HAPPY
in the
BASKET

 つい、で買ってしまったプロテイン。店先に置いてあったら必ず手に取る商品になるだなんて、あの日の私には想像もつかなかったことだろう。

「なまえ今日もジム?」
「うん! 大地さん、今日は来れるかもって」
「そっか。会えるといいね」

 大地さんの職業は警察官。その職業のおかげで色々とあったけれど、今は恋人関係を築くことが出来ている。とはいえ、警察の仕事は激務に次ぐ激務。デートの約束をしてもダメになることなんてザラ。大地さんはその度に申し訳なさそうな声で謝ってくる。いくら「気にしないで下さい」と言っても彼の声色は暗い。
 私は、大地さんと付き合うと決めた日から覚悟はしているし、警察官であることも含めて好きだから。会えなくても我慢できる。……けど、会えなくても良いのか? と訊かれるとやっぱり会いたい。

 お互いの気持ちを擦り合わせ、辿り着いた先が“ジムデート”だ。これなら仕事終わりに会えるし、大地さんの体づくりの邪魔もしない。そう閃き提案すると「なまえさんが良いのなら」と大地さんも納得してくれた。

 そこから仕事終わりはジムに行くのが習慣化されている。もちろんジムデートといっても、大地さんの仕事の都合が合えば、の話で。大地さんが「なまえさんが良いのなら」という渋々な了承だったのは、結局会えない時は会えないからだ。……私は、それでも良い。大地さんとちょっとでも会える日があるのなら、それが特別な日になるんだし。それに、ジムに通いだしたおかげでほんのちょっとだけ体も絞れた気がする。……いつ見られても良いように、っていう気持ちは内緒。



「なまえさん!」
「大地さん! お疲れ様です!」
「良かった。まだ居た」
「ふふ。私、結構遅くまで頑張ってるんですよ」
「ランニングマシーンもだいぶ使いこなせてますね」
「結構走り込めるようになりました」

 必死に走っていると、会いたかった人の声が鼓膜を震わした。今日はアタリの日。大地さんが笑うように、初めてここで会った日の私はもっとみっともなかった。ぜぇはぁ、と息を切らし、ベンチで灰のようになっていたのだから。それに比べるとこうやって大地さんの隣で足を動かせるのは大きな進歩だ。

「もうすっかり暑くなりましたね」
「ほんとに。体を動かさなくても汗が吹き出しそうなくらい」

 大地さんの目線の先に広がる景色には、葉桜と呼ぶには少し時期が過ぎてしまった緑が広がっている。初めて会った頃は“半袖で良い”くらいだったのに、今はもう“半袖が良い”くらいの気温。時の流れとは恐ろしく早い。けれどもこの数ヶ月は振り返ってみると充実したといえる日々だった。こういう時の流れならば、私は喜んで時を重ねていきたいと思える。そう思えるのは、私の隣に大地さんが居てくれるから。これから何年、何十年と一緒に居られるのなら、これ以上の歳の取り方はない。

 大地さんの隣でゆったりとしたペースで走っていると、「なまえさん」と名前を呼ばれる。

 なまえさん、大地さん、と呼び合うのは、なんだか老夫婦みたいで良いなぁと名前を口にする度思う。そんな含みを持たせて「なんですか、大地さん」と微笑むと「明日は当直なのでジムには来れそうにないんです」と私の表情とは裏腹に、大地さんの眉が下げられた。


「分かりました。当直、頑張って下さい」
「ありがとうございます。……中々会えなくて申し訳ないです」
「じゃあ、」

 気にしないで、と言っても気にし続ける大地さんにどうすれば良いだろう――と考えた。そこで出した対応が“大地さんが申し訳なさそうにする度、何か1つワガママを言う”ということ。



「家まで送るなんて、頼まれなくてもするのに」
「いえ。道中にこうして買い物にまで付き合ってもらってますから」
「それくらい、」
「大地さん」
「はい」

 スーパーで買い物カゴを持つ大地さんの姿は、意外と景色と馴染んでいる。自炊のイメージが湧かないと思ったこともあるけれど、一緒に料理はしてみたいな――なんて、大地さんを見つめながら思っていると口角が上がっていたらしい。「なまえさん?」と窺われ、気を取り直す。
 大地さんが私を想ってくれるのと同じくらい、私も大地さんを想ってるんだってことを伝えないと。

「大地さんのそれくらいって、結構おっきいと思いません?」
「え?」
「“恋愛なんて”と思うくらい仕事を大事にしてる人が、私と付き合ってくれてるんですよ? それだけじゃなくて、こうして2人の時間を作り出してくれてる。それってすごいことだと思いません?」
「……ですが、」
「じゃあやめたいってなりますか?」
「それはならないです」

 この質問には食い気味で被せられたことに、人参を見つめながら「ふふっ」と笑いを零してしまった。だけど、私も同じ気持ち。会えなくても、その時間を寂しいと思うことがあっても、大地さんと別れたいとは絶対にならない。

 時々ご褒美のように与えられた時間を、大地さんと共に過ごせていることに幸せを感じるのだから。1人で来た時よりも買い物カゴに入れる食材や日用品が特別な物のようにさえ思える。だから、大地さんから貰える“それくらい”で、私はじゅうぶん幸せ。






「なまえさんのワガママは小さいと思うんです」
「え?」

 帰り道、大地さんが袋をガサリと鳴らしながらポツリと言う。夜風に流れる髪の毛が気持ちいいと思っていた所で降って湧いた疑問。ワガママが小さいとは? と視線で促せば握られた手に力が込められた。

「家まで送って欲しい、買い物に付き合って欲しい、手を繋いで欲しい。……やっぱりそれくらいです」
「そうですか? 私からしてみたらじゅうぶん、」
「なまえさんは事足りるかもしれませんが、俺は不満です」
「へっ」

 全て叶えてくれて、私は満足しているのに。大地さんは不満だと言う。ワガママに対して、そんな不満を告げられるとは思ってもみなかった。予想外の事態に口をポカンと開くと「……もっと、言って欲しいです」とまさかのおねだり。もっと言って欲しいって言われたって……。家まで送ってもらってるし、買い物に付き合ってもらってるし。手だって繋いでもらってる。……他に何を言えばいいのだろう。

「例えばどんなことを言えば良いですか?」
「キスしたいとかどうですか」
「キッ……な、なっ……えっ、キスですか!?」
「あー……。すみません、やっぱりナシで」

 何言ってんだろ、俺……と顔を逸らす大地さん。耳が赤いのは夏の気温のせいだけではないのだろう。かくいう私の顔だって真っ赤に茹であがっているのだけど。

「じゃあワガママ言ってもいいですか?」
「はい」
「キス、して下さい」
「えっ! キスですか!?」
「だっ、大地さんが言ったんじゃないんですかっ」
「い、言いました! 俺が言いました!」
「……私の気持ちも一緒なので、ワガママとして採用させて頂きました……」
「あ、ありがとうございます」

 ワガママ言ってお礼を言われるって、さっきから会話のやりとりが変だ。キス1つでこんなにテンパるだなんて、私たちは中学生か。……というか、キスって。どのタイミングですれば……。立ち止まった方がいいのかな。
 ぐるぐる悩みながらも歩みを進めていると、繋いだ手をぐん、と引き寄せられた。そうして向かい合った先には凛々しい顔に少しの緊張を混ぜた大地さんが居て。

 反射的に瞳を閉じた数秒後、耳元からガサリと幸せたちが入った袋の音がした。

- ナノ -