幸せを編み込む

 警察官の外出は簡単に出来るものではない。前に大地さんから、「仕事終わりでもなんでも、どこに行くのかの報告は必要なんだ」と教えてもらったことがある。
 大地さんに出会うまで警察官のしきたりなんて全く知らなかったし、「じゃあジムに来てたのも? 全部報告してたんだ?」と驚くと「あぁ。“お前ジムに女でも居るのか?”ってからかわれた時は肝が冷えた」と笑われた。

 今も定期的にジムには行っているけれど、仕事が忙しくなってきたこともあって、その回数は減ってしまっている。……昔ジムに“来れない”という言い方をしたことに罪悪感を抱いたこともあったっけ。なんて、昔を思い出しては笑みが零れる。

 例えジムデートの回数が減ったとしても、デートの回数は確実に増えている。それに、大地さんが家に泊まってくれたことだって数回ある。お泊り1回につき私は、1年間分の幸せを貰った気分になれる――なんてことをベッドで一緒に寝転がって言えば「言い過ぎ」と苦笑されたのだけど。

 だけど、本当なんだよ。大地さん。

 暖房のタイマーが作動するよりも先に目覚め、ゆっくりと開いた視界には暗闇が広がっている。時間の確認をするより先に、部屋の冷気に身を縮めるとお腹に回された腕がぎゅっと私を引き寄せた。その腕の中でくるりと1回転し、少し上に位置する顔をじっと眺める。

 大地さんって本当に寝相いいなぁ。向かい合って寝たはずなのに、私はいつだって違う方向を向いてしまう。だけど大地さんはこうやって私のことを抱き締めて離さない。すー、と静かな寝息に耳を澄ませ、胸に顔を摺り寄せる。……大地さんの腕の中はぬくぬくしてて心地良い。
 私以外の呼吸で揺れる毛布に寝かしつけられているような気分になって、また眠気が顔を覗かせる。早めに起きて朝ご飯の準備したかったけど……。あとちょっとだけ、この幸せを味わってもワガママだとは言われないだろう。



「ん、」
「あ、おはよう」
「あれ……え」
「どした?」

 再び目を開いた時、そこに大地さんの姿はなく。首を振って姿を探しているとキッチンにその姿はあった。さっきまで暗かった部屋には開いたカーテンから朝日が差し込んでいる。今何時? と確認したスマホには“7:42”という表示。
 日曜日のこの時間に目覚めるのは、私にとって早起きといえる。だけど今日は大地さんが泊まりに来ている日。たっぷり過ごせるこの土日において、大地さんより後に起きたというのは立派な寝坊だ。何が“朝ご飯を作りたい”だ。

「うわ、ごめん」
「俺こそ、起こしちまって悪い」

 冷蔵庫の材料を勝手に使ったと詫びる大地さんに「いやこっちこそ」と手を振る。休みの日くらい私がもてなしたいのに。
 トーストに目玉焼きを乗せる彼から「コーヒーのドリップあとちょっとで終わるから」とはにかまれ、「ありがとう」とお礼を言うと満足そうな表情を浮かべられた。

「顔、洗っといで」
「うん。至れり尽くせりで申し訳ない」
「なんのなんの。俺は昨日の夜もてなして貰いましたし?」
「なっ、」
「はは、悪い悪い」

 やり込められるような形で向かった洗面台。凍てつくような温度の水は、手に当てただけで目が冴える。早く暖房の効いた部屋に戻りたくてテキパキと朝のルーティーンをこなし、いそいそと戻った先では先ほどの料理たちがテーブルに並べられていた。湯気立つコーヒーの香りを吸い込み、はぁっと息を吐く。そんな私に笑いながら手を合わせる大地さんに倣って「いただきます」と声を合わす。

 大地さんの口は鯨みたいだとご飯を食べる度に思う。白米を食べる時も美味しそうに食べるけど、食パンも同じくらい美味しそうに食べるんだもんな。……ちなみに、ラーメンもそう。大地さんと一緒に何かを食べる時はつられて私も食べちゃうから、ジム通いはやめられそうもない。

