刹那も必要のないこと

 数回目の選択授業。大分出来上ってきた紙の中の嵐山くんは、結構自信作。僅かに上がった口角とか、嵐山くんっぽい。

 思わず紙を眺めて上がってしまった口角を、慌てて正すも嵐山くんはそれを見逃さなかった。「もう出来たのか?」と覗き込まれ、その距離の近さにぐっと息が詰まるのが分かった。

 慌てて胸元に隠そうとするよりも前に「みょうじさんは絵心があるんだな!」と感心する声が嵐山くんから発せられる。1度は描くことを放棄しようとすらしたのに。それでも、こうして描いた絵を本人から嬉しそうに褒められると、ちょっとだけ恥ずかしくて嬉しい。嵐山くんは凄いなぁ。自分の気持ちを真っ直ぐに伝えることが出来て。

「……そんなことない」
「俺からしてみれば充分誇って良いレベルだと思うぞ」

 私なんて嬉しいって気持ちを出すことも出来ないのに。そう沈みかけた気持ちは、嵐山くんが差し出したスケッチブックによって止められた。

「……えっ、それ誰!?」
「誰って。決まっているじゃないか」
「私ってこと!?」
「……そのつもりなんだが。……やはり、俺は絵心がないらしい」

 困ったように頬を掻く嵐山くんに、申し訳ないけど言い過ぎたという気持ちは浮かばない。だって、あまりにも……その……なんていうか……。下手が過ぎる。

「そ、うん……えっと、」

 いくら苦手な相手と言えど、故意に傷付けることもしたくない。でも、今何か口を開けばおのずと嵐山くんを傷付ける言葉しか出てこない気がする。もごもごと口籠る私を見て、嵐山くんの顔が更に落ち込むから、なんだか私がいけないことをしているみたいだ。

「すまない、みょうじさん。人を描くからにはどうにか見れるレベルにはしたいんだ」

 あぁ、嵐山くんならそう思うんだろうね。私は別にそれでも良いんだけど。どこまでも真面目な嵐山くんがそこには居るんだね。

「そこでお願いなんだが」
「お願い?」

 普段は人のお願いを聞き入れる側のお願い。それは時として絶大な効力を発揮するのだ。

「もし良ければ放課後に時間をくれないか。もちろん、バイトがない時でかまなわい」
「え?」
「俺のワガママで申し訳ないんだが、このままだと俺は美術の点数が貰えないだろう」
「うっ、」
「だから、付き合ってくれないだろうか」

 頭を下げられ、どうしたものかと困っている私を、嵐山くんの隣に座っている迅くんが振り返って笑う。……面白がってるって分かっていても、それを払いのけることなんて出来るハズもなく。

「わ、分かった……」
「本当か!? ありがとう、みょうじさん!」

 ばっと顔を上げた嵐山くんの顔は、迅くんとはまた違った満開の笑みを携えて私を見つめてくる。その笑顔を数秒も見つめることは出来ず、慌てて視線を逸らす。あの日、知る訳ないと跳ねのけた感情が、私の中に微かだけど確かに芽生えるのを感じながら。




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