あの日の僕よ、覚えているか

 ヴィランの抗争なんて日常茶飯事。こちらがどれだけ速度で対応しようとも、件数で凌駕されてしまえばいつまで経っても“暇”なんて感覚は訪れやしない。

 この間も1つの案件を片付けたかと思えば、贔屓にしている商店街の近くでヴィラン同士の抗争が起こっていることを耳にした。事後処理をサイドキックに任せ、羽ばたき訪れた先はもう手遅れで。

 どうにか人的被害は免れたが商店街のお店は守ることが出来なかった。……あぁ。ここの商店街の焼き鳥屋美味しかったのに。己の中に湧き上がる私的な悲壮感と、商店街を前に呆然と立ち尽くす地元の人に対する罪悪感とで板挟みになった。……ヒーローが忙しくして良いことなんて、1つもないというのに。



 後日、ヒーロー活動の一環として被害に遭われた方々が住んでいる避難所へと足を運んだ。これは自惚れでもなんでもなく、俺が行くとみんなの顔が明るくなる。そして触れ合っていれば、おのずと前向きな言葉を言ってくれる。
 そうやって人が前を向こうとしてくれる瞬間は、こちらとしても凄く救われた気がするし、それがヒーローとしての存在意義を証明してくれるようで。

 今日はあの商店街の方たちが住む避難所だな、と予定を頭で確認しながら空を飛び、その場に降りたった時。

「ごめんねぇなまえちゃん」
「お父ちゃん達が謝ることなか」
「そやけどなまえちゃんが居らん時にあんな形で店を失って……なまえちゃんのこれからが心配で心配で……、」
「いいって! 私、彼氏も趣味もないし。その代わり、貯金だけはちょっとくらいはあるとよ?」
「そうね?」

 心配そうな渋い声と、虚勢が感じ取れる若い声。その声を剛翼で感知し、また1つヴィランの被害を知る。そして人は、なにか辛いことがあった時はこうして誰かと支え合って生きていくのだということも。

「また来るけん!」
「――!」

 避難所へと歩みを進め、声のざわめきが大きくなった時、剛翼で聞いていた若い声が耳にダイレクトに届いた。そして避難所の出入口を飛び出すように出て行ったその若い声の持ち主を見た時、本気で時の流れを忘れた。
 誰よりも速く、時の最先端を走っているハズのこの俺が。あの一瞬は誰よりも遅い時間を過ごした。

 ――欲しいと思った。無理を張り付けながら笑う優しい瞳も、その顔に忍ばせる寂しさも。なにもかも。魅力的で美しくて、手に入れたいと。そんな欲を俺は生まれて初めて人間に抱いた。

「みなさん、こんにちは」
「えっ、ホークス!?」
「やァ、どうもどうも」

 すぐに気を取り直し、いつものようにボランティア活動に取り組み、みんなと打ち明けだした頃にはあの女性の名前がなまえさんということを知った。
 なまえさんのことは俺が訊かずともすぐに分かった。みんなが口を開けば「なまえちゃんは――」「なまえちゃんが――」と言うからだ。そうして彼女の人となりを知り、育ての親であるという酒屋の店主を尋ねた。

「なまえさん、大人気ですね」
「そらそうたい。なんせ俺の自慢の娘やけん」
「そうですか。それはなによりです。ところでそのなまえさんについてお願いがあるんです」
「ホークスが? なんね?」
「なまえさんを僕にくれませんか?」
「…………は?」

 持っていたタオルをポトリと落とす店主。そのタオルを拾いながら「実は俺、なまえさんに一目惚れしちゃいまして」と続きを放つ。傍らにいたお母さんは「あらまぁ」と頬に手を当て表情を明るくさせたが、店主は未だ呆然と口を開けたまま。

「イキナリすみません」

 でも、欲しいと思ったらもう我慢が出来ない性分なのだ。俺だって欲の前ではひれ伏すしかない。我慢なんて出来ないのだ。もうそこは諦めて頂くしかない。

「……本気なんね?」
「はい。本気です」
「ホークスがどんな人かはこの街におったらよぉく分かる。それでもこればかりは親の務めやけん、訊く」
「はい」
「なまえちゃんを幸せにするっち約束出来るんね?」
「はい。誰よりも速くなまえさんを幸せにしてみせます」



「……はぁ」

 商店街の跡地で手を合わせているなまえさんは沈痛な面持ちで溜息を吐いていた。その様子を空から見届け、羽音も立てずに後ろに降り立つ。

「え、ホークスが一体何の用で……」

 まんまるい瞳に俺を閉じ込め、不安そうに見上げてくるなまえさん。彼女はこれから自分の身に起こる出来事なんて想像してないのだろう。そのことが俺を駆り立てる。――早く、彼女を自分のものにしたい。

「手短に言うと、アナタを雇いに来ました」

 その言葉に店主と同じくらいの間を開け呆けた声をあげたなまえさんを笑い、彼女を抱える。
 どうか安心して下さい。これから俺が想像も出来ないような幸せを届けてみせますから。そんな期待と決意を抱きながら、紅く染まった剛翼を空へと広げ羽ばたいた。

 この時の俺は想像もしていなかった。

「ホークスが誰よりも速く幸せを届けてくれるんなら、私は愛する夫に近付く不幸を誰よりも近くで吹き飛ばしちゃる」

 こんな嬉しくて、泣きたくなるような愛おしい宣誓をなまえさんから返されるだなんて。




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