フライング・ゴシップ

「事務所を通して下さい」

 テレビや雑誌などで何度か目にした言葉。一生使うことのない縁遠い言葉だと思っていたのはついさっきまでの話。
 エレベーターのボタンを押す手が微かに震えている。深く息を吐いたのち、今度はしっかりとボタンを押下した。その手を胸に当てて、心を落ち着かせようとしたが無理だった。

 どうしよう、どうすればいいんだ。
 心臓はバクバク音を立ててうるさいのに、指先は冷えていくばかり。バグった脳が過剰なまでに頭へ血を送るせいで頭はガンガンと痛い。

 人生最大のピンチがやってきた。



 なにごとも速いに越したことはない、と彼はよく口にする。その理論はもう耳にタコが出来るくらい聞いたし、理解もしている。だけど、コレばかりは時間をかけさせろと私が折れなかった。
 
 だって一生に一度のことだから。私の初めてを全てあげる代わりに、一生忘れられない思い出にして欲しいという条件をホークスは呑んだ。そうして2人で結婚式への準備を進め、ようやく色んなことにカタが付きだしたという頃。

「私、こういう者です」
「はぁ、」

 買い物を済ませ、鶏肉の入った袋を手に提げ入ろうとしたマンションのエントランス前。その行く手を阻むようにして立った男性から手渡された名刺には、ゴシップ誌で有名な出版社の名前が記されていた。
 誰かのネタを追ってるんだろうなとぼんやりとその名刺を受け取った私に、男性は「ホークスについて訊いてもいいでしょうか」と言う。あぁ、ホークスね。確かにホークスはプロヒーローで、ビルボードも上位で顔が知られている。そんな彼のゴシップネタは需要があるのだろう。
 でもホークスってほんとにそういう浮いたハナシ1つ出てこないんだよなぁ。いやまぁこれから結婚するって時にそんなのゴメンなんだけれども。……あれ?

「え、これってもしかして……」
「失礼ですがホークスとはどういったご関係ですか?」
「……あっ。あっ!!」

 世間からしたら、私という存在がホークスにとっての“浮いたハナシ”そのものじゃないか。全てが腑に落ちた時、体全体を焦燥感が駆け巡る。やばい、このままだと私、鶏肉入りの買い物袋をぶら下げた写真で全国に知られてしまう。いやそれよりもなによりも、まず第一にホークス。
 これは“私の”話じゃなくて、“ホークスの”話だ。ホークスに迷惑はかけられない。根も葉もある話だし、結婚話が表に出たらホークスの人気に翳りが出るかもしれない。

 そう思ったらこんな所でオドオドして時間を取られる訳にもいかないと、脳が瞬時に判断を下した。

「事務所を通して下さい」

 よく見聞きした言葉。脳はこの言葉をチョイスし、私の足を動かした。まさかこの言葉を私が使う日が来るとは。なんにしてもこの言葉を使ってしまったということは、私は間違いなく記事に載ってしまうのだろう。どうしよう、どうしたら。

「あ、お帰りなさい」
「……ホークス、」
「2人の時は名前を呼ぶ約束したでしょう?」
「ごめん……。私記事になる」
「え? 生地?」
「さっきそこで記者の人に声かけられた……」
「あぁ。どういうご関係ですかーってヤツですか」
「私、“事務所を通して下さい”って初めて言った」
「アハハ。良かったじゃないですか」

 既に夕食の準備を始めていたホークスに出迎えられ、今しがた起こった出来事を打ち明けるも笑って流される。どうしてそんなに気楽にいられるんだこの人は。

「ヒーロー活動に傷付けたかもしれん……」
「傷って?」

 長ねぎに包丁を入れながら私を見やるホークス。おかしい、エレベーターに乗っている間じゅう頭でイメージした展開とはどうも違う。もっと2人で机で向かい合って今後のことを話し合うもんだとばかり。

「だってホークス、結婚のこと公表せんやろ?」
「え、しますよ?」
「え! すると!?」
「えぇ。だって大事なことですから」
「……へぇ、」

 思わず他人事みたいな感想を言ってしまった。もう1周回ってストンと落ちたカンジだ。それに、公表するんならいっかって思っちゃった。あと、ホークスが“大事なこと”って言ってくれたのが嬉しくて。

「なんかよく考えたら私別に逃げる必要なかったよね?」
「まぁ。奥さんになる人ですしね。それに逃げる場所がココって時点でお察しかと」
「あ」

 手を洗って私も一緒にキッチンに立つ。鶏肉をホークスに渡し、鍋に水を入れた段階でごもっともな指摘をされて固まった。……だけどもう今更か。だってココは私の家でもあるんだ。

「あーあ。それにしてもあの写真がホークスの嫁として初公開の私になるんだなぁ」
「いいじゃないですか。庶民的で」
「なんそれ。バカにしとらん?」
「いいえ全く」

 鍋を火にかけ、火力を調整していると「見出しは“激撮!水炊きで温める親密愛!”とかですかね」なんておちゃらけて言うから思わず吹きだしてしまう。ちょっと。こっち今火扱ってるんだから、笑わせないでよ。

「“鶏肉抱え戻るは愛の巣か”とかもアリやない?」
「自分でネタにしてるじゃないですか」

 負けじと見出し予測を立てるとホークスも声をあげて笑う。私、この人を選んで良かった。選んで貰えて良かった。一緒に居るといつも思う。こうやって笑い合う時間が何よりも楽しい。

「結婚って、いいモンなのかもね」
「えぇ。俺もそう思います」

 そうして2人で鍋をつついて、一緒のベッドで剛翼に包まれながら眠り迎えた朝。ネットニュースのトップに出ていた記事に驚き飛び起きた。

――電撃! プロヒーローホークス、サイドキックとの婚約発表

 そこには散々想像した見出しとは全く違う文字が踊りでていた。しかも突撃取材をしたあの出版社じゃなく、色んな出版社がこぞって記事を出すという異常事態。
 隣でうとうと眠る本人を叩き起こすと「あぁ。今日の朝イチで事務所のホームページに載せました」と目を擦りながら言われた。

「いや実は俺も突撃されたんですよね。それで事実ですって認めたんですけど、どうせなら自分の口から言いたいじゃないですか」

 腹筋を擦りながらキッチンでコーヒーを淹れるホークス。いつもの様子となんら変わりはない。

「だって俺、速すぎる男ですし?」

 そう言って手渡されたコーヒーはホークスのアクビ付き。今日だって出勤しないといけないのに。事務所の電話鳴りっぱなしなんだろうな。事務所に取材沢山来てるんだろうな。あぁ、もう。ホークスのせいでまた大忙しだ。

「ま、いいじゃないですか。おかげで“鶏肉美人彼女”なんて見出しは免れたんですから」
「……まぁそうやね」

 この忙しい日々が、これから私の毎日になる。そして、隣にはホークスがいる。……うん、これ以上ない毎日じゃないか。





- ナノ -