02

 気怠い体を引き摺り訪れた料亭。火影の血縁者と大名の血縁者の縁談の場とだけあって、庭付きの料亭には厳かな雰囲気が漂っている。本来ならば立派な建物に感嘆の意を表するところだが、今の自分にはそんな気持ちが起こる気配もない。何せこちとらほぼ徹夜明けだ。
 久々身に纏った袴が何度も足をからめ取るような気がしたが、今更足を止める訳にもいかない。強引であったとはいえ、最終的な決断をしたのはこのワシなのだから。さっさと終わらせ執務に戻ればいいのだ。

「覚悟は良いかの? いま1度深呼吸しておくがよいぞ」
「溜息なら何度も吐いたが、深呼吸は1度もしておらん」
「ハハハ! では行くか」
「……ハァ」



「みょうじ殿。ご足労かけたの」
「いえいえ! こちらこそ此度の話、なんとお礼を申せばいいやら……」

 通された座敷に居たのは恰幅の良い老年の域に差し掛かりかけた男と、ハリのある艶やかな肌を彩った女。彼の者がワシの縁談相手だろう。
 忍の世界では24、5の女は子を成している者も多い。そこをとやかく言うつもりもないが、歳だけ聞いた時は“何か事情があるのでは?”と少しばかり邪心を抱いた。しかし、目の前に座るなまえは目鼻立ちもしっかりしており、体も健康そうだ。
 では余計にどうして――ほんの少し湧いた好奇心を兄者が目敏く見つけ出し、「立ち話も何だ。座ろうぞ」と場を仕切る。こういう時だけはテキパキとしてみせるのが兄者という男だ。
 無意識に出そうになった溜息を噛み殺し、当たり前のように上座へと腰掛けた。これは縁談であるが、話の成り行きによっては商談にもなり得る。先手を切っていて損はない。相手の反応次第では人となりも測れるやもしれぬ。

「私達も座ろう、なまえ」
「はい」
「ここの料理は美味いと有名での。楽しみだ! アハハ!」

 ところがどうだ。誰も上座、下座など気にしていない様子で兄者においては呑気に料理の話などしている。……仮にも一国の大名であるはずだが、大丈夫なのか? そんな心配を他所に運ばれてきだした料理に目を輝かせる3人。

「…………ふぅ」

 バレないようにそっと目頭を押さえ、幸先の悪さを嘆いた。






「ここは茶菓子までも美味いの」
「えぇ、全く。自国に持ち帰りたいほどです」
「おぉ! それは良い考えぞ」

 政治らしい話など一切出ず、趣味の話やら子供の話やらばかり交わされた席。みょうじ達の狙う物を見定め続けたが、どうにも意図が掴めない。もしや本当に純粋な縁談を持ち掛けただけなのか?

「みょうじ殿」
「何でしょう、扉間様」
「どうしてこのタイミングで縁談を持ち掛けられたのだ?」
「それは……」

 聞いた方が早いと判断し、切り出した質問。穏やかな顔つきだった大名の顔に真剣さが灯る。ようやく政治的な話に持ち込めると意識を向けた瞬間、兄者が口を開いた。

「オレがミトと旅行に行った先がみょうじ殿の国でな」
「……この前のか」
「そうそう。オレが“休みが欲しい!”と駄々を捏ねた時の…………うん。それで、その時に知り合っての」

 旅先でさぞかし楽しい思いをしたのだろう。綻ぶ兄者を視線で窘めれば、当時のワシの憤怒まで思い出したのか、引き攣った顔になりながら話しを元に戻す。

「みょうじ殿の国は空気も料理も美味。加えて温泉も良質な湯で心から安らぐことが出来た」
「忙殺されていたワシという犠牲の上で――な」
「そ、それでだ! この際同盟を結び、木の葉との繋がりを強固なものに出来たら――と思い至ったのだ。聞けばなまえは独り身だというし。こちらにも独り身の男が居るしの!」

 ではこの話はこちらから持ち掛けたということか? 溜息を吐いて目頭を押さえ天を仰ぎたくなる。それでは金銭的な契約を交わそうという目論見は立ち消えるではないか。
 兄者は一体どこまで甘いのだ。そしてその甘さにワシまで巻き込まれているということ。……してやられた。

 一瞬の静寂が訪れ、皆の視線がこの話の主役であるなまえに向く。3人の視線を一手に引き受けるなまえ自身は気付いていないのか、呑気に茶菓子を頬張り「美味しい!」と頬に手を当てる緊張感のなさ。波に乗れぬ様子を見て、どうしてなまえが独り身なのか少しだけ分かった気がする。

「なまえの陽気さは見ていると癒されるの」
「ふふっ。柱間様ももう1つお召しになって下さい」
「うん。やはり美味ぞ」

 どうしてワシはここに居るのか――その意義すら危うくなっている所で「申し訳ありません……」と申し訳無さそうに父親から声をかけられ、思わず「全くだ」と言いかけた。

「なまえは見ての通りぼんやりとした性格でして……。この歳で嫁ぐ時期も逃してしまい、どうしたものかと嘆いておりました」
「父上。結婚はしたい相手とするものでございましょう?」
「そうだが……。なまえ、お前は自分の立場というものを分かっていない」
「私は父上の娘でしょう? 故に国の民を想い過ごしておりますよ」
「想うことも立派だが、それだけではだめなのだ」
「?」
「?」
「……ハァ」

 我慢しきれず出た溜息。ワシはなまえと同じように顔をきょとんとさせた兄者に。父親はまるで何も分かっていない娘に。重なった溜息に互いの顔を見合わせる4人。
 父親はこの縁談で自国が得られるものをきちんと理解している。だというのにこちらの火影はまるで理解していない。……この話において嘆かわしいのはこちらの方だ。何せ兄者は火影なのだから。

「なまえはどうしてこうもぼんやりとしてしまったのか……」
「全くだ」

 ワシの同意は誰を思ってのことなのか、父親はきちんと察したらしい。互いに顔を見合わせ、そっと溜息を吐き合う。
 似た境遇を抱えた者同士、妙な投合をしてしまった。いわずとも察せる。これは気苦労というものだ。


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