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気付かれぬように溜息を吐くのは一体何度目のことか。先の一件を受け、縁談を受けると答えてから数日。相対するのは後々の調べで分かったなまえを攫った依頼主の娘。その隣で下卑た笑みを浮かべている張本人は、その裏で行った汚い行為を見抜かれていないとでも思っているのか、これみよがしに媚へつらってくる。
「貴重なご縁をいただきましたこと、大変嬉しく思っております」
「頭をお上げくだされ。こちらとしても良い機会です」
隣に座る兄者も、全てを分かった上で仰々しい態度で言葉を返してみせる。誰にでも砕けた態度で応じる兄者が、ここまで固い対応なのは近しい者からしてみれば拒絶と取れるが、目の前の馬鹿はそれに気付かずアホ面を晒している。
「色々な縁と触れ合いたいと思ってはいたが、みょうじ家との縁談を受けた後しばらく多忙でな。それを変に勘違いした輩がみょうじ家の娘に嫌がらせを行ったということを耳にして、事を急いだのだ」
「そ、そのような事情がおありで……扉間様も大変な目に遭われましたな。……し、しかし、そのおかげで我が娘と出会うことが出来たとでもいいましょうか……」
「他人の恐怖のおかげで成り立った縁ということか」
「そ、そのような……」
言い返そうとしてきた愚か者を目で殺そうとすれば、兄者からの制止が入る。が、「やめろ扉間。このお方たちには関係のないことだ」と言う兄者の顔も穏やかではない。ワシらから漂う空気が、この場を凍りつかせてゆく。
繰り広げられる茶番に溜息を吐きたくなるが、木の葉は全てを分かっていると知らせる為にも必要な縁談である。
「ほ、ほれ。扉間様にお酌を」
「は、はい」
―本日は私が1人でご案内いたします
ワシの隣で嬉々とした表情を浮かべ意気込んでいたなまえが蘇り、身を摺り寄せてきた娘に「近寄るな」と手で制してしまった。あの笑顔はここにしかないもの。それを他人に侵されたくはない。
「……親しくない者に近寄られるのは性分に合わん」
「出過ぎた真似を致しました……!」
隠すことが出来なくなりだした機嫌に、相手方が慌てふためくのが分かる。出過ぎた真似? そんなもの、貴様らはとっくにしでかしているではないか。本来ならば今すぐこの場でその身を刻んでやりたいとすら思っているのだ。
それを抑え意味のない縁談に応じているのは全て、なまえの為である。貴様らの命が今日まで永らえているのはなまえのおかげだと打ち明けてしまうか?
「……ふっ」
ワシはなまえのことばかり考えているな。この場に居ないなまえをふとした拍子に想っている事実に、思わず力が緩む。
なまえの国を守りたい。あそこは良い国だ。しかし、何の見返りも求めず守るというのは己の理念に合わぬと思ってきた。なまえとの縁談も、なかったことにしてしまいたいとすら思うこともあった。
力を渡す代わりに金銭を――。安心を渡す代わりに金銭を――。
等価交換を是としているが、何も金銭だけが等しいものとは限らない。むくむくと己の中に芽吹いていた感情は、既になまえと等しい所まで育っている。そうでなければこんな馬鹿げた席を設けてすらいないのだから。
「柱間様――」
「何と……! 扉間、ちょっと」
「ん?」
部下から耳打ちされた兄者がすぐさまワシを呼びつけ、他聞をはばかるように耳元で手短に言葉を告げる。
「何!?」
取り入れた情報に思わず目の前に居る親子を睨みつけたが、こやつらは何も知らないようだ。……ということは今回の失踪は企てられたものではなさそうだ。何しろ“頭を冷やして参ります”などという書置きがされていたのだ。その点は胸を撫でおろすことが出来る――が。
「ワシはこれで失礼する」
「扉間様!?」
「こんな所に居る時間が惜しい」
「な……」
退席しようとするワシを「お待ちくだされ」と必死な声が縋ってくる。それすら煩わしい。なまえが居なくなったと聞いて駆けつけずにおれるはずがないのだ。ワシには一刻も早く向かわねばならん場所がある。
「何か失礼がありましたでしょうか……」
「失礼も出過ぎた真似も。貴様らは取り返しのつかんことをとっくにしているではないか」
「なっ……」
「今後はみょうじ家に何かしでかそうなどと思わぬことだな。なまえはワシの妻となる女子だ。その者の郷を侵そうとするのならば木の葉が――ワシが貴様らの国を滅ぼしてやる」
押し殺していた殺気を全開にして眼光鋭く射すくめれば、間抜けどもはようやく自分たちが蛇に睨まれたカエルであることを悟ったらしい。
「井の中の蛙が」
「よう言うたぞ! 扉間よ!」
それでこそオレの弟! と大声を張り上げガハハ! と笑う兄者の声を背に受けながら飛雷神の術を発動させ、その身をなまえのもとへと飛ばす。こんなにもマーキングしておいて良かったと思うことになるとは。
溜息を1つ吐いてみせたが、そこに甘さが含まれていることには見て見ぬ振りを貫くことにしよう。*
「扉間様……」
「マーキングを施された身であることを忘れておったか」
「いえ。覚えていたからこそです」
「……どういう意味だ」
なまえの背中に飛び、そのまま腕の中へとなまえを誘う。なまえの髪は結われておらず、なまえを抱き締めるワシの指に絡みついてくる。留める役割を果たすはずのかんざしはなまえの両手に包み込まれ、その持ち方1つでどれだけ大事にされているかは判然だ。
「此度の賭けは私の勝ちということで良いでしょうか」
「賭け?」
「扉間様が私の為に縁談に応じられたということは伺っております。しかし、私はどうしても嫌でした」
「……そうか」
声の震えを気取り、抱き締める腕に思わず力が籠る。なまえのこのようなか弱い声はワシに応える。……なまえが悲しむことも分かっていた上でのことなので、余計に。
「もしかしたら縁談の相手が扉間様にとって好い相手かもしれぬと思ったら……悲しくて、寂しくて。今すぐ扉間様のもとに駆け寄り縁談を妨害したくなくもなりました」
ぽつりぽつりと告げるなまえの健気さが堪らなくて、愛おしさが募ってゆく。なまえはワシのもとに駆け付けたくてもそれが叶わぬと嘆くのならば。
「なまえよ、ワシと夫婦にならぬか」
ワシがなまえの手の届く場所に居れば良いだけの話。互いの愛情が等しければ、これは正当な契約と成り得る。
「やはり、私の勝ちですね」
「……そうとも限らん」
なまえの望みを叶える代わりに、ワシはなまえを手に入れられる。ワシにも博才があることを忘れるでないぞ、なまえよ。