シンデレラはやって来る

 忘れられへん思い出がある。

 俺には双子が居って、小さい頃何をするにもソイツとセットやった。別にそれが不満で堪らんとかそういうことはなかったけど、時々1人でふらっとどっかに行きたくなることもあった。
 いうてもまだチビやったし、行けるとこいうても近場の公園とかやけど。行き慣れた公園の遊具を思い浮かべてもイマイチ盛り上がらんなとか思いながら足を向けた公園に、見慣れない姿を見つけた時、俺の好奇心はその子を捉えた。

「なにしとるん」

 その子は砂場に落としてた視線を上げ、ぱちくりと見開いた目で俺を見つめる。女の子が体ごとこちらを向くのに合わせて俺もしゃがみこんでもう1度同じ言葉をぶつければ、「すなばあそび」と見たまんまの答えを寄越された。

「へぇ。おもろい?」
「ぜんぜん」
「せやろな」

 だって顔、まったく笑うてへんし。
 声をかけた手前そのまま別れるわけにもいかんくて、「どっこいせ」とじいちゃんの真似して渋い声を出しながらその子の隣に腰掛ける。スコップもバケツもないし、出来ることとしたら砂を盛ることだけ。せっかくやしと思うて「手つだって」と言えばその子はきょとんとした顔のまま「て、手つだうって?」と首を傾げた。

「そのまんまやろ。手、かして」
「あ、ハイ」

 初対面の子に偉そうに指示出されたいうのに、その子はむっとする様子もなく素直に砂を盛り始めた。一生懸命に両手で砂をかき集める姿にふっとおかしい気持ちが湧くのを感じながら、ひたすらに砂を盛り合わせ出来上がった小さな山。砂場の砂はしっとりと水分を含んでいて、この調子やったらトンネルも出来そうやと思いたち、その子――なまえを向かいに座らせ両方から掘り進めていった。あん時のハラハラした気持ちは、今でも忘れることが出来へん。

「お! できた! トンネルのかんせいや!」
「ほんとだ、こっちからそっちがのぞけるよ」
「おー! なまえが見える。てかなまえ、かおに砂ついとうで」
「わっ、ほんとだ」
「はは、なまえはぶきようさんやなぁ」

 そう言って笑えばなまえも照れ臭そうに笑うから。その笑った顔が、とても可愛らしいと思ったことも。ずっと、忘れられずにいた。

「おれそろそろ帰るけど、なまえは?」
「わたしもそろそろむかえがくるとおもう」
「そっか。なぁ、あしたもココくる?」
「あした……は、」

 楽しかった時間をまた明日も味わいたいと思い尋ねた言葉に対する答えは聞けないまま。結局、泥まみれになって帰った家でオカンから怒られ、ツムにはにやにやと小馬鹿にされ。散々な目に遭うたけど、それでも次の日が楽しみで仕方なかったのにもうそこになまえは居らんくて。毎日のように公園へと駆け出す俺をツムが不思議そうに見てくるのも構わず何ヶ月もそれを続けて、あれは一種の夢のようなものだったのだと――そう自分を納得させて。……それでもいまいち納得出来んくて。

 この時の俺は、“じゃあまたな”という言葉の“また”が何十年も先になるなんて、思いもしなかった。



「おいしい……!」

 見間違えるはずはない。あの笑った顔を。あの存在を。
 ずっと忘れることの出来なかった思い出がまさか今になって甦るとは。しかも俺が作ったおにぎりを美味しそうに頬張って、満足そうに笑っている。思わず見惚れていると、自分の声が大きかったことにハッとしたのか、なまえの顔がきょろきょろと辺りを見渡し始める。そうすれば俺の瞳とバチっと絡み合うのは当然のことで、一瞬なまえの瞳に俺が映るのが分かった。
 もっとその顔を眺めたい気もしたけど、恥ずかしそうに目を逸らされればそれ以上踏み込む勇気も出んくて。俺もパッと頭を下げてその場から立ち去った。……あかん、めっちゃ嬉しい。このにやけた顔、見られんで良かったんは俺の方かもしれん。

 だらける顔を手で抑え、出店に戻りおにぎりをたくさんの人に手渡してゆく。……あかん、なまえもこのおにぎりであんな風に笑ってくれたんやと思うと堪らん嬉しい。……めっちゃ会いたかった。