「大地さんのこと、自炊出来なさそうって思ってたなぁ」
「当たってるべ? 俺、なまえさんみたいな手料理は振舞えないしな」
「でもキッチンに立ってる姿、思ったより似合ってるんだよ。知ってた?」
「失礼な。俺だってキッチンくらい立ちます」
「あっ! 私のウィンナー」

 フォークで攫われていったウィンナーを悲しい声色で呼べば、「焼いたのは俺ですぅ」と口をすぼませる大地さんがそれを口に運んでくれた。

「ん、美味しい!」
「だべ?」
「お見逸れいたしました」

 ふふふ、と笑い合う最中も気になるニュースが流れていたら瞬時に意識を向けてみせる大地さんは、仕事も私のこともちゃんと両立してるんだなって思う。大地さんからしてみたらすごく大変な毎日だろうけど、“それが俺の幸せ”と言われてからは“それが私の幸せ”になった。
 仕事も一生懸命取り組む大地さんは尊敬するし、格好良いって何度も何度も思っては惚れ直す。だからこれからも、ずっとずっと大地さんの隣に居たい。

「お昼どうする?」
「んー、散歩とか?」
「散歩?」

 どこかに出かけるつもりでいたのか、散歩と言った時に大地さんの目が僅かに見開かれた。どこかに出かけるのもいいけど、たまにはふらふらと歩くこともしてみたくなった。

「大地さんとゆっくりした時間を過ごすのもいいかなって」
「なまえさんって時々おばあちゃんみたいなこと言うよな」
「あー。女性にそんなこと言うの失礼ですよ」
「あっ、」

 あっ、と漏れ出た口に攫っていたプチトマトを放り込む。そうすれば「酸っぱ!」と目と口をすぼませる大地さん。その顔がおかしくて「大地さんおじいちゃんみたい」と笑えば、ムッとした顔つきで睨まれた。



「前も思ったけどソレ、凄いよなぁ」
「えっそう?」
「後ろで三つ編み? どういう手の動きしてんだ?」

 外出の準備をしている最中、髪の毛を後ろで編み込んでいるとぬっと鏡越しに大地さんが現れる。鏡に映る大地さんの目は私の髪の毛に注がれていて、ちょっとだけ恥ずかしい。指で髪の毛を摘まんで交差して――を繰り返していけばいいだけなんだけどな。

「前、ハンカチも一緒に編んでたことあったよな」
「ハンカチ……あぁ、ふふっ。スカーフね」
「うわ、今バカにしたべや」

 バカにしたわけではないけれど、当たらずとも遠からずなので含み笑いに留める。その反応に大地さんはちょっとだけムスっとした表情を続けるも、髪の毛に意識が引っ張られるのか、「ほえぇ〜」と間抜けな声をあげ再び編み込みに集中しだす。

「……やってみる?」
「え、いいの?」
「うん。よろしくお願いします」

 手をパっと離して場所を明け渡すと「お邪魔します」と言いながら髪の毛に触れてくる大地さん。この手にどれだけ触れられても嫌な気持ちにはならないんだよなぁ、と大地さんの手のぬくもりに目を閉じていられたのはほんの数秒だけ。

「ん? こっから……ん?」
「ぶはっ! 大地さんすごいしかめっ面!」
「やっぱ難しいな……」

 訝しむ声に目を開けば、鏡に映った大地さんの顔は目が細められていて、まるで老眼のおじいちゃんみたいだ。「大地さん、今すっごいおじいちゃんみたい」と素直に告げると「なまえさんもおばあちゃんみたいな時あるし、お似合いだべ」と何故かドヤ顔で返された。

 鏡で数秒睨めっこして、どちらからともなく吹きだして。「もう1回やらせて」と言う大地さんを応援しながら再び目を閉じる。口から零れる声は決して穏やかではないけれど、そっと撫でるように触れる手が、幸せも一緒に編み込んでくれている気がするから。

「ずっと一緒にいようね」
「……あぁ」

 ねぇ、大地さん。お互い白髪だらけ皺だらけになっても、こうして私と一緒に過ごして下さいね。

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