願いごとひとつ
叶わぬ夜に

 第四次世界大戦から6年。世界は平和を取り戻したといっていい。どこか不穏な空気が漂っていた世界は今や、穏やかな時が流れる時代へと変わっている。

 平和とは、自分の居場所があって初めていえるもの。それがある人々は今の安定した世の中を望むのだろう。
 私は、どこにも居場所がない。生まれ持った血のせいで忌み嫌われ、どこに行っても受け入れてもらえずに放浪し続けた。母は私を産んですぐになくなったと聞いているし、この血を受け入れ守り続けてくれた父親もずいぶん昔に死んだ。

 私に残ったのは忌まわしいこの血のみ。使い方を教えてくれる唯一の存在は顔も知らない母親のみ。その存在もなく生きていくにはこの血は手に余った。……こんな血、なくなってしまえばいいのに。

「……うっ」

 体がふらつき頭から倒れこむ。それでも意識が飛ばなかったのは、この砂のせいだ。柔らかい砂が私を包み込むように受け入れる。
 もう何日も食べ物を口にしていない。こんな生活、終わらせたい。そう思っているのに、本能がそうさせるのか、極限状態に陥る度に手のひらから水を生み出してはそれを口に含んだ。死にたいと願うくせに、結局は命を守る選択をする自分が皮肉たらしい。惨めで情けなくて、泣きたくなる。とはいえ、涙すら勿体ないと思うのか、体が涙腺を潤ませることはない。

「おい、大丈夫か!?」
「うっ、」
「おい! しっかりしろ!」

 砂を蹴る音が段々近付いて来る。今まで“大丈夫か”なんて言葉、誰も言ってくれなかった。誰かが私を心配してくれている、それでもう良いんじゃないかとふと思う。このまま生き続けたってなにも良いことなんてない。大戦が終わった所で、この血と離れることなんて出来ないし居場所もない。誰からも受け入れてもらえない人生で、初めて父親以外からこんな温かい声をかけてもらえたんだ。それだけでもう、じゅうぶんなんじゃないか。

「こ、ろし、て……く、ださい……」
「ハァ? 何言ってんだよ」
「もう……生きてたって……何の意味も、な、い」
「おいおい。自殺希望者かよ。……何にしてもここは砂隠れの領地だ。野垂れ死ぬのはだけは勘弁じゃん」

 遠くなっていく景色に見えた顔は隈取されていて、少し怖かった。けれどその顔が少し焦っているように見えたのは気のせいだろうか。それから先の景色は何も見えなかったけれど、何かに入れられ閉じ込められたのだけは分かった。こういう感覚に陥った後、連れていかれる場所は想像つく。……私はまた牢屋に閉じ込められるのだろうか。あの暗くて寒い場所に。それならいっそ、ここで死んでしまいたかった。



「起きたか」
「……」
「そんな警戒しなくていいじゃん。ホラ」
「……要りません」
「要りませんって。……お前その様子だと何にも食ってないじゃん? 食わねぇと死ぬぞ」
「良いんです」

 隈取の男は乾パンを差し出したまま不思議そうな顔をしている。先程のやり取りを思い出したのか、「何でそんな死にたがる」と眉根を寄せて問うて来た。「戦争はもう終わったろ」と続けたのはおそらくワザとだ。

「話したくありません」
「……色々、経験したんだな」

 挑発に乗らなかった私に溜息混じりで視線を緩ませ、乾パンを私の傍に置く男。どうやら彼はただ者ではないらしい。そんなことは砂漠の夜を1人で歩いていた時点で察していたけれど、私の返答や這わす視線から事情を気取ってみせたことでその思いを確信へと変えた。
 だからこそ、なぜ浮浪者にここまで手厚くするのか不思議でならない。1度は閉じ込めたのに、再び目を覚ませば、焚火の傍で暖を取らせてくれていて。男の意図が汲めず、心の中に動揺が生まれるのが分かる。
 体を起こすと同時に何かが体を滑り落ちていく感覚がして、目線で追えばそれは男が纏っていた羽織だった。こんな風に厚意を与えられる行為が久しぶり過ぎて、動揺と同時に心を揺さぶられた。

