サムくん、」と放たれた。「ごめん、侑くん。……私、サムくんが好き」そう続く声はハッキリと鼓膜を震わす。

「今まで騙してごめん。けど、なまえちゃんのこと、俺は本気で好きやった。……これだけはどうか信じて下さい」

 これだけのことをしでかしておいて、“信じてくれ”なんて。虫が良過ぎると罵られてもおかしくないはずやのに、「私のこと、好きになってくれてありがとう。たくさん楽しい思い出をありがとう。……本当の気持ちに気付かせてくれてありがとう」そう言って微笑むなまえちゃん。

 俺は、バレー以外は誰にもなんも敵わんのかもしれへん。そやけど、ちょっとだけ、誰かを想う気持ちだけはなまえちゃんのおかげで胸を張れるようになった気がする。

「俺こそ。ありがとう」

 本心を告げればなまえちゃんはゆるりと優しさを纏って笑う。……やっぱり、なまえちゃんの笑った顔は可愛ええ。最後になまえちゃんのことを笑かすことが出来て、ほんまに良かった。

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