 なまえとの再会に浮かれまくって“連絡先を訊くどころか、会話もしてない”という事実に気が付いたのはその日の夜になってからだった。「俺はなんてあほなんや……っ」と自宅の台所で項垂れてみても遅くて。どうにかして連絡先を知ろうともがいてもどうしようもなくて。こんなにも切迫した気持ちを抱くくらいなら、あの時ちゃんと声をかけとくべきやったと悔しさを滲ませながら包丁で野菜を刻んだ夜。

「こんにちは」

 その後悔は数日と続くことはなかった。「いらっしゃいませ」と反射的に呟いた言葉の後、入ってきたお客さんの顔を見た瞬間時が止まった気がした。

「なんにしますか」

 そう呟いた声が震えていないだろうかと不安になるのも他所になまえはメニュー表をじっと見つめて「えっと、味噌とごまとうめとすきやきと……」とおにぎりを羅列してゆく。

「ブハッ! 食い過ぎやろ」
「…………ぇ、」

 その瞳が揺らぎ留まった先に居たのは、俺ではなく片割れのツム。そうしてこれでもかというほどに見開かれた瞳を揺らし「あ、侑くん……!?」と声を張った。

「どーも。宮侑です」
「えっ、えっ!? な、なんでここ、」

 なまえはツムのファンなんやなと反応を見ていれば分かる。それがちょっとだけおもろない。ツムとなまえの間で交わされる言葉に割って入るように言葉を差し込めば、ようやくなまえの瞳が俺を捕える。

「あら。俺ら双子やねんけど。知らんかった?」
「ふ、双子!? 侑くんが双子!?」
「ははーん。さてはニワカさんやな」

 今度は少し心が弾む。ツムのファンやいうてもそこまでのもんやないんやと分かって思わずにやける口角。……やばい、俺めっちゃ小さい男や。

「ウチのことは試合で知ってくれはったんですか?」
「えあハイ。この前初めて試合に行った時に」
「そうですか。ありがとうございます」
「でも、出店には居らっしゃられなかったような……」

 やっぱり。あん時あそこに居ったんはなまえやったんや。そやけどなまえは俺と1回会うたことに気付いてへんみたい。……今度は少し萎む心。

「今日はわざわざ足運んで貰うてすみません」
「い、いえ! とっても美味しかったので、今日は出来たてをいただきに来ました」

 あぁ、あかん。なまえの一言で簡単に心が揺らぐ。人から“うまい”と言われるのが幸せでこの仕事始めたけど、人生で1、2を争うくらい嬉しい。

「もうちょっと待っとって下さい。すぐ作ります」
「は、はい!」

 なまえの笑った顔、やっぱ可愛ええわ。



 おにぎりを平らげ、お茶を啜るなまえがふいに自分の頬を引っ張る。その様子を不思議に思ったツムが「なにしてんのなまえちゃん」と声をかければ「痛いなぁと思って」とへらりと笑う。夢かどうか確かめる為にほんまに頬抓る人居んねやな――とおかしく思っているとなまえの口から信じがたい単語が漏れ出た。

「本当に泥団子くんなのかな」

 泥団子。ただの単語でしかないそれが、他でもないなまえから出てきたことで心臓が早鐘を打ち出す。……なまえがあそこに居たのも、侑を見つけて嬉しそうにしとったのも……もしかして……。

「……あの、侑くん」
「なに?」
「訊きたいことがあって」

 意を決した顔つきでツムを見つめるなまえを見て、思わず「ツム。そろそろ夕方のピーク来る」と話を遮ってしまった。あかん、ちょっと状況を整理したい。……それは“逃げ”と取られても仕方のない言葉。踏み込めない自分を守る選択をしたせいで、そこからたくさん遠回りをするはめになるやなんて、思いもせんかった。






「でも私は……そんなサムくんが好き。……大好きっ」

 そやけど。俺が踏み込めんかった分、なまえはこうして俺の元へと駆け寄って来てくれた。過去の思い出を大事にし過ぎたあまりに、たくさんなまえを傷付けた。そんな俺をなまえはしっかり怒ってくれたし、それでも好きやと受け入れてくれた。
 この縁はなまえが手繰り寄せてくれた、大事な大事な縁や。もう絶対、二度と手放さへん。

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