「こんな血……要らない……」
「血?」

 遠い記憶が蘇る。病に伏せた父に働けと迫った人の顔、父を守りたいと願った思い、自分を中心にして広がる血の海。自分がやったのか、どうやってやったのか、それすらも分からない。ただ、周囲でうめき声をあげる人たちに怖くなって。必死の思いで父親を担いで逃げたってどうしようもなくて。医者に診せることも叶わないまま、あぜ道で父親を看取り、己の無力さを嘆き彷徨い続け。
 稼ぐ力もなく盗みを働いては蹴り殴りを繰り返され、本能に身を任せ我を失えば見知らぬうちに人を傷付けていた。……全部、この血が悪い。この血のせいで父を失った。居場所を失った。ぬくもりを失った。もう、冷たいだけの人生は嫌だ。

「!? お前それ……」
「血継限界って言うんですよね……こういうの」
「氷遁使いか」
「そんな風にこの力を使いこなせたらどんなに良かったか」
「は? お前……っ」
「……っ! 死なせて!」

 手から出した氷を左手首にかざし、引き裂くよりも前に体の自由を奪われた。どうやらこの人形を手引きしているのは目の前の男らしい。隈取をしているのに表情をコロコロと変えてみせる。さっきまで困っていたのに、今は怒りをかたどっている。どうして私1人の生き死ににこんなにも干渉してくるんだろう。忍なら誰かの死なんて見慣れているハズなのに。

「言ったじゃん。ここは砂隠れの領地だ。勝手に死ぬのは許さねぇ」
「……じゃあ、遠くに行きます。だから離して」
「血継限界を持ってるヤツがどんな扱いを受けて来たのか、何となくだけど想像がつく。……けど、そんな風に泣いてるヤツを“はいそうですか”って見過ごすワケにはいかねぇじゃん」
「……っ、」

 泣いていると指摘されて初めて自分の頬に涙が零れていることに気が付く。体から湧き起こる冷気で気が付けなかった。まだ涙に割く水分があったというのか。己の体を嘲笑ってやりたいのに、溢れ続ける涙だけでは止まず、嗚咽まで零れてきだしたせいで笑い声をあげることが出来ない。

「乾パン、食うか」
「……あり、がと、う……ご、ざいます……」
「ん。水もあるから」
「……うっ、は、いっ」

 氷が消えたことを確認し、人形から解放してくれた男が置いてあった乾パンを手のひらに乗せてくれた。ゆっくりと口に運んだハズなのに、水分を一気に奪われ思わずむせてしまう。「んな慌てなくてもたくさんあんじゃん」と笑いながら水を手渡してくれる男に「ありがとうございます」と何度もお礼を告げれば、その度に「ん」と優しく受け入れ続けてくれた。

 数日ぶりの食を終えた後、「名前は?」と尋ねられ「みょうじなまえ」と名乗ると「オレは砂隠れの里のカンクロウ。よろしく」と微笑みながら頭を撫でられた。カンクロウさんは頭に手を乗せたまま、「今までよく頑張ったじゃん」と私を褒めた。

「……〜っ、」
「泣くの今まで溜めてたな?」
「こんな風に言って貰えるの、久しぶりで……」
「そっか……。里まであとちょいあるし、もう少し寝てから行くじゃん」

 カンクロウさんにあやされ焚火の隣で体を横たえたけれど、長年の習慣で深い眠りにつくことは出来なくて。身を縮こませ羽織を握る私に、カンクロウさんは何も言葉をかけることはしなかった。
 でも不思議と嫌な気分にはならなくて。昔、焚火の近くでお父さんに見守られながら暖を取っていた日々が頭に浮かんできた。カンクロウさんの傍は、お父さんが近くに居るような気がして心地が良かった。